プラトニックラヴ





(つまり俺たちが「愛してる」だなんて安い言葉を紡ぐ度にほんとうの愛はこの世界で歪んでゆくということか。)

村田は教科書を閉じてインテリジェントなことを考えた。安い愁情だ。現代社会の授業は嫌いじゃない。今日は哲学をした。近頃はプラトンからへーゲル、その後のフォイエルバッハなんて舌を噛みそうな哲学者たちの思想を薄っぺらになぞっている。

そういえばあちらの世界はどことなく西洋だから、西洋の考えに似ているのだろうかなんて考えて、やめた。あちらの世界にはプラトンもへーゲルもカントもいなければ、プラトニックなんて言葉もない。

哲学をしていると、村田は頭がぼわっとする。その状態だといつもより深く物事を考えられる。プラトンの言うことはつまり、目に見えぬことがほんとうなのだ。この現実に存在するものは結局理想の歪んだ紛い物で、理想が物質を通過するとどうしても歪んでしまうのだ。だからほんとうの愛のかたちなんて人間にはわからない。理想を考えた時点でそれは完全でなくなってしまう。だから人が「あいしてる」だなんてどんな国の言語で言ったとして、それはほんとうの愛の言葉ではないのだ。

そんなことを思うと、村田は今まで手前が他者に多大な努力でもって伝えてきた愛は、どうして、やすっぽいのだろうと思い、恥じ入るような心地がするのだ。どうしようもない寂寥が胸を抉る。こんなとき、あちらの世界が恋しくなる。そこにイデアはないにしろ。

「言葉ってさ、すごく便利だけどすごく難しいなって最近思うよ」

有利の言葉は一瞬村田の身体をすり抜けて、消えた。

「どうしたんだい?」
「いや、自分がよかれと思って伝えた言葉も変に受けとめられちゃうもんなんだなぁって」
「たとえば?」
「…好き、とか。クラスの子に誤解されちゃって」

村田は心底有利が好ましいと思った。彼にかかると重厚な哲学が慎ましやかな日常に様変わりする。

「渋谷はさ、哲学好きかい?」

有利はたちまち渋い顔になる。

「プラトンはね、こう言うんだ。この世界はなにもかもが不完全で、どうしようもないくらい歪んでしまっている。言葉だって。でも目に見えない理想的な世界があって、そこでは全てが完璧なんだ。言葉も、こんな食い違いをおこすこともなく、喉を枯らすこともなく…」

何もかもが完璧なんだ。それをイデアと名付けよう。イデアには1つだけ欠点があってね、それはこっちの不完全な世界の物質に反映しようとすると結局不完全になってしまうってこと。僕たちはイデア界から言語を引っ張ってきたところで、結局は歪んでしまうんだよ。

「まぁ、もともと不完全なものを使おうと不完全な僕たちが足掻くわけだから、難しいのも齟齬が生じるのも当たり前なんだよ。それを1つでも多く拾い上げて修正できたなら、幸せなんじゃないかなぁ」

夕暮れの暖かなスペクトルが街路樹に跳ね返り影を落とす。こんなにもありふれた日常は美しい。これ以上の完璧を、村田は思い描けないのだ。それが全てだ。

「村田、難しい」
「片言になってるよ?大丈夫?」
「まぁ…哲学とか、苦手だし。俺は現物主義っていうか…。まぁ、クラスの子のもうまく訂正できればって…」
「ごめんごめん」

君には簡単すぎたね、と村田は内心に付け足した。そうして、ふと考えて、「渋谷、愛してるよ」と呟いた。有利は立ち止まる。プラトンも結局はただの人なのだ。


END





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