悪い虫





雪男は近頃とても体調が悪かった。もともと身体が強い方ではなかったが、この頃までは別段不調を感じることはなかった。だのにここ数日の体調ときたらすこぶる悪いのだ。ちょっとしたことで頭痛をおこし腹痛をおこし、なんにもやる気にならないが、まぁやらねばならないのでやるのであるが、そうすると決まって胸が苦しくなったり咳が出る。雪男はあまり他人に頼りたくないたちであるので、同僚の無精髭がよい医者を紹介してくれると言うがあまりあてにならないだろうと蹴った。この無精髭というのは雪男の頭の中だけのあだ名である。そういえば父親も無精髭が多かった。人格というものでこれほど違って見えるのか。とにかく医者には行こうと、とりあえず一番近場の内科にかかることにしたのだが、その病院はわりにきれいな内装だったのだが、まぁ医者の胡散臭さといったらなかった。無精髭に白髪が混じり、髭に白髪が混じるということはつまり頭は汚ならしい白髪混じりの灰褐色で、しわくちゃの白衣で、曇りがちの見えづらいことこの上ない瓶底眼鏡をかけ、酒焼け
でもしたのか赤みの強い低い鼻をしていた。雪男はなんだか信用ならない気がしたが、腐っても医者だろう、免許はあるだろう、にしては待合室には信仰深そうなじじいとばばあ、もとい、お年寄りしかいなかったな、などと考えながら結局は病状を事細かに医者に伝えるのである。するとこの医者、したり顔にて「あぁあなたの身体には悪い虫が住んでいらっしゃるようだ」と宣った。悪い虫というのはこのヤブなりの比喩だろうと雪男はまだ真剣に話に耳を傾ける。

「弱虫ウジ虫、おや泣き虫もいるようだ。ふむ、嫉妬虫に傲慢虫もいるようだ」

ここいらあたりで雪男は聴く気をなくし、頭の中で次に近い医者に行くことと、念のためあの無精髭にいい医者を教えてもらおうかと考えはじめる。だのにこのヤブ、口だけは達者なようで「まぁまぁ冗談なのか冗談でないかはさておき、あなたのそれらはストレスがとりあえずの原因のようですのでこれとあれとそれを処方いたしますので毎晩寝る前に飲んでよくよく眠ってみてください。一週間たったらその翌朝に悪い虫はぞろぞろと軍をなして身体の外へ出ていくでしょうよ」とわけのわからぬことをほざきやがるが雪男はとりあえず頷いてから、くすりを受け取りさっさと帰宅した 。面倒だったから、この一言につきる。だがしかしとにかくその晩雪男はヤブに処方されたくすりを飲んでみた。くすりなんぞどれも同じ味のするものだが、なんだか苦い気がした。毒ではないだろうがしかし領収書だけはきっちり財布にしまっておこうとこころに決めて雪男は眠りについた。

翌日目覚めてみると気分爽快素晴らしい目覚めを記録し、頭痛も腹痛も治まりさらには視力まで回復している、だなんてことはさらさらなく、いつも通りの陰鬱な朝だった。課題も資料も溜まっているしストレスもそれに比例してグラフを突き破る勢いである。なんだか腹のあたりがむず痒いのだが誤差の範囲内である。あれは確実にヤブだったと雪男はとりあえず無精髭に医者を教えてもらったのだが、教えられたのはあのヤブであったのだから神様は糞野郎なのだ。同じ地区内に医者なんてそう存在しないものである。とりあえず一週間は様子をみようと雪男はくすりを飲み続けた。するとだんだんと腹のムズいのが大きくなってきて、七日目あたりにはもう眠れないほどであった。腹の中で何か蠢いているような、はい回っているような、とにかくひどいのだ。そうしてあまり寝付けずに迎えた八日目の朝、なにやらヘソのあたりで蠢いているなと布団をとってみるとなんと百足の頭の潰れたのが手前の腹から這い出してくるではないか。雪男が目を疑っていると百足はうんとこしょと身体
を引きずり出し、さも寂しそうな目で、といっても頭は潰れているのだが、とりあえず一例してどこかへ行ってしまった。そして次に蝉の羽のないやつが、蜻蛉のしっぽがひしゃげたやつが、うじの細長いやつが、とにかく多種多様な虫が雪男の臍から出てきては寂しそうに一礼して去っていくという珍現象が起きた。最後にでてきたのは青虫だった。こいつだけは身体に欠けたところもなく、雪男に一礼することもなくさっさか去っていった。とにかく医者の言うことに嘘はなかったのだ。雪男はなんだか気分は悪かったが体調は驚くほどよろしくなっていた。どうやら手前の身体には本当に悪い虫が巣くっていたようだ。そうして、朝の身支度をはじめるのだが、何かおかしい。はて鏡にうつるのはたしかに手前なのだが、なんだか本当に自分なのかよくわからなくなって、最後の青虫が妙に気になって、わけがわからなくなって、そして、そして、そして…



END






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