結局はくだらない誓いでしかない






真っ白なシャツを洗濯するのは嫌いだ。変な黄ばみだとか、女の人の肌の色がうつっているのはなかなかとれない。雪男は面倒なのは嫌いだった。漂白剤をたらして、しばらくおいて、また洗濯だなんてとんだ二度手間だ。子供の頃から、そうだった。修道院では掃除や洗濯の係が事細かに決められていて、雪男は掃除は好きだったが洗濯は嫌いだった。小さな子が涎をたらしていた服を洗うのは苦痛だったし、下着なんてあの薄汚れた下肢を包んでいた物体だ。兄はたとえ、特に女の子の肌着に黄色くてカサカサしたものがついていても気にせずざばざば洗った。それが雪男は信じられなかった。洗濯はいつも苦痛のかたちをして雪男に立ちはだかった。けれど雪男が仕事をサボることはなかった。仕事はルールだ。ここにおいてもらっている以上、義務は果たさなければならない。大人はそれを「お約束」と呼んだけれど、雪男はそれはお約束ではなく、ギブアンドテイク、ルールであると思っていた。自分たちが法律を守ることで、法律が自分を守ってくれるのと同じように、様々の仕事を
することで、修道院は雪男を保護してくれる。

「明日は買い物に行くか」

藤本は雪男のガンケースが随分くたびれたのを見て、顎を撫でた。

「本当に?約束だよ、父さん」
「指切りするか?」

興醒めしたような気持ちだった。雪男はそっぽをむいて見せる。ささやかな反抗期が訪れていたのかもしれない。

「指切りは嫌いなんだ。五本も指があるのに、一番弱そうな小指を絡めるのは、昔から約束がやぶれやすいってみんな知ってるからなんだ、きっと。そういうの、嫌いなんだ」

今思い出せば顔から火が出るようなセリフを、さらりと言ってしまえるのも若さの特権なのかもしれない。藤本はおおと少し驚いてから、なんだそんなことかと肩を竦める。オーバーリアクションが、何故かキザでない。藤本はそういう男だった。

「小指はな、要なんだよ。小指がちょんぎれてみろ。俺たちはまともにものをつかむこともできなくなる。力も随分落ちる。真っ直ぐ歩けなくなる。指切りはなぁ、約束を破ったらその要が無くなるほど重い罰を受けますよっていう気持ちをだな、現しているんだよ」

ためしに小指を使わずに俺の手を握ってごらん、と手を差し出す。雪男は言われた通りにしたが、うまく力がつたわらなかった。藤本はほらな、と笑い、だから、と小指を出す。雪男はもう黙って小指を差し出すしかなく、口のなかで指切りげんまん、と口ずさみながら、ああこの人はすごい人だなぁと心底尊敬の眼差しを藤本に向けたのだった。

藤本の与えてくれたガンケースはとても高価だった。何度も替えるよりはいいものを自分になじませて長く使った方がいいというのが藤本の考え方だった。雪男は大切にするよ、約束する、と言って藤本に小指を差し出した。指切りげんまん、と聞きなれた童謡が、二人の間に流れる。その時間だけ、雪男はお約束もルールも、あまり変わらないものなのではないかと考えた。どちらも破ったら信頼を失うのだ。真っ直ぐに歩けなくなるのだ。

雪男は約束通り、藤本から与えられたガンケースを大切にした。だんだんと色が褪せたり、革が擦れたりしていく様は、あの約束が風化していっているようで胸が痛んだ。藤本が死んでからは尚更そうだった。雪男はもう誰かの肌着を洗うことはなくなったけれど、洗濯は未だに嫌いだし、約束がとても破れやすいものであることも知ってしまった。けれど真っ白いシャツを綺麗に洗濯して、ぱりぱりにノリをきかせて、すっきりと袖を通した時の、その清潔な冷たさは好きだった。藤本のシャツはよくしわがあったが、彼はこの冷たさを知っていたのだろうか。雪男はいつも、そんなことを考えながら身支度をする。これから先も、しばらくは、ずっと。


END


title by サーカスと愛人




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