6.the thin limbs




「おや伏見君、なんだか顔色が悪いですよ」

廊下ですれ違った宗像に伏見が道を譲ると、宗像はふと立ち止まり、伏見の顎に指をかけた。その手を思い切り振り払って、伏見は「セクハラですか」と宗像を睨みつける。

「おや、そんなつもりはなかったのですが。そういうときだけ女性をたてにするのですね」

なにやら棘のある言い方に、伏見の眉間に皺が寄る。

「…何が言いたいんですか」
「君の部下に泣きつかれたのですよ。君が更衣室やらレストルームに平気な顔して入ってくるのだと」
「当たり前じゃないですか。現在の見た目はどうあれ中身は男なんですよ。俺に副長と一緒に着替えろって言うんですか」
「それもそうです。だから私も別段君を咎める気はありません。ただ、君はもう少し自分を知った方がいいですね」

宗像が一歩伏見に近づいたので、伏見は下がろうとするのだが、そこはもう壁だった。「なんすか」と牽制しても宗像はただ威圧的にじりじりと伏見を追い詰め、押し返そうとした伏見の腕は難なく壁に縫い付けられてしまう。全力で逃れようとしてもびくともしなかった。足は既に踏みつけられて封じられているし、宗像は何をするかわからないような表情でじっと伏見を嘲笑っている。普段ならばもっとまともに抵抗をして膝蹴りでもなんでもして逃走くらいはできるのに伏見の身体はびくともしなかった。炎を出してももちろんかき消され、万策尽きた伏見はひどく宗像がおそろしいと思った。宗像は男で、伏見は今女だ。その認めたくなかった事実を突きつけられて、伏見は「やめろ!ふざけんな!」悲鳴のような声をあげる。宗像はそれでもじりじりと伏見を追い詰め、伏見の額に自分の額を押し付けるようにした。

「これが現実ですよ。今のあなたはこうやって男性に追い詰められてしまえばまともな抵抗をすることもできない。これがどういう意味なのか、よくよく噛み砕いて教えて差し上げることもできるのですよ」

吐息のかかるような距離で凄まれ、伏見はかたかたと自分が情けなく震えているのがわかった。宗像に何かされるのではないかということももちろん恐ろしかったのだが、それ以上に自分になんの力もないことが、突きつけられたままならない現実が恐ろしかった。どうしていいかわからない。伏見の顔が真っ青になり、冷や汗が浮き出した頃にやっと宗像は伏見を解放した。伏見は足が震えるのかその場にずるずると座り込んでしまう。

「これに懲りたらすこしは反省して自覚というものを…」

宗像は言葉の後半を言う前に、尋常でない伏見の様子を見てぴしりと固まった。よくよく見ずとも伏見はがたがたと震えながら膝を抱え、ぎゅっと自分を守るようにして小さくなり、その隙間から嗚咽のようなものをこぼしていた。宗像は「…伏見…くん?」と伏見の肩に手をかけようとするが、それは伏見によってばしりと払われる。その音が出そうなほどに宗像を睨みつける瞳からはぼたぼたと大粒の涙がこぼれ落ちていて、宗像はしまったと思うがもう遅い。

「ふざけんな!俺だってしたくてこんな格好してるわけじゃねーんだよ!女とかめんどくせーし部下には変な目で見られるし身体は思うように動かねーし気持ちわりーし最悪なんだよ!最悪なのにどうしようもなくてただでさえどうしようもねーのになんで恥じらいとか自覚とかわけわかんねーよふざけんな!」

ふざけんな…と伏見は本格的に泣き出してしまい、宗像はどうしたものかと困り顔になる。さすがに青の王といえど成人もしていない言ってしまえば少女を怖がらせた挙句に目の前で泣き出された経験はなかった。「伏見君」と声をかけようものならば寄るなだのうるさいだのどっかいけだのと涙声で悲鳴のように叫ばれこれでは宗像が犯罪者のようだ。じっさい未遂くらいのことはしているのでなんとも言えないのだが。宗像がいては伏見はどうにもなりそうになかったが一人ほうっておくこともできず、かといって居ると「どっかいってください」と懇願のような声まで聞こえてきて宗像にわずかに残る良心がしくしくと痛む。そこに騒ぎを聞きつけたらしい秋山が駆けつけるのだが、宗像はどう説明したものかと眉間に皺を寄せ、秋山は泣いているらしい上司にぎょっとして、きっとその原因を作ったろう宗像を見るがなんの説明もしてくれない。とりあえず宗像がアイコンタクトで「頼みましたよ」と言うのだが、何があったのかもわからないし、伏見はひどく怯えたような様子でいるしで目を白黒させるばかりだ。

「し、室長…?これは…」
「ええ、少し怖がらせてしまったようで…」
「怖がらせたって…なにされたんです。怖がらせたとかじゃなくてこれ怯えきってるじゃないですか…」
「わ、私もそんなつもりはなかったんですよ!」

