22.a childish sigh




男のときは三徹くらいならどうにかなったものだったが、流石に体力的にこの身体だと難しいらしい。さらに眼鏡の度が合っていないせいで頭痛もしてくるものだから徹夜は1日が限界なようだった。伏見は自分の軟弱さに舌打ちをして、2日目は日付が変わる前に仕事を切り上げ、さっさと家に帰ってベッドに潜り込んだ。それでも朝4時には起きだし、誰もいないオフィスで早朝から仕事をし、その日は翌朝までデスクに張り付いたままだった。昼休みに仮眠室を利用しつつ、栄養剤とカロリーメイトと気力を最大限に利用すればどうにか身体は持ったので、このまま仕事をすすめれば一週間以内にどうにかかたがつきそうだった。周囲はいつも顔色を悪くしながらデスクにかじりついている伏見を心配そうな目で見ていたが、「少し休んだほうが」とすすめれば伏見に恐ろしい形相で睨まれるのでどうにもならない。結局秋山が定期的にコーヒーを与え、日高が栄養になりそうなものを差し入れする程度。それでも終わりが見えてきた6日目、事件は起こった。セプター4の使用しているサーバーがダウンしてしまったのだ。一時的にPCがただの箱になり、作業中のデータは全て吹き飛んだ。バックアップはきっちり取ってあったのだが、作業中のデータだけはどうにもならなかった。どこぞの馬鹿のサイバーテロだったらしいが、伏見にとってはたまったものではない。半日分の作業が全て無駄になり、サーバーがダウンした瞬間に無言で机に拳を叩きつけた。サーバーの復旧には半日かかり、その間セプター4の業務はほとんどストップしたと言っていい。伏見はその間アナログデータの処理とレポート、報告書というサーバーを介さない作業のみをすすめたが、途中でサーバーの復旧作業に駆り出されるし、どこぞの馬鹿が送り込んだウイルスは新型だしでほとんど丸1日を無駄にしてしまった。サーバーダウンの件は宗像にも報告が行くだろうが、このことで1週間を1日すぎてしまったとしてもどうせ「君が1週間と言っていたのですがねぇ。やはりあの量はさすがの君でも無理でしたか。期待はしていなかったとはいえ、自分で言ったこともできないだなんて無様ですねぇ、伏見君」と大仰なため息を吐かれるのがありありと想像できた。すでに徹夜2日目だったが、3日くらいどうにでもなる、と伏見は腹をくくった。

7日目はもう頭痛がしようが吐き気が増そうが伏見はデスクにかじりついたまま動かず、食事の時間まで削って作業をすすめた。特に秋山がそんな伏見の様子を心配そうに見つめ、コーヒーでもいれようか、しかし空きっ腹にブラックは胃に悪いからなにか食べるものでも差し入れようかと思案していた。けれど伏見はというと「今なんか食ったら絶対吐くから」と全てをシャットアウトし、舌打ちもなく無言で作業を続けた。徹夜三日目ともなるともう眠気というよりは体調不良との戦いになってくる。定期的に栄養ドリンクを摂取して身体をだましだましキーを打ちつづけ、肩がばっきばきに固まってしまって書類を取るたびに不穏な音がしても聞こえなかったふりをし、ただ黙々と頭と指だけを動かし続ける。そうするとなんだか自分が機械になったような気分になり、集中力がぴんと研ぎ澄まされてゆく。最後のダンボールの中身が空になるころには就業時間をとっくに過ぎており、伏見が最後の一文字を打ち終わってデータを保存したときにはもう日付が変わる頃だった。

「終わった…」

伏見は一通りデータを見直し、書類をまとめると、ぐったりと椅子の背もたれに身体を預ける。多分今日はもう宗像は帰ってしまっているだろうから、提出するならば明日の朝一番だ。明日はもとより非番だったので、報告だけして家に帰ったら心ゆくまで惰眠を貪ってやろう。そう思いながら天井をぼんやり見つめると、思い出したように頭痛がし、伏見はかけていた眼鏡を外してゆっくりと瞼を落とした。蛍光灯が眩しいなぁと腕で目を庇い、深いため息を吐く。そうするといままでどこか遠くへ置いていた眠気が舞い戻ってきて、家に帰るのも面倒だなぁと。

「寝るなら寮に戻ってからにしてはいかがですか」

突然聞こえた声に、伏見はびくりと肩を震わせ、椅子からずり落ちそうになった。無理やり瞼を押し上げるとそこには宗像がいて、伏見を上から見下ろしていた。

「室長…?帰ったんじゃ…」
「ええ。そのつもりだったんですが、思いのほかジグソーパズルに手間取りまして」
「はあ…なら、あそこのダンボールの中身…確認してもらっていいですか。頼まれてたデータと…報告書と…レポートとその他諸々、入ってるんで…」

伏見は随分眠たいのかいつもよりずっと歯切れの悪い、甘ったるいような、くすぐったいような声でとりあえずの報告をした。その報告が終わる前に、宗像は眉根を寄せ、伏見の頬を手のひらで包んだ。

「顎が尖りましたね。顔色も酷いものです。隈まで作って。急ぎの仕事でもなかったのですから、一日くらい遅れたって文句は言いませんでしたよ」
「…嘘でしょう。どうせ、ほんとに遅れてたら、期待はしてませんでしたが…とか、自分が言い出したこともできないなんて無様だとか…言うでしょう」
「まぁ、否定はしませんが…」
「これで文句ないでしょう」
「ええ、ご苦労様です」

宗像はもてあそぶように伏見の髪をさらりと梳いた。いつもどおりどころかいつにもまして艶がない。若い女性が三日も徹夜などするものではありませんよ、と言おうとしたが、そんなことでも言おうものならば全力で否定された挙句に平手のひとつでもいただくことのなるだろうと宗像はぐっと言葉を飲み込んだ。

「書類には明日目を通させていただきます。もう随分遅いですしね」

伏見はもう抵抗する気力もないのか、宗像が頭を撫でようが頬を撫でようがされるがままになっていた。むしろ宗像の手のひらが暖かくて心地よいのか夢現にいるような顔をして、ゆるりとした瞳で宗像を見返してくる。

「またそんな顔をして。何をされても知りませんよ」

宗像はゆっくりと伏見に覆いかぶさり、額のくっつくような距離で凄んでみたが、どうにも眠気やら頭痛、報告を終えたという安堵で気力というものが抜け落ちてしまっているらしい。「もうなんでもいいですよ。少し寝たら帰るんで、静かにしてもらっていいですか」と瞼を閉じる。そうしてほとんど寝息のような吐息がこぼれはじめると、宗像は面白みがない、と嘆息し、身体を離した。そうしてから、「ここで寝ては風邪をひくでしょう」と伏見を抱え上げた。

「…あー日高…?」
「私に抱き上げられながら他の男の名前を呼ぶとはいい度胸ですね」
「もう眠…目ぇあかねー…」

本当の寝息が聞こえ始めると、宗像はよくもまぁこの状況で寝れますねぇと盛大なため息を吐き、「今回ばかりはいじめすぎました」と伏見の肩をぎゅっと抱いた。そうして首のあたりに顔を埋めて、「すみません」と小さく呟く。どうにも素直になれない。自分ももう随分昔に大人になったと思っていたものだが、と自嘲の笑みを浮かべながら、宗像はオフィスを後にした。


END



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