抱き合ってもその暖かさはなく






静雄がものを食べなくなった。どうしてそうなったのかいつからこうなったのか誰にも、一番身近なトムにさえわからなかった。ただ仕事中に静雄がふらりとよろめいて、「どうしたんだ」と聞いてみたらかえってきた答えが「なんか食欲なくて」だった。静雄はもう一週間近くまともな食事をしていなかった。空きっ腹にビールやカクテルなどアルコール類をぶち込んで、たまにおつまみをもそもそ噛んでやる。そうしたらもう体重が5キロへった。なのに怪力は衰えなくて、いよいよおかしなことになってくる。近頃静雄は寒い寒いと寒がって、バーテンコスチュームに上着を羽織った。だがその十分後には暑い暑いと暑がって、ベストをバサリと引き剥がす。とうとうアホになったのか。トムは一寸悲しくなった。しかし食べないだけなら冷えるばかりだ。暑がる静雄は何をした。

「お前、吐いてるだろ」
「え、」
「手ぇ見せてみろ」

静雄の右手の甲には消えなくなった歯形があった。喉に指を突っ込んでいる証拠だった。なんでこんなことをと聞くのは容易いがそうすることで一体何が変わるだろう。静雄は悪戯がバレた子供のような顔で気まずそうにした。トムはうんうん考えてから「なんか美味いもんでも食いにいくか」と笑ってみせた。

「なるだけ高いもんにしよう。吐いたら勿体ねぇぞ」
「トムさん」
「寿司なんかどうだ」
「トムさん、だめなんです。だめなんです、何食ったって」

何食ったって腹に収まらない。静雄はぽとりと台詞を落とす。トムには拒食症関係で嫌な思い出があった。前付き合っていた女がソレになり、もう鶏ガラのようにやせ細った。けれど本人は痩せれば痩せるほど美しいと思い込んでいて、食べることを拒絶して食べれば必ずトイレに籠もった。もう見ていられなくて別れたが、その後彼女は死んだらしい。死ぬ直前まで幸せそうに笑って身体を揺らしていたというから恐ろしい。けれどぷつりと糸が切れたようになって、それぎり。どれもこれも聞いた話だ。どこかしらに脚色がこびりついている。けれどトムはそんなことがこれから静雄に起こるのかと考えると震えるような心地がした。静雄は救ってやりたいと思った。

「静雄、ちょっとこい」

トムは静雄を自宅に連れて行った。連れて行ってどうということもなかった。けれど数日は同居生活を営むつもりでいた。静雄も承諾した。彼は別にダイエットしたいわけではないのだ。食べる必要性は解っているのに今はどうしてか食べられない。時期が過ぎれば変わるやもしれないが、そんなのを待っていたら餓死してしまう。静雄は今、ちょっと不安定になっているだけなのだ。だから自分が近くにいてやれば少しは落ち着くかもしれない、トムはそう考えた。

けれど数日たっても静雄はいっこうに変わらなかった。ものは食べるようになったがすぐ吐いてしまう。みるみる痩せて、痛々しかった。髪が抜けはじめたので「ハゲになっちまうな」とトムが冗談を言ったら静雄はへらへら笑うばかりで、トムは息の止まる心地がした。静雄が可哀想で可哀想で仕方がなかった。カサカサになった唇に指を滑らすと、静雄はふざけて舌を出した。ぬるり、唾液が指を濡らす。トムの指先は冷たかった。さらにまぐまぐとくわえる仕草をしたので、ああついに。トムはもうどうなってもよかった。

「なぁ美味いのか」
「…はい」
「指くらいならなぁ、まぁいいか」

静雄は変な顔になった。唾液でベタベタなトムの指を口から抜き取る。それから、トムにキスをした。トムは別段抵抗しない。しかしまぁ随分すえた味のするキスだ。気付けばトムも随分痩せた。まともな食事が喉を通らなくなっていた。これではミイラとりがミイラ状態ではないか。おかしくなって笑ってみせたら、静雄が泣いた。


END



title by サーカスと愛人






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