その情欲はキズになり、





御手杵は日清戦争に参加したけれど、新兵すぎてほんとうに参加したのかどうか、とてもあやしい。現に御手杵はひとりだって、人間を殺したことがないのだ。銃を持たされて、軍刀を腰に差して、それで置物のように後方も後方の、運が悪すぎなければ流れ弾にも当たらない場所にいた。

御手杵は第二師団におり、その指揮は沢山の上官が務めていたが、御手杵の直属の上官は同田貫という男らしかった。「らしかった」という言葉を使うのは、実際に会ったことが、なかったからだ。いや、正確には、御手杵は同田貫を見たことが、ある。日清戦争の終わりの頃、帰国時のガヤつきの中に、同田貫正国がいたのだ。

同田貫はいかにも偉そうな人間と、つまらない話をしていた。その顔には大きな傷があった。それから頬にも綿紗をあて、手足にも包帯が巻かれているらしかった。歩き方が少しおかしくて、左足を引きずっていたのを覚えている。どうやら、偉そうな人間は大佐で、同田貫は少尉らしい。それは二人の会話からわかった。同田貫は彼を大佐とだけ呼んで、大佐の方がわざわざ、「同田貫少尉」と呼んでいた。それだけ、知名度が高い男らしかった。それで、同田貫の指揮する兵団が大変な武勲をあげ、それはひとえに同田貫の勇猛果敢さと、才知によるものであったため、同田貫の昇進は確実なものだろう、と、大佐は言っていた。同田貫は少し、かなしいような、そんなふうに睫毛を伏せて、それから、口元だけ笑わせて「俺以外にも昇進する人間は、きっと多いことでしょう」と言った。大佐はその意味がわからなかったらしいが、御手杵にはその意味がよくわかった。死んだ兵士は二階級特進する。その頃の御手杵は二等兵にもならない、ただの雑用係をしていた。けれど同田貫の指揮する師団に、正式に兵士として加わりたいと、つよくそう思った。

それから少しの時間がたって、御手杵はきちんと訓練を受けて、二等兵になった。戦争は終わったし、御手杵はもとはそこらの農家の出だったのだけれど、徴兵が解かれても、軍に所属することを志願した。軍にはそれを断る理由もなく、御手杵を陸軍士官学校に迎え入れた。

御手杵が軍に、士官学校に所属してわかったのは、和平条約が結ばれても、同盟が結ばれても、この国は、世界は、ぐらぐらと揺れ動いているということだった。けれど二等兵がそんなことを思っても、なにができるわけでもなく、二等兵たちが集まって、今日の訓練は疲れたな、なんて他愛のない会話をしているなか、むっつりと黙っていた。それは他の二等兵たちと自分に違いがあるからだとか、そういうのではなくって、ここで口を開くべきではないと判断したから、そうしていたのだ。そのうちに御手杵は同期たちと距離ができて、その分だけ、御手杵は力をつけた。そうして、学校でとても優秀な成績を修め、二等兵から、飛んで下士官まで、上り詰めた。試験の度に昇格してゆくのだが、そこらの出なら、華族でなくとも、学がなくとも、だいたいが上等兵になれる。御手杵は熱心に努力をしたので、学校の首席をずっととった。そうしたら兵長からの「二階級特進」で軍曹に昇進をし、今までに会ったこともない中将から表彰された。御手杵はその賞状を受け取りながら、この特進は、同田貫に知れるだろうか、そうしたら、同田貫のひとみは、どのようにゆれるのだろうか。御手杵はそればかり考えていた。

御手杵の故郷は、どこからでも海が見えた。家は高い位置に建てられていて、急な坂道がとても多い場所だった。御手杵は子供の頃、故郷で一番の高台まで、息を切らして上り詰め、そこから海を見た。その時、広い海の一部からだけ、靄が立ち上がっていた。靄の範囲は決まっていて、ストンと、包丁で切ったかのように、途切れていた。御手杵はそれがとても不思議な光景に思えて、その靄がおさまるまで、その高台で、海を眺めていた。それからだ。御手杵が海をよく見るようになったのは。故郷の人間に、一度だけ「なんじゃあ、あんだ、磯の匂いばっかさせよってからに」と、茶化された。御手杵は海は眺めるが、海に近づくことは滅多になかった。

