16.break out





「あれ、伏見さん足どうしたんすか」

変な誤解を避けるために先に秋山が顔を出し、すこししてから伏見が席についたのだけれど、明らかに左足を引きずり、なにかしらに掴まらないと歩けていない様子だったので真っ先に日高がそれを見とがめた。伏見はなんと答えてわからず、適当に「階段で転んだ」と言った。秋山は淡島への報告で急いでいた自分が階段で伏見と接触してしまい、負傷させたと言っていたので、淡島は別段変な顔はせず、日高は「大丈夫なんですか」となにも不審がる様子は見せなかった。遠くで秋山がなんだかほっとしたような顔をしたので伏見もなんだかほっとした気分になり、それがなんだか不思議だった。

その日は出動もなく、デスクワークも基本的に締切が遠かったために伏見には都合がよかった。秋山に言われたらしい日高が定期的に保冷剤を持ってきては伏見に渡し、必要な書類があれば日高が動いた。別に保冷剤くらい秋山が渡してくれてもいいだろうにと思うのだが、秋山なりになにか思うところがあるらしい。別にいいけど、と伏見は別段それに対して咎めることはしなかった。むしろ自分の弱みをさらけ出してしまったようなものなので秋山との接触は極力避けたかった。なんだかほだされてしまうようで、恐ろしかったものだから。伏見は片足を適当な椅子に上げた状態という間抜けな格好で仕事をし、定時になると強制的に病院へ連行されることとなった。伏見は嫌がったのだが、淡島が有無を言わせず、付き添いで日高がつけられた。最近生理休暇時に日高が伏見を担当していたこともあり、伏見になにかしらあれば日高をつける、という意識が職場全体にあるようだった。別に嫌とかいいとかそういう感情は起きなかったが、日高は気の毒だと伏見は思う。

パンプスもブーツもはいらないので、伏見は私服に着替えた状態で日高に背負われて病院へ行くこととなった。セプター4お抱えの病院へは徒歩15分程度なのだが、私服なせいもあり周囲の視線が刺さった。伏見は何度も日高の背中で暴れてやろうと思ったのだが、裸足では格好がつかない。日高の黒いパーカーのあたりにもふりと顎を乗せて、何度目かわからない舌打ちをした。日高も定時であがったので私服に着替えており、いかにも若者、という風な黒のパーカーにくたびれたジーンズだった。パーカーからはなんだか日高をずっと凝縮したような少し獣臭いような匂いがして、多分2、3日は洗濯していないだろうことがうかがい知れた。日高はこう言うと語弊があるかもしれないが男臭い。男っぽい体臭がして、普段は近づいた時にふわりと香るだけのそれが、ダイレクトに濃縮されているようで、伏見はなんだか頭がグラグラするようだった。嗅覚まで女になっているような気がして不快だったが、不思議と日高の匂いは嫌いではなかった。

日高もこのパーカーに少し値の張るヴィンテージのジーンズだったなら格好がついていたかもしれない。着古したらしいパーカーには少々毛玉が浮いていたけれどデザイン自体はわりと凝っていた。ラインが綺麗に出ているし、素材自体も悪くなかった。もとはそれなりの値段がするパーカーだったのだろう。そういえば今朝の秋山はかっちりした黒のジャケットに高そうなスラックスだった。年齢のせいもあるかもしれないが、大人の余裕というものが感じられて、とても格好がついていた。さりげなく洗練されたスタイルで、ラインが綺麗に出ていたなぁと伏見はなんとなく思い出す。伏見はあまり服装に気を遣う方ではなかったので日高の格好がラフだったのはなんだか好感がもてた。伏見はというとヘビロテ気味になっているネイビーのゆるいセーターにスキニーだった。身体のラインがわかりづらいセーターは好きだったし、スキニーも動きやすくてよかった。体のラインが出るトップスは嫌いだった。胸の膨らみやかたちがでるのは吐き気がする思いがしたし、細身なので貧相に見えた。かといってひらひらしているものはもってのほかだったので、トップスはともかくボトムスは種類が限られてくる。ジーンズは嫌いだったし、チノパンはなんだか丈が足りていないような気がして苦手だった。脚を出すのは抵抗がある。淡島はよくもまぁあんなに堂々と脚を晒せるものだ。実際淡島の脚はいい具合に筋肉と脂肪がついていて綺麗なのだが、伏見の脚はというと細いことは細いのだが、脂肪というものが削ぎ落とされているせいで貧相というイメージがぬぐいきれない。傍目から見れば十分綺麗だと思うのだが、伏見はどうにもこの身体自体あまり好きではなかった。もとよりあまり自分の身体で好きなところなどなかったのだが、この身体になってからは好きなところどころか嫌いな部分の方が多くなった。なまっ白い肌も、細すぎる四肢も、何もかもが不快だった。それはもう、ため息がでるほどに。

