Actions speak louder than words.
ことんと目の前に置かれたビールのラベルはアサヒだった。銀色のアルミ缶に黒の文字でアサヒと書いてある。それからスライスされたサラミとチーズがこれでもかと大人の階段をつくっていた。デューターはロックグラスに琥珀色のジャックダニエルをひっそりと注いでいる。
「俺のはビールとウィスキーしかなくてな」
言葉の端に少しだけ違和感を感じたが、今は別に深く問うべきではないだろう。有利はそれをちゃんとわきまえていた。
「なんか申し訳ないな」
「ビールは飲めるのか」
「いや飲んだことないけど」
「そうか」
あえて酒を、とは言わない。多分デューターは解っているだろうけれど、そこはプライドだ。プルタブを開けると小気味いい音がした。デューターが自然な仕草でウィスキーに口をつけたので、有利もおっかなびっくりビールに口をつける。なんとも言えない味がした。父親がよくうまいと言って飲んでいたビールはしかしお世辞にも美味しいとは思えず、むしろ不味い部類にあった。村田はよく慣れれば美味しいよと言っていたけれど、いつかこの味が舌に慣れる日はくるのだろうか。いただいた手前おいしくないとは口にできず、有利は少しだけ眉をしかめた。
「不味いだろう」
「うーん…独特の味」
「最初はそんなものさ」
ならデューターの舌はこれを美味しいと思っているのだろうか。有利は少し不思議な気分になった。
「ウィスキーはお子様には強すぎるからな」
「そうですか」
アルコールに度数があって、ウィスキーがやたら強いことくらいは有利も知っていたけれど、それでもカチンときた。デューターは美味しそうにグラスを傾ける。それが絵になるほど格好がよくて、有利はいつか自分も、と少なからず思った。デューターはそれを知ってか知らずかつまみをつまんで、またカランとグラスを鳴らす。有利はちびちびと不味いビールを飲んだ。
「…コンラートは酒癖が悪いんだ。こないだもそれで一悶着あった。まぁ、明日にはちゃんと謝ってくるだろうが」
「ああ、もう、どんな顔していいかわかんないよ。俺のファーストキスは男になっちゃうしね」
「それは気の毒だったな」
「ほんと、俺が女の子でなくてよかったよ」
デューターはそれに少し笑って、煙草に手を伸ばした。
「カスター?」
有利が箱をしげしげと見つめる。見たことのないデザインだった。といっても、有利が知っているのはセブンスターとマルボロくらいだが。父親も煙草を吸わないし、村田も煙草は吸っていない。興味も薄かった。
「キャスター。少し甘いんだ」
「へぇ。煙草はいいかなぁ」
「吸わない方がいい」
口にくわえて、チープなライターでカチリと火をつける。無意識なのだろう火を囲う左手が、妙に印象に残った。ふかすでもなくちゃんと吸い込んで煙を吐き出す仕草は慣れていて、きっとこういう姿に女子は胸を焦がすのだろう。息の詰まるような煙が僅かに有利の鼻についた。
「大人だなぁ」
ウィスキーのロックを片手に煙草だなんて、まるで映画のワンシーンだ。それにデューターの寡黙な雰囲気もよかった。これが六本木あたりのバーだったらきっと絵になる。有利はがじがじとサラミをかじった。ビールは半分以上残っている。デューターはすぐに短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「お前が子供なんじゃないか」
「うるさいなぁ」
有利はまた一口ビールをあおった。少しだけ頬が熱くなって、頭の芯がチリリとした。これが酔うという感覚なのだろうか。デューターは早々にグラスをあけ、二杯目を注いでいる。なんだか急かされているような気がして、有利もビールをまた飲み下した。もう舌が痺れてしまって、はじめほどビールを不味いとは思わなかった。今更自分が未成年だと思い出し、いいようのないいたたまれなさが込み上げてきたが、ええいままよ、とまたビールを飲む。デューターの煙草はもう二本目で、有利の鼻もそれに慣れた。
「ゲロははくなよ」
「パッチテストでは弱くなかったから大丈夫」
「わからんさ」
デューターはゆっくりとグラスを傾ける。ウィスキーがやたらおいしそうで、とろりとしていて、キラキラと輝いて見えた。
「ねぇ、一口もらっていい?」
有利が思わずねだると、デューターは仕方がないな、とグラスを寄越した。ひんやりと冷たいグラスまで、なんだか躊躇っているようだった。有利は一口だけウィスキーをあおると、少しむせた。強すぎるアルコールがかっと喉の奥で焼けるようで、そして想像していたよりもずっと苦かった。デューターはそれみろと言わんばかりに意地悪な顔をして有利からグラスを奪った。
「ほら言っただろう」
有利は悔しかったが、なんだか頭がクラクラするような感覚に襲われて、何も反論できなかった。頭がぼうっとして、いまいち何を言っていいのかわからない。気づけば缶の中身は僅かになっていて、有利はああ、自分はお酒を飲んでいたんだ、と改めて思った。
「眠いならソファで寝ろよ。ベッドは俺のだ」
「部屋に帰れって言わないあたり優しいね」
「…まぁ…」
「優しいよ、デューターは…」
恥ずかしい台詞を惜しげもなく言えるのはアルコールの力だろうか。ソファに横になると、眠気が甘い波のように押し寄せてきた。とろりと微睡むように、有利は瞼を落とす。暖かな毛布が上にかけられたような気がして、やっぱり優しいなぁと呟いた気がしたが、それは脳内でのことだったかもしれない。しばらく、有利の横ではカランとグラスを傾ける音がしていた。カラン、カランと子守唄のように、静かに、優しく。微かに煙草の匂いを重ねて。
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次からはどうにかコンユにしたい。