冷たくて苦しい炭酸




僕はね、今でも少しだけ、後悔しているような、後悔してないような、不思議なことがあるんだ。百年とか、二百年とか、君と、いったいどれだけの付き合いだったかわからないし、隊長になってからはもっとずっと顔も合わせなくなったけれど、君の存在は確かにどこかで感じていて、それは霊圧からしたらなんら不自然なことではなかったけれど、そういうんじゃなく感じていて、それが、いつだったか僕たちが隊長だっていうのに二人して、暇を貰って、一緒に現世に遊びに行った時に飲んだ、あの飲み物に似ているんだ。


1945年の夏、僕たちはそう、東京とか、長崎とか広島とか、そういう、ひどい戦争の爪痕が残っていない、どこかのどかで、けれど緋想と絶望に近いものがどこかに転がっている場所に来ていた。暇が許されたのは、多分嘘で、これは暇なんかじゃなくって、現地視察ってやつなんだろうなあと、僕はちゃんとわかっていたし、浮竹だってわかっていたはずだ。このあとはちゃんと、東京にも、長崎にも、広島にも行くさ。でも少しの寄り道くらい、許されたっていいじゃないか。

「日本では、こないだやっと、戦争が終わったそうだよ。知っているだろうけど」
「……そう。『やっと』なんて言うけどさあ、瞬きひとつの時間じゃない。僕らにとっちゃさ。戦争なんて、はた迷惑な話だよ。たくさん人が死ぬんだから、こっちの仕事も増えるんだ。現世じゃ科学がバカみたいに発展しちゃってさ、もう、ボタンひとつで何千人って殺せるんだ。生きてる人間って、なんて残酷なんだろうねぇ」
「……京楽は、隊長になってから、随分、皮肉がうまくなったな」
「……僕は昔っから、そうだよ。きっと、君と知り合う前から、そうだったんだ。けど、それを出さなくっても、よかったってだけの話。性分なんだ、きっと」
「物事の本質がよくよく視えていないと、皮肉なんて、言えないものさ。的が外れて恥じをかくだけだからね。でも君は不器用なんだ。真実はいつだって残酷だから、それをどうにか、やわらかい膜で囲んで、覆って、わかる人にしか視えないようにしてから、言の葉に乗せる。君は優しいから」
「褒めても、男にはなんにもあげないよ。僕は優しくないからね」

そんな会話をしながら僕と浮竹が街の中心くらいまで来ると、喫茶店があって、そこに「ルーエャージンジ」と看板が出ていた。僕らは夏の暑さで喉が渇いていたから、「少し休んで、そうしたら、義骸を脱いで仕事しようか」と言った。浮竹も「そうだな」と言ったので、やっぱり、浮竹もこの現世行きの意味をちゃんとわかっていたようだった。僕たちはちゃんと会話しなくっても、どこかで分かりあっている。そういう安心感が、僕はとても好きだ。けれど、こういう関係って、いつかどこかで破綻するってことも、わかってた。破綻する時っていうのは、だいたいどっちかが死ぬ時で、そうして、そのときどっちかが、どっちかに、何か、今まで共有してこなかった、何か大切なものを、軽いもののようにひょいっと預けていくんだ。そうだね、僕だったら、うん、なんだろう。狂骨の中にあるもの、とか。そんなの預けられるの、浮竹以外、いないじゃない。

僕たちが入った喫茶店は地方にしては洒落ていて、現世で流行りの風貌をしていた。店内には終戦直後だっていうのに、ジャズが流れ、こないだ玉音放送を聞いただろう人々が、これから津波のように流れ込んでくるだろう文化を、しみったれた顔でむさぼっている。きっと、戦時中はこの店、開けていられなかったんだろうなあと、僕は思った。僕らが窓際の席に着くと、僕たちの身長や、浮竹の髪の色から、外人と間違えたのか、少ししゃちこばった店員が「は、ハロー?」と声をかけてきた。僕はそれに「ああ、日系だから日本語で」と答える。下手に日本人面できる風貌でもないから。

「そうでしたか。ご注文は」
「ああ、そうだ、京楽、注文表を見ていない」
「表に出てたやつがおススメなんでしょ。ねぇ店員さん、ジンジャーエールって、なんだい?」
「生姜の炭酸水です。うちのは、少し辛いです」
「そう。面白そうな飲み物だね。じゃあ、それをふたつ。浮竹、腹は?」
「いや、空いていない。以上でお願いするよ」
「かしこまりました」

ほどなくして、僕たちの前には、麦茶が泡を噴いているような飲み物が出された。浮竹が「なあ、炭酸ってなんだ?」と聞いてきたので、僕は「んーなんだったかなあ、この国には何年前に輸入されたんだっけ。僕も飲んだことないんだけど、隊士たちが騒いでたから、おいしいんじゃない」なんて返しながら、その茶色に口をつけた。

そうしたら、口の中で何かが弾けて、慌てて飲み込んだら喉が焼けて、ぱちぱち、ぱちぱち、のど越しはさわやかなのに、後味はひどく辛くって、僕たちはしばらく、涙目で口元をおさえていた。それなのに、ひとしきり余韻が過ぎたら、またあの衝撃が欲しくなって、茶色に口をつけて、二人して、笑った。現世は残酷な科学技術だけじゃなくって、こんな面白いものも作り出していたんだなあと、僕は救われた気がしたよ。文化って、そういうものだ。


それから戦火の酷かった東京を視て、もっとひどいところも視て、僕たちは尸魂界に帰ったんだっけ。もう何年前の話だろうね。浮竹、思い出せないよ。だって、瞬きひとつの間の話なんだもの。僕たちの思い出になるには、百年とか、それくらい、昔でないと。

浮竹の墓の前で、僕は、君は僕になんにも託してや、残してや、くれなかった、と思った。それが、嬉しいはずなのに、少し泣けて、君がほんとうに生きてたんだって実感を、少しずつ、奪ってゆく。死神ってのが生きてるってのも、変な表現だけどね。ねえ、もう山じいも、卯ノ花さんもいないんだよ。護廷十三隊の中で、僕が一番の古株の隊長になっちゃった。そりゃそうか、総隊長だもん。浮竹もさあ、僕に何か託して、預けて、僕に何か枷をつけて、そうして、総隊長の席に縛り付けてくれれば、よかったのに。そうしたら僕はぼんやり空を眺めて、寂しいなあなんて、思わなくって、済んだんだよ。

僕はそこまで思ってから、ふと、浮竹の墓に目をやった。そうして、その眼を伏せて、ただ一言、「そうか、そうだったんだ。……君は狡いよ。誰より、狡い」そう言って、久々に、一滴だけの、涙を流した。


END

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「見えない臓器の名前は」
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