医者に見せたところ、伏見は二週間の安静を命じられた。骨や靭帯に異常はなかったのだが、思いのほか強くひねってしまっていたらしい。全ての元凶はあのパンプスである。早々に踵のない靴を買ってしまわねばなるまい。医者はしばらく踵の高い靴は履かないこと、あまり脚を下にするような体勢はとらないことを伏見に言い含め、二週間分の湿布と痛み止めを処方し、松葉杖を貸出した。伏見は今までの人生で松葉杖というものを使ったものがなく、はじめかなり歩きづらそうにしてた。さらにパンプスも履けず靴がないため、帰りも結局日高のお世話になることとなった。日高は伏見の部屋まで彼女を送ると、「そういえば、サンダルとかあるんですか」と日高にしては気をきかせた。もちろん伏見はそんなもの持っておらず、スニーカーも革靴もサイズが合わない。日高が「ちょっとまっててください」といってぱたぱたと自室へ行き、すぐに私物らしい黒のクロックスを持ってきた。それは随分サイズが大きかったけれど、背に腹はかえられない。

「ちなみに、伏見さんって今足のサイズいくつですか」
「…23.5くらい」
「はぁ…ちいさ…いや、俺のだとやっぱかなりデカイですね。明日あたりサイズあったやつ買ってきますか?」
「いや、お前のでいい。どうせ足治るまでしかはかねーし」
「そうですか」

じゃあ、そろそろ失礼します、と日高は踵を返した。その時伏見の眼鏡がずっとしたを向いていたせいでずりおちそうになった。伏見はあわててブリッジをあげようとしたのだけれど、松葉杖を持っていたせいでうまくゆかず、乾いた音をたててそれが下におちてしまった。そしてタイミングの悪いことにそれは日高が下ろそうとした足の下へジャストのタイミング、位置で滑り込み、バキリ。

「…えっ」
「…日高、死ね」
「えっえっ、いや、すみません!すみませんけど!これって俺悪くない!」
「いいからさっさと階段から飛び降りて死ねよ!」
「そんなダイナミックかつ馬鹿馬鹿しい自殺はしたくない!」

最後の望みをかけて日高は脚を持ち上げてみるものの、やはりレンズは無残なまでにわれていたし、つるの片方はばっきりと中程で折れてしまっていた。フレームも修復不可能なまでに歪んでいて、伏見は盛大な舌打ちをした。もちろんスペアなんて都合のいいものは持っていないし、裸眼だとかなり視力が悪い。鼻先がくっつくほど近づいて目を凝らさないと日高が馬鹿なこともわからないし、生活にもかなりの支障が出るレベルだ。

「ほんとすみません!…スペアとか…」
「ねぇよ馬鹿」
「すみません!弁償します!」
「…いいよ。落としたの俺だし。踏んだのはお前で壊したのもお前だけどな」
「刺々しい!」

伏見は既に戦力外通告をうけているから前線に立つことはできないし、デスクワークにしても眼鏡がないことには普段の倍以上の時間がかかってしまうだろう。さらにはくだらない理由で足を負傷しており、役立たずなことこのうえない。これまで部下に幾度となく能無しやら役立たずやら手酷い言葉を投げつけてきたが、まさか自分がここまで役立たずになるとは夢には思わない。この時間だと店はもう閉まっているし、明日注文したとしても最低一週間、長ければ二週間は新しい眼鏡が届くまでにかかるだろう。そう思うと気が遠くなる。いっそ家に引きこもってしまいたかったけれど、近頃の伏見は欠勤やら早退やらが続いていた。そんな状態の伏見に一週間だなんて長期の休暇がおりるはずもなかった。

「いや、ほんと、なんでもするんで!死ぬ以外は!」
「ったく…最悪だ…なんなんだよ今朝から…」
「伏見さん…」

本当に最近の伏見は不幸というものに一目惚れでもされてしまったかのように不運が続いていた。神様だなんて大層なものが存在するのであれば伏見を憎む勢いで嫌っているに違いない。日高が嫌な汗を背中と言わず全身の毛穴という毛穴から垂れ流し、泣きそうな顔になっているだろう様子が見えていないのに容易に想像できてしまって、それがなんだか苛立たしくもおかしかった。

「…夕飯」
「え」
「腹減ったけど、見えないから買いにもいけねーし、作れねーし、だから日高どうにかして。あと服もわかんねーし、湿布もかえらんねーし、痛み止めも飲めねーし階段も降りれねーからお前が死んでも手伝え。まじで。そうしねーと俺が死ぬ。わりと、真面目に」
「わ、わかりました!」

伏見はさっさと部屋に入り、ベッドにどっかりと座ってしまった。日高もためらいつつ靴を脱ぐ。なんだか長い夜になりそうだなぁなんてどちらともなく思いながら。


END


日高ルートも進めておきたいと思いまして。
日高はあとで絶対榎本あたりと「伏見さんのおっぱい背中にあたっててほんとやわらかくて日高の日高が緊急抜刀…」「黙るか死ぬかして」って会話をします。



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