そんなことを、眺めのよい、しかし人の来ない高台でじっと考えていたから、御手杵の横にすうっと伸びた傷のある手に、気がつかなかった。御手杵はそこらの樹木をちょっと重ねたのに腰掛けていたのだけれど、顔に傷のある男は、なさけない声をあげて驚く御手杵に対して、「隣をいいか。ここは他に座るところがなくてな」と言った。顔を斜めに横断する傷、一重瞼のせいでいつもしかめっ面をしているような眼光、間違いなく同田貫正国だった。同田貫の階級は少佐になっていたため、御手杵は起立して、両手をぴしりと身体の横につけ、敬礼をし、掠れた声で、「このようなところに……いえ、連日の軍事、お疲れ様です」と、当たり障りのない、普通の上官に接する態度をとった。それが、どうしてなのか、同田貫を不機嫌にしたらしかった。同田貫はほんとうのしかめっ面で、「こんな、景色がいい高台でまで、俺ぁ少佐をやりたくねんだ」と言った。御手杵はそれが嬉しかった。

なんで嬉しかったのかって、同田貫と「特別」な関係を、この場では持つことができることを指していたからだ。同田貫は、「なぁ、あんた、何歳だ。俺と同じくらいには見える。……俺ぁ童顔だから、よく間違えられんだけどよ、もう三十路をこえてんだ」と言った。そんなことは、御手杵は承知していた。同田貫の噂は、たまに御手杵の耳にも入っていた。上官は絶対であるのに、その指示について同田貫はよく意見するようだった。しかし同田貫の上官は寛容であったため、同田貫に軽い懲罰を加えたあとに、こっそりとその意見を、よく聴くのだそうだ。そして少佐である同田貫も、下士官について、同じような態度をとる。だから人気の上官であった。

だが、個人的な付き合いということになると、同田貫の人気は今までほんとうにそこにあったのかと疑うほど唐突に、姿をくらましてしまう。同田貫は少しばかり几帳面で、物事をよく知っていて、賭け事はしない主義の、いたってふつうの男なのだが、実直すぎる物言いは、誠実さよりも棘が鋭く、その生真面目さは、ふつうの人間は肩がこるとのことだった。御手杵が受けた印象とは、真逆だ。

御手杵は同田貫が腰掛けたそこらの樹木の、隣に腰を落ち着けた。ふつうの心臓だったならば、きっとなにかしら言い訳をして会話を切って、この場を離れるのだろう。けれど御手杵はそうしなかった。日清戦争が終わったあのときの同田貫正国が、この場所に、硝煙の匂いを、血の匂いをさせながら平和に座っている。固そうな短い髪の毛の束が、ここまで立ち上ってくる平凡な景色の匂いに揺れた。

「ああ……歳……俺は今年三十になります」
「へぇ、そんなに変わらねんだ。敬語も別にいい。あんた、そういうんじゃねんだ。わかる。あんたは目立つから、よく話は聞いてた。御手杵といえば、顔がいいからって、取り敢えず悪評がついてまわっていたからなァ」
「……そっか。いや、あんたが俺のこと知ってたんだ。へんなかんじだ。あんたはずうっと遠いとこにいると思ってたんだけど」
「なんでだ。今、こんなに近くにいるじゃないか」

そうして視線が合わさった時、思っていたよりずうっと大きなボリュームで、バチっと音がした。同田貫の鋭いばかりでなく、翳りの多い金眼が、榛色の御手杵の瞳を見つめ返してくる。御手杵は、女とはこういうことになったことが、なくはない。けれどそのあとにすることは情交で、まず御手杵は女の耳のあたりから首を、すうっと撫でる。そうすれば、女が小さくむずがりながら、紅く熟れた頬に手をやって、熱いため息をつき、御手杵の手にじぶんの手を重ねるのだ。

