涙だけでいいからなんて言うな







※捏造気味





彼女は涙というものを母親の肚の中に忘れてきてしまったようだった。少なくともグウェンダルはアニシナが泣いたところを見たことがなかった。しかしそれは言語という意思の伝達手段を覚えて以後のことである。泣かぬ赤子は病んでいる。アニシナが幼少の時、当然のようにグウェンダルも幼少であった。グウェンダルは人並みに涙を浮かべる子供だったが、アニシナはいつもきりりと口を引き結び、目をつりあげていた。眼球を保護する最低限の涙しか持ち合わせていないようである。彼女は恋をしたことがもしかしたらあったかもしれないし、大切な人をなくしたことも、もちろんあったかもしれない。けれどグウェンダルに限って言えばアニシナの涙を見たことは絶対になかったし、兄であろうと同じである。アニシナは泣かぬ女であると誰しもが思っていたし、とあるときまでグウェンダルもそうだった。

それはスザナ・ジュリアが亡くなった時であった。アニシナが彼女の訃報を受け取ったのは終戦間際であった。その時グウェンダルもすでに帰国しており、フォンヴォルテール城にて療養していた。アニシナにジュリアの訃報を知らせたのはグウェンダルであった。重苦しい空気に肺が押し潰されるかという時にアニシナはただ一言、「そうですか」と言った。そしてすぐに、いつものように変な薬を調合しはじめた。グウェンダルは変わらぬ幼馴染みの姿に、ほっとすると同時に痛ましいものを感じた。彼女の唇はいつものように艶やかで、美しく引き結ばれている。

それから三日も経っただろうか。グウェンダルはアニシナに呼び出された。

「さぁ、これを点眼しなさい」
「紫色だが」
「問題ありません」
「断る」
「そのような選択肢は用意した覚えがありませんが?」

グウェンダルはいつものようにもにたあにされるようだった。アニシナは凶暴な紫をした点眼薬を麗しい指でつまんでいる。せめてどのような効用なのかグウェンダルが尋ねると、彼女はいつものふざけたネーミングではなく、ただ一言「泣ける薬です」と言った。グウェンダルは氷塊が背筋を落ちる思いであった。

表情を強張らせるグウェンダルを尻目に、彼女は手の中の液体をもてあそぶと、いつもと変わらぬ表情で彼の顎をつかんだ。そうして上向かせ、一瞬でその薬を点眼してしまう。するとどうしたことだろう、その薬を点眼した右目からボロボロと涙が出て止まらなかった。そうでなくとも泣いてしまいたいほど情けないのに、涙がとめどなく流れてゆくので感情だけ取り残されてしまったようでもある。グウェンダルはとにかく右目を手で覆い、アニシナから顔を背けた。左目も潤み、自らが情けなくてたまらなかったからだ。

「どうやら成功のようですね」

アニシナはきりりと笑った。彼女の瞳からは弱さであるとか情けなさであるとか、そういった女々しいものが一切排除されていた。そこにあるのは凛とした強さと、引き結ばれた唇だけである。グウェンダルが被害にあったこの薬を、アニシナが使ったかどうかはグウェンダルにはわからない。彼女だけが知っている。アニシナは泣けない女だったのだ。ただひとつグウェンダルがわかって
いることは、その薬が限りなく成功に近い失敗作であったという、感情論的な事実だけだ。


END


title by 彗星03号は落下したらしい





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -