Stark black
「愛してる」
金造はこの言葉に大層弱かった。柔造にどんな無理難題をふっかけられても大抵この一言で片がついてしまう。たとえ愛してるから女を抱いてこいと言われたとしても、金造はそうしてしまうのだ。まるで魔法の言葉である。柔造が金造にその言葉を言うとき、彼は決まって金造のピアスにキスをするようにして囁くのだ。そうして抱きすくめられ、脱色のしすぎで傷んだ髪を撫でられれば、金造に抗う術は残されない。柔造はそれをよく知っていたし、金造は柔造がそれを知っていることを知っていた。金造は賢かったが、馬鹿でありたかった。
ある日柔造は少し敷居の高いホテルを借りた。金造はわけのわからぬままその部屋へ迎え入れられ、阿呆のように口をあけた。部屋はそれなりの広さがあった。スイートではないが、一泊するに金造の月のバイト代で足りないかもしれないとは思った。床は絨毯が敷かれているところと、ピカピカに磨かれた大理石が露出しているところがあり、リビングと寝室は別になっていた。全体的にオフホワイトとブラウンで統一されており、現代的な絵画がそれとなく飾られている。趣味はよかったが、金造にはどうも居心地が悪かった。
「これ履いて、1日この部屋歩きまわって。座らんといてな」
そう言って柔造は白い箱を金造に投げた。まだ未開封で、簡単に包装されているそれをあけてみると、中身は黒のピンヒールだった。爪先が人を殺せるんじゃないかというほど尖っていて、つやつやした素材でできている。とてもシンプルなパンプスだった。ただしヒールは10センチほどもあり、金造ははじめ何を言われたのかわからなかった。これは女のひとが履くものである。
「柔兄、これ女の人のやん」
「サイズは合うとるよ」
「そうじゃなくて」
「いいから、いい子やから言うたとおりにしたって」
金造はしぶしぶ素足をそのピンヒールに通した。細身のジーンズにパンクなロングTシャツという格好に、それはずいぶんそぐわない。また、ウェッジソールならまだしも、ハイヒールなど生まれて一度もはいたことのない金造にとって、このピンヒールは恐ろしく不安定に感じられた。歩こうにもその場から動けないし、下手に動くと足首を捻ってしまう。中腰の体勢のまま柔造に目をやると、いつもの優しい目で見つめ返してくるばかりだ。
「柔にぃ、足痛い」
「我慢したって」
「なんで、なんで」
「愛してるよ」
柔造はいつものように金造のピアスに囁きかけた。黒いピアスだ。しかし僅かに赤みがさしている。これをされてしまうと金造はもうだめだった。四男という生き物は愛されることに貪欲だ。
柔造は金造をよくよく歩かせた。あれをとってこい、これを取ってこいと、何かしらの命令をし、そして金造がそれをすると必ず褒美をした。金造が歩くといちいちカツンコツンといい音がする。まるで音楽のように。だがそんなことを二時間も続けていると、金造の足はもう悲鳴を上げて、立つことも苦痛になってくる。無防備な素足はミミズがのたくったように赤く腫れ、爪先は爪から真っ赤になり、小指は擦りむけた。それから歩くたびに足を挫くので、右足首は青くはれあがり、左も同様に何度も捻挫している。
金造はもう立っていられなくて、床に座り込んだ。これ以上したら明日の警邏の仕事がまともにできなくなる。半泣きになりながら柔造にもうええやろとこいねがうが柔造は悲しそうな顔しかしてくれない。
「もう嫌や!!柔兄は何がしたいん!?明日の仕事できひんわ!!」
黒いパンプスを脱いでみると案の定足は赤だか青だか紫だかわからない色が疎らにこびりついていて、久々の解放感に呼吸をしたようだった。柔造はその痛々しい足をみて、金造をやっとベッドに運んで座らせた。
「堪忍な」
柔造は一言詫びると、金造の足を労るように舐めはじめた。むれたせいですえた臭いがするだろうと金造は引っ込めようとするのだが柔造は離してくれない。小指の擦りむけたのをじりじりと舐められ、金造はついに泣き出した。とても痛い。舐められた足が痛い。柔造の掴む足首は折れそうだ。実際、ふだんより三割ましに腫れている。柔造のなめかたは金造を興奮させるような類のものだったが、金造はそれどころでないのだ。かれが唾液で濡れそぼった舌を金造の足に這わせるたび、金造は違う意味でのたうった。
「柔兄、柔兄、堪忍して!痛い!!痛い!!」
「かいらしい、かいらしい。愛してる」
「なんなん!柔兄どうしたん!あ、」
結局足の皮がふやけてボロボロになるまで金造は離してもらえず、もう痛みでぐったりした頃、やっと柔造は彼を抱き締めた。
「愛してる」
金造はもう答える気力もなくて、ただ黙っている。柔造は幸せそうに金造の首に顔を埋め、あいしてる、と繰り返した。金造が首を巡らすと、柔造が持ってきていたのか、蹴り転がされたのか、ベッドルームの柔らかな床に黒いパンプスが転がっていた。それは何かを殺せそうなフォルムをして、安っぽく光を跳ね返している。
END
主催企画用に書きました
→跪いて足をお舐め