秋山はとにかく伏見をどうにかしなければならないとそっと伏見の肩に触れるも、伏見はびくりと一際大きく震えて、秋山にまで怯えたような目を向ける。それに「大丈夫ですよ」とにこりと笑うも、伏見はプライドがどうにもならないのか、「見んなよ!お前もどっかいけ!」と手を払われてしまう。どうしたものかと秋山は考えるが、とりあえず珍しくオロオロしている宗像に「えっと…」と視線をむける。宗像はすぐに「すみませんがよろしくおねがいします」とその場を去った。

「…伏見さん、室長はもういないですよ」
「…う」
「ほら、ここですと人目もありますし。医務室に行きましょう」
「…あ、足が…」

震えて立てないのだと。伏見が涙声に訴えると秋山はすこし考えて、「少々我慢してくださいね」とするりと伏見の身体の下に腕をいれる。

「…っう、わ!!」
「すみません。すぐですので我慢してください」

伏見は怖いやら恥ずかしいやらで四肢を硬直させ、秋山はこれ幸いとさっさと医務室に向かって歩き出した。伏見を抱き上げてみて、秋山はその軽さに驚いた。だぼついた制服の下の四肢はほっそりとしていて、思っていたよりずっと肉がなかった。ああこの人は今ほんとうに女性なんだなぁと思いつつ、なんだか自分が伏見に対してとても無体な扱いをしているような気がして、足早に医務室に向かった。


秋山は医務室のベッドに伏見を座らせると、熱いお湯にタオルを浸して、それをきっちり搾ってから伏見に渡した。伏見の涙は先ほどよりもずっと治まっていたが、まだはたはたと顎を伝っていて、真っ赤に腫れた目元や鼻の頭が痛々しい。伏見はタオルを受け取ると眼鏡を外し、それを目元にあてて、ふうとやっと安心したような息をついた。それを見てから秋山は医務室に用意されているポットや茶葉等を使ってミルクティーを作った。それをベッドの横のサイドテーブルに置き、「落ち着きますよ」と。伏見はまだぐすぐすと鼻を鳴らしているが、顔色は随分よくなった。一体室長は伏見さんに何をしたんだと秋山はため息をつきたかったが、ここでそうしてしまうと伏見が妙な勘ぐりをしそうで、やめた。少し落ち着いたらしい伏見がタオルを外し、ミルクティーに口をつける。マグカップが重たいのか、両手で持つのがなんだか微笑ましかった。

「…もう落ち着いたから」
「…ですが」
「仕事残ってるだろ」

秋山は伏見をほうっておくのはどうにもいけない気がして、「もう少しいます」と言った。伏見もめずらしく秋山に厳しいことは言わず、「そ、」とだけ。蒸していないためタオルはすぐに冷えてしまうだろう。秋山は伏見からタオルを受け取り、もう一度熱いお湯にひたした。それから伏見が血の気が引いていたからだろう、寒そうにしていたのでシーツを肩にかけてやる。そうして熱いタオルも渡してあげれば、伏見はやっと安心したようになった。秋山はなにかかけられる台詞はないかと考えを巡らすのだが、何か宗像について話してしまうとまた怯えさせてしまうに違いない。どうするべきかを考えて、まず今日は仕事にならないだろうし原因は室長なのだからいっそ早退させてしまうのがいいと思いつく。

「伏見さん、何か今日急を要する案件はありましたか?」
「…いや、いつものデスクワークと、あとはお前と日高と弁財から報告書受け取って、確認して室長に出すくらいだけど」
「では、俺が申請しますので早退しましょう」
「……」
「どうにも、腫れが引かないでしょうし、お疲れでしょう。仕事は俺と弁財あたりで割り振ればどうにかなりますし」
「…たすかる」
「では、申請してきますので少々お待ちください」

伏見は何かもの言いたげにしていたが、秋山が首を傾げてみせるとぐっと押し黙ってしまう。言いづらいのだろうと秋山は「失礼します」と医務室をあとにした。

秋山がいなくなって、伏見はもう羞恥でどうにかなってしまいそうになった。よりにもよって部下にあんななさけなく泣き喚く姿を見られたのかと思うとそれこそ死んでしまいたくなる。こんなふうになんだか感情的になってしまうのも、我慢しようにも我慢できない涙も、全部自分が女なんて面倒くさい生き物になってしまったからに違いない。秋山が置いていったミルクティーやタオルだけが暖かくて、その暖かさにまた涙が出そうになる。らしくない。ほんとうに、らしくなかった。


END


室長が最低な話ですが女体化ネタで一番書きたかった話がかけてちょっと楽しかったです。
もうバレてると思いますが、私は秋伏大好きです。
ちなみに礼猿も日伏も好きなのでわりとこの三人と絡んでいくと思います。







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -