人なんて偉くない、僕と君だもの






性的な行為を無理強いされた女の子を慰めたことがある。慰めた、というのは身体的な行為ではなく、言語的なもののことを、当然ながら指している。その子は大学生になった男の先輩が東京で独り暮しをはじめたので一度遊びにこないか、と誘われた。そうしてまんまと遊びに行ったなら、服を脱がされ、身体を暴かれたということだった。女の子のなみだには不思議な作用があって、僕はその時そんなに女の子は悪くないと思ってしまった。よくよく考えならば、その男の思惑はあからさまに透けて見えていたし、女の子だってその男に明らかな好意を抱いていたのに。男も最低だが、女の子だって迂闊なのだ。もしかしたら僕は当時そのことがちゃんとわかっていたかもしれない。けれど気づかぬふりをして、女の子に君は悪くないよとハンカチを渡した。浅ましく涙を流す女は、可愛らしくいじましい。きっと僕をどうにかしたいのだと、頭のすみで考えさせてしまう力が、そこにはあった。空っぽで、ひどく滑稽なもののはずなのに、そこには男の抗えないエネルギーがあるのだ。

ヨザックを部屋に通した時、僕は淡い期待を抱いていた。壊れそうな防犯用のカラーボールを、両手でそっと抱えているような感覚だ。ヨザックは酒を持っていて、僕はそれを承知している。甘いリキュールと、シードルに似た少し渋いやつだ。それは眞魔国の特産品で、こないだまでヨザックが派遣されていた地方のものだった。僕は彼が派遣される前に、あすこの酒は美味しいから、買ってきてくれと言付けておいた。勿論渋谷に見つかれば面白いことにならないので、ヨザックには直接僕の部屋に持ってきてくれるようにと頼んだ。彼は渋谷が飲酒というものをしないので、少し驚いたような顔をしたが、すぐにわざと堅苦しく、「拝命つかまつりました、猊下」と言った。しかし口端はしっかりとシニカルに歪められている。僕はこの笑いかたが好きだ。渋谷はウェラー卿の笑いかたを「それまでの彼の生き方をあらわしているような笑いかた」と言うけれど、ヨザックのそれは違う。自分の人生というものを覆い隠し、嘲笑しているはずなのに、絶対的な自信と誇りを持っている。汚い
獣道を歩いてきた男の、魅力的な顔だ。

ヨザックは馴れた手つきでまずリキュールの瓶をあけた。氷は稀少品なので使わなかった。僕が所望すればきっとどうにでもなったろうけれど、過度の贅沢はあまり好ましくない。後ろめたいきもちになるからだ。それに酒に氷が入っていては、最後にせっかくのそれが薄まってしまう。村田はカクテルでなくばストレートが好きだった。ヨザックが銀製のカップに少し白く濁った酒を丁寧に注いだ。そうして手早く毒味をして、村田の前にそっと置いた。

「君も飲みなよ。ここは血盟城だ。見張りもたくさんいるし、君ひとり酔っぱらったって誰も叱ったりしないだろう」

ヨザックが簡単な城の見張り役なんてものをやっているわけはないのだけれど、村田はわざとそう言った。格好をつけなければいけなかったのだ。ヨザックは待っていました、と用意してあったもうひとつの木製のグラスに酒をついだ。

「いやぁ、猊下とご一緒させていただけるなんて、ギュギュギュ閣下なら卒倒しちゃう」

じゃあ君はどうなの?という野暮ったい質問はそっと喉にひっかけるだけにしておいた。豪奢な部屋の真ん中に、白い丸テーブルがある。椅子は二脚あってちょうどよかった。僕はヨザックに椅子をすすめた。そうしないとヨザックが座れないからだ。ヨザックは軽い礼を言って椅子に座る。普段は砕けた態度をとっているのに、こういう時ばかり礼節をわきまえていて困る。簡単に乾杯をして、僕はは酒に口をつけた。燃えるようなアルコールが喉を焦がす。そうして次に、ぶわっと果実の甘味だとか、酸味が口の中に広がった。アルコールはだいたい十五パーセント程度だろう。あまり酒には弱くないけれど、注意して飲む必要があった。つまみには乾燥させた肉や、野菜スティック、ピーナッツのようなものが用意されていた。実に庶民的だ。シェフが腕をふるったローストビーフや前菜はメインであるべきで、今日のように酒がメインならばつまみはつまらないものでも充分なのだ。僕はそういった自分の嗜好をわきまえていてくれるヨザックに充分すぎる好意をいだいていた。

アルコールは理性を少しずつ、少しずつ溶かしてしまう。それは冷たい水に浮かべた氷のように。少しずつ、しかし確実に、充分に溶かしてゆく。僕は自分が酔っていることを自覚していた。ゆるやかに視界が揺らぎ、頬は上気して、温かな睡眠欲がヴェールのように僕を包んだ。ヨザックも僕と変わらない程度の酒を飲んでいたけれど、彼はいつになく饒舌で(それは酒を飲んでいたからかもしれない)、とろりとしてきた僕を気遣うようなしぐさをするのが、気に入らなかった。

「ヨザック、もうわかってるんだろう?」
「なんのことか、さっぱり」
「寂しいんだ。相手をしてくれないか」

ヨザックは一瞬妙な顔をした。けれどすぐに、「ご命令とあらば」と答えた。僕はただただ、彼を手に入れたい一心で、「じゃあ、命令」と言った。酒がはいっていたにしても、愚かだ。

ベッドに倒れ込めばあとは簡単だった。ヨザックはとことん僕をきもちよくさせてくれた。キスは甘かったし、舌も熱かった。余計なことは考えずにセックスをして、眠りについた。そうして目覚めたなら、当然のことのように彼は隣には居なかった。僕は心臓の止まる思いがした。朝の日差しは冷ややかに僕を貫き、頭が重たく、胸はむかむかして、最悪の目覚めだった。とにかくさっさと顔を洗い、いやなにおいのこもった口をゆすぎたい。なんだか今日はいいこととは縁遠い日になりそうだ。

次にヨザックに会った時、彼はなにもなかったかのように振る舞った。正しくは普段通りだったわけだが、僕は絶えず二日酔いのような胸のむかつきに耐えなければならなかった。頭に権力という言葉があぶくのように浮かんでは消え、消えては浮かんだ。氷にさえ使わなかった権力を、僕はたった一人の男に二度も勝手な理由で行使しようとしている。なんて浅ましいのだろう。僕も健全な十六歳なのだ。今ならあの女の子が涙を流した理由がわかる気がする。こういう自分の迂闊さを正面からつきつけられた時、一番必要なのは同意と同情なのだ。それが正しいか正しくないかに拘わらず。


END


title by 彗星03号は落下したらしい



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