けれど、今目の前にいるのは、男だ。それも、直属の上官だ。ふつうはこんなに近くに、それも無防備に存在する人間じゃない。同田貫の格好は、許されるのかどうかわからない、軍服の下に、中に着るシャツだった。熱いのか、そのシャツの袖は捲り上げられている。皺がなく、清潔感があったが、少しだけ同田貫のにおいのようなものがした。距離のせいだ。御手杵は、手が持ち上がって、その顔を横断する傷痕に指を這わせ、少し厚い唇に触れ、その粘膜の温かさにじわりと欲情をするのを、ぎゅっと我慢しなければいけなかった。その傷だらけの身体に、こころに、いったい何が残ってしまって、傷痕になっているのかを、確かめずにはいられない。同田貫正国の身体全部についた傷痕の意味を、そこにある同田貫だけのものの悲しみも、苦痛も、全てを舐めとって、ぐずぐずに、同田貫を蕩かしたい。あんたは許されていいと、その傷をなぞりながら、新しいキズを、こさえてみたい。けれど許されない。こんな未来は永劫存在しない。

けれど、視線を合わせて、少しこころの中が見えるかもしれないというのに、同田貫は御手杵の情欲を、受け入れるように、たまたまかもしれないが、少し自分の唇に触れて、それから、御手杵の襟元に、ほんの少しだけ鼻を近づけ、「潮の匂いがする」と、目を伏せた。

「……故郷でも、同じことを言われた。俺は海には、行っていないのに」
「くにはどこだ。東京じゃないな」
「茨城。海が見える村だった。家が高いところに建ってる。急な坂道が多くて、海に降りる年寄りがよく骨を折る」
「そうか。俺は東京生まれだからそういうのはよくわかんねぇな。坂を下ると海があるのか」
「……そうだな」
「……あんたは海を、こういう高台から見てたんだろうなぁ。ガキの頃だろうに、随分賢い。坂は登るより、くだるのがむつかしいんだ。それが怪我をするようなこわいことなんだと、わかる人間だったんだな」
「……そんなんじゃない……そんな、上等な人間じゃあない」

御手杵が謙遜の真似事をすると、同田貫は妙な顔になった。御手杵はハッとして、口元に手をやった。同田貫は、謙遜が嫌いなことで有名だったのだ。同田貫の前で謙遜を言うと、実際にそうなのだと、わざわざ同田貫は評価するので、そこからなかなか動けなくなるのだ。御手杵はしかし、まあいいかとも、思った。御手杵は上等な人間ではない。それは事実だ。同田貫がこのことによって御手杵にどんな評価をつけるのかはわからなかったが、御手杵は同田貫には評価される人間になりたくなかった。あんまり、よくされると、満たされない情欲を、面に出してしまう。

同田貫は、時間が過ぎたのに気がついたのか、御手杵との会話をつまらないと思ったのか、とにかく、ありふれた動作で立ち上がった。その時ふと、御手杵は「左脚が悪いんですか」と、きっと、上官と部下の関係に戻ったのだろうと判断し、敬語で話しかけてしまった。同田貫は驚いた顔をして、それから諦めたように、痛いものを痛いまま残して、抱えているように、「ああ、日清戦争の時にな」と答えた。

「今夜は雨になる。雨の日の夜は、酷く、しくしくと、軋むように痛むんだ。もう、完治していて、痕も残ってや、しないのに」
「……冷えるからでしょう。温めるとよいと聞きます」
「そうか。参考にしよう。して、結城上等兵……ああいや、もう……軍曹だったかな。これからも帝都のため、ひいては国のため、尽力を惜しまないように。では」
「はい。ありがとうございます、同田貫少佐」

御手杵が頭を下げがてら、ちらりと同田貫の顔色を伺うと、同田貫の顔色は急に悪くなったようだった。それは御手杵という、同田貫の中にできたかもしれない特異点に、「少佐」と呼ばれたことによるのだと、御手杵にはわかった。どうしてそこまで同田貫正国とじぶんは通づるのかと不思議に思ったけれど、そういうふうにできているからとしか、答えが見つからなかった。

同田貫は踵を返してこの丘を危なげなくくだっていった。御手杵は、それを見てぞっとするほど、恐ろしいと思った。同田貫は、海までちゃんとおりることができる人間だ。御手杵とは、ずっと違う。御手杵は同田貫の顔の傷の、その隅々までを思い起こして、それを空に描いて、そろりと、撫でた。股間がむずがって、「ああ……」と、恍惚とした溜息を吐いた。身体全部の傷を、見てみたい。話はしなくっていい。言葉はいらない。要るのは、ナイフだけだ。

