タイトルのない映画






人の身体から出るものは汚いものだ。糞尿は勿論、汗も鼻水も汚ならしい。身体の中から出てくるものが汚いのなら、身体の中はどれだけ汚いのか、想像できない。志摩は小さいころから家同士のいさかいに育てられてきたので、そういうことを思いつくのだ。眼に見えるものは勿論、眼に見えないものも、腐って、すえた匂いを出している。生まれたての子供はまだましだ。お母さんのお乳を飲んでいるうちは、身体の中が乳白色に洗われて、便もそんなに臭わない。だが赤ん坊とて命を食べ始めたら、もう猛獣なのだ。酷な世の中だ、志摩はいつもそう思う。ぬるま湯にひたっているうちに深い眠りにつけたらと思うのだけれど、現実はどうにもそういかん。儘ならない、ままならないな、と志摩はよく頭で繰り返す。一番上の兄が死んだのも儘ならない、金造がどつきよるのもままならない、勉強があかんのもままならない。志摩はいつもいつも唱える。唱えるからといってどうにかなるわけではないのだけれど、とにかく唱える。そうするとおセンチな気分になって、自分がぐっと男前に
なるような気がした。そういう勘違いも、人生には必要なのだと、志摩はちゃんとわかっていた。

人が身体から出すものはそういえばなるだけ人の眼につかぬようつかぬようと始末される。また出す行為も眼につかぬようつかぬようと隠される。ならばいれる行為はどうなのだろう。食事は随分おおっぴらに行われるがセックスは眼につかぬようつかぬようと隠される。食事も口を開いてはいけない決まりになっている。人間は身体に何かを取り入れたり、取り出したりするのを汚ならしいことだと思っている節がある。あるいはものを出し入れする時に見え隠れする内部を他に晒したくないのかもしれない。志摩はそんな、汚ならしい内面をひたすらに隠しとおすように外見を飾る人々を、浅ましいと思うと同時に、自分も可愛そうだと思った。志摩は外見の綺麗な女の人が好きだったからだ。隠されると暴きたくなるのがほんとうだ。そういうひた隠しにされている汚いものを、志摩は日頃暴くことに専念する。綺麗な女の人と寝てみると、すぐに成果は出る。例えば脚の付け根のにおいがひどいだとか、化粧を落とすと案外地味だとか、尿の色や匂いがよろしくないだとか、そういった類
いだ。志摩は多分、人を愛するのに向かないタチだった。そういう身体から出たり、入ったりする汚いものを見て、一瞬でも愛した人に失望し、愛を失ってはじめて、安心する。

「映画みにいこう。雪男は忙しいんだってさ」
「ああ、この映画みたかったんや、ちょうど」

燐は映画のチケットをひらつかせた。近頃話題の泣ける系映画だった。燐はつくづく感動するものが好きだ。こないだだって、授業の合間に泣ける漫画を読んで奥村先生にそれを没収されていた。志摩は泣ける映画よりも華やかなアクションやスリル満点のホラーが好きだったが、この映画はほんとうに評判がよかった。ありがちな男女の恋愛ものだったけれど、どこか今まで掃いて捨てられてきたものとは違うらしい。様々の綺麗な言葉でもって、批評されている。それはすこし滑稽なほどに。

とにかく志摩は燐と映画を見ることになった。放課後に制服のまま街に出ると、そこは随分冬めいていた。コートを着込み、これでもかとマフラーを巻き付けた人々でごった返していた。いかにも冬らしくて、秋物のダッフルコートだった志摩は、とても寒々しい気分になったものだ。映画館は中央の広い道から少し入ったところにある。お酒の飲める店に囲まれて、随分居心地わるそうにしているのがそれだ。ヴィンテージという言葉がぴったりなそこに男ふたりで入るのはなんだかしょっぱい気がした。実際、それなりに込み合った館内には男女もしくは女の子のグループが目立った。なんだか恥ずかしくて、志摩も燐もさっさと席についてからはあまり口を利かなかった。お互い隣にそれなりに可愛い女の子が座っていたからかもしれない。どちらもカップルだったけれど。暗くなるまで、そんな水風船のような世界が二人の間に横たわっていた。映画がはじまるとどうでもよくなる程度に、ふたりは思春期だったのだ。

映画のクライマックスで、なにやら隣からぐずぐずと嫌な音が聞こえる。なんだなんだとちらりとだけみるが、志摩はあっとなってすぐに視線を戻した。なんのことはない、燐が泣いていただけなのだが、その汚ならしい表情とは裏腹に、燐の涙は映写機からこぼれる光が反射して、まるで宝石のようだったのだ。綺麗な心と美しいものが溶け合って沁み出したのが、燐の涙だった。とても純粋な、悲しいという気持ちを凝縮したような、貴重なエキス。志摩は今まで自分が見てきたものはなんだろうと思った。映画の内容よりもずっと、そのことに感動した。

帰りに二人でファストフードを食べたのだが、燐の食べているハンバーガーがとても美味しそうで、美味しそうで、志摩はおかしくなった。とろりと、熱いオーヴンにバターがとけるように、恋に落ちたのだった。陳腐だと思った。あの、今見てきた感動を結集したストーリーとは比べ物にならないほどありふれていて、美しい感情だ。志摩はようやく、初恋というものの味を知ったのだった。


END





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