サイレン






汗ばむ空気が密度を濃くした。トムの使っているフレグランスか何かの匂いが、汗臭さに混じっていやらしく香り立つ。静雄はこの匂いが好きだった。だからトムとするセックスも好きだ。彼は絶対に強要してこない。「来い」とも「来てくれ」とも言わずただ「おいで」と唇に乗せる彼の腕の中は静雄にとってどれだけ幸せな空間だろう。彼の空気に染み込んだ優しさに甘えることは一種のドラッグだ。静雄は薬の類はやったことがなかったけれど或いはこういうものではないかと想像する。

「そういや、桜、開花らしいな」
「それ、普通今言います?」
「なんか会話しながらのが緊張ほぐれんべ」
「トムさんも緊張するんすか」
「まぁな。お前はどうなの」
「ああ、俺はしない、です。多分」

静雄の健康的な肌に赤い斑点がぽつりぽつりついている。歯形だ。静雄はセックスの度に「噛んでください」と首筋から腕、腹の肉の薄いところを差し出した。「痛いくらい」と悲しいような顔をして言う。トムはなんとなくその理由がわかっていたので、綺麗な跡が残るように噛んだ。服に隠れるところに歯形が並ぶ彼の肌は、まるでアレルギー患者のようだ。突き詰めれば突き詰めるほどに静雄は自分を守ろうとして逆に苦しんでいるのだった。トムが目一杯噛んだところでさほど痛くなどない。ただ赤い痕が卑猥なにおいを発するだけだ。それを見た時静雄はほんの僅かに満たされて、強烈な欠落感に襲われる。それでもトムが噛んでくれている間に感じるチリチリと焦げるような微かな痛みは静雄に涙を流させた。そういう時は決まって手のひらで顔を隠す。そうしなければいけないという決まりが、たしかに静雄の中には存在した。

「トムさん、噛んでください」
「ん、」
「跡残るくらい」

静雄の肌は若々しい弾力でもってトムの歯を押し返してくる。今まで何回もこれを味わってきたけれどこの肌がぷちりとでも切れたことは一度としてない。それを知って、静雄はまた一層思い知り、満たされる。もっともっとと強請ってしまう。鏡に映る自分を見て、静雄が好きだと思うのはこの赤みだけだった。トムが静かに顎に力をいれると肌が赤く色付いた。鎖骨のあたりにできたそれは、静雄を苛み、癒やし、空気に溶ける。息を二回吸って、吐いて、静雄はゆっくりと掌で顔を覆った。トムが顔を上げて「痛かったか?」と尋ねると「少しだけ、です」と答えた。それが精一杯の強がりだった。


愛しい痛みとかそんな綺麗なものじゃなくて、


END



うん、噛んでほしい静雄が書きたかっただけ。





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