八日目





赤司が家に帰ると、ふわりと甘い匂いがした。おや、と思いキッチンを覗けば、紫原がオーヴンから焼き上がったばかりのクッキーを取りだしているところだった。バターがとろりと溶ける間際のような香りで胸がいっぱいになる。

「あ、おかえり、赤ちん」
「敦、今日は講義どうしたんだい?」
「うん、教授が学会で休講になった。暇だからクッキー焼いてた」
「そう。ならいいんだ。おいしそうだね」
「冷めたらわけてあげるー」

紫原が焼いたのはロッククッキーだった。こんがりと焼けた表面があんまりにも綺麗で、売り物と見違えるようだ。細かく刻んだアーモンドが生地に練り込まれており、造作も悪くない。ことお菓子作りに関して、紫原は面倒を嫌わなかった。

「じゃあ冷めるまでコーヒーでもいれようか。敦はカフェラテかな」
「うん」

キッチンは甘ったるい匂いでふわふわ浮いているようだった。赤司はケトルを火にかけながら、コーヒーの袋を冷凍庫から取り出す。そろそろ買いにいかなければ切らしてしまいそうだった。今はブルマンサントスだけれど、次は違うのが飲みたいかもしれない。クッキーと飲むなら、軽い口当たりのモカブレンドあたりでもいいだろう、と赤司はちらりと考えた。

「敦は将来パティシエになればいいのに」
「俺は自分が食べる分しか作りたくないよ。面倒だもん」
「僕はいいのかい?」
「んーまあそうだね。どうせ作るのは同じなんだし、誰かに分けたとこでかわんないよ。でもまあなんだかんだ誰かに食べてもらうのははじめてかな。そうだね、赤ちんがはじめてだよ」
「…そう」

ちょうどケトルが高らかに鳴った。コーヒーにお湯を注げば、甘ったるい匂いをかき消すような香ばしく苦味のある香りがキッチンに広がる。赤司はそれを少しだけ勿体無く思いながら、紫原の分もドリップする。そういえば誰かのためにコーヒーを入れるのははじめてだったかもしれない。他の誰かにもこうしてコーヒーを注いでみたいものだ、と赤司は思った。まあ、そのうちに。


END


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