知らない人がそこにいる
月島はなんだか目がちかちかするなあと思っていたら、突然ひどい頭痛に見舞われた。頭の左側だけが脈打つように痛み、耳鳴りがひどくて、吐き気まで込み上げてきた。そういえば自分は片頭痛持ちだったと思いだすのにさほど時間はかからない。部活終わりの部室で、たまらずひとりうずくまる。こんなみっともないところを誰かに見られるのはごめんだったが、他の部員はみんなもう帰ってしまっていた。けれどまだ部室が開いているということは澤村か菅原が体育館に残っているということで、案の定菅原ががちゃりと部室のドアを開けて入ってきた。
「え、月島?まだ残ってたんだ。ていうか、どうしたの?」
「なんでもないです」
「なんでもなくないだろう。立ててないじゃないか。頭?頭痛いの?」
いつもは心地よい菅原の声まで脳内でガンガン反響して耳触りだった。けれど先輩相手に少し黙ってくださいというわけにもいかず、月島はぎゅっと目を瞑る。もう眼鏡の視力矯正も辛くて、眼鏡を外すと、気分が少しだけよくなるような気がした。
「片頭痛、で。痛み止めかなんか、部室の備品にないですか」
「あー…ない、けど。俺のあるから」
「それ、ください」
菅原は少しだけ焦っているのか、もたついて、エナメルのバッグの中をごそごそとあさりだす。それから、本当はよくないんだけど、と言って自分のお茶とピンク色のピルケースに入った錠剤を差し出す。
「二錠飲んで」
「え、あれ、これ…」
「いいから」
「でもこれ、生理痛の薬じゃ…」
「そうそう、超強力な痛み止め」
ピルケースだと思ったそれは女子向けの薬のパッケージで、月島はちっぽけなプライドと葛藤しなければならなかった。けれど菅原がぐいぐいとそれを押しつけて、最終的に薬を月島の口にねじこもうとするのだからたまったものではない。月島は観念してその錠剤を飲み込んだ。
「少し横になろう」
菅原は自分のジャージを脱ぎ、くるくるとまとめて枕を作った。それに静かに月島を横たえると、さらに自分の学ランを上にかけてやる。月島はもう情けないことこの上ないという顔になり、「すみません」「ありがとうございます」を繰り返した。菅原はそのたんびに「いいよ、気にしないで」を繰り返す。三十分もしないうちに頭痛はよくなってきて、蛍光灯もそんなに眩しく感じなくなった。もうすこしすれば動けるようになるだろう。
「スガさん、あんな薬どこで手に入れたんですか」
「んー?ツルハで買った」
「いや、そうじゃなくて、まぁそうなんですけど」
「俺こないだ捻挫してさー。それの鎮痛剤にいいよって、教えてもらったんだ」
月島は誰に、とまでは聞けなかった。まくら代わりのジャージや制服から、いつも菅原が使っているデオドラントスプレーの匂いがした。男なのに、マスカットだか、ピーチだとか、なんだかすごく甘い匂いがして、どきどきする。それがなんだか申し訳なくて、月島はゆっくりと身体を起こした。
「もう大丈夫なの?」
「はい。ありがとうございました」
「そう。ならいいけど…。あ、なんか、月島、眼鏡かけてないとわりと童顔なんだね」
「え、」
月島はそういえばいつもよりずっとぼやけている視界に、ぺたりといつもエッジがあるあたりを確かめる。外したままどこにやってしまったのか。ペタリペタリと畳をなぞるも、なかなか見つからない。
「眼鏡なら、はい」
菅原は床に転がっていた黒ぶちの眼鏡を月島に手渡した。月島はそれをさっと受け取り、すぐにかけ直す。
「なんかもったいないなぁ。月島の裸眼なんてレアなんだし」
「そんな食玩みたいに言わないでください」
「ごめんごめん」
さあ、そろそろ帰らないとね、と菅原は立ち上がる。上着を受け取るとするっと腕を通して、月島が着替えるのを待っていてくれた。それは多分部室に鍵をかけないといけないからなのだろうけど、きっと彼は月島を家まで送り届けてくれるのだろう。そう考えてしまう自分を、月島は舌打ちしたいような気持で見つめていた。
END