それからまたしばらく経って、上官が集まって住んでいる宿舎に火事があった。ほとんどの人間は偉くなると家を持つし、結婚をするので、その宿舎にはほとんど人がおらず、また、火の手が上がった場所もよかったのか、死傷者はいなかった。しかし、家を無くした上官が、三、四人出て、その中には同田貫もいた。だから焼け跡のあたりでうろうろとしていた同田貫に、御手杵は敬礼をして、「同田貫少佐、俺の家には部屋に空きがあります」と申し出ていた。

「部屋が空いているといったって、妻や下女が、知らぬ男を嫌がりはしないだろうか」
「妻はおりません。下女はおりますが、夜は男ひとりということで、近所の老人の家に金銭を支払って置いて貰っております。風呂に入り、眠るだけでよいのなら、別段、俺に不都合はありません」
「そうか、では、厄介になろう。金銭については……」
「いえ、上官から受け取るわけには」
「……そうか」

同田貫は驚くほど無防備に、同田貫の心臓のあたりにあるだろうものに触れようとする男の家に、しばらく厄介になることにした。御手杵は、どうして自分がそんな申し出をすることができたのか、同田貫がどうして長く、家を決めずにいたのかわからなかった。けれど、とにかく、御手杵の家に、同田貫が厄介になることになった。

御手杵の家は、ひとりで住むには、広すぎた。下女ひとりでは隅々までは掃除などがゆきわたらないので、非番の時には御手杵も掃除や家事を、世論を無視して、行なっていた。それくらいには、暇な人生だった。御手杵は上等兵になった時に、親に家を建てろと催促された。御手杵がいつまでも結婚をしないので、とにかく家だけでも建てて、妻を迎え入れる準備だけでもしておけ、とのことだった。けれど御手杵はなにかと都合をつけて、妻を迎えずにいた。かといって、男色なのかというと、そうでもない。御手杵が欲情をするのは、痛みのようなものを抱えた人間で、それが目に見えて酷いのであれば、ずっと、それが深くなってしまうのだ。そういう、あまり褒められた嗜好のために、ひとりでいたのだ。

下女は御手杵が事情を説明すると、すぐに、使っていない部屋の埃を払い、布団を都合した。そうして風呂の世話まではして、頭を下げて近所の家へ、寝に行った。

明日、御手杵は非番であった。なので「俺は明日非番だから、先に寝てくれ」と言った。けれど同田貫は、「奇遇だな。俺も非番だ」と言った。御手杵は、これはいけない、と、思った。遅くまで語り合うには、自分では力不足で、語り合えば語り合うほどに、自分の情欲は、満たされないことに苦痛を訴える。

「ああ……駄目だ……今日は早くに寝ることにしよう」
「……そうか。残念だ。しかし明日はどうしたものか」
「……町へ出ようとはしないのか?」
「俺は休みは部屋に閉じこもって本を読んでいた」
「本なんか、読むのか」

そう返してしまってから、御手杵はまた、ああ、と思った。

「ああ、本はいい。最近の風潮は、特にいい。女にも情欲がある。それは男とかたちは違えど、同じ密度で存在する。けれど、男の情欲は、満たされないと、酷く、醜いことをする。その女が、逃げられた女が寝ていた布団にくるまって泣くだとか、そういう、惨めなところがある。俺は長く、情欲というものを、覚えない人生を送ってしまった。あんたもそんなだから、未だに妻がいないのか」
「……そんな崇高な人間であったなら、俺はきっと、こんなに惨めな情欲は抱かなかったし、それが満たされないがあめに、苦しむんだ」
「……その情欲の相手は誰なんだ。あんたに泣かされた女は数多いると聞く。羨ましいことだ。その情欲が向けられる女は、どんなに、絶世の美女で、情け深い女なんだろうなぁ」
「……ああ……ああ……やめよう……やめてくれ……寝てしまおう。寝てしまえば、明日になる。明日になれば、きっとマシになっている」
「……そうか……」

全てを吐露したにも同じ言葉どもであったが、情欲を向けていることを指し示しただけで全てを吐露したというには、あまりに言葉がたりない。御手杵は、同田貫が隣の部屋でむずかるのを聞いて、その切ない響きに、欲情した。外から雨音が響いてくる。同田貫の左脚が酷く痛むのか、同田貫はうまく眠れず、時に、「どうして……」と、「ああ……」と、声を上げた。名前らしいものも唱えた。御手杵はそれだけで、着物の裾から男性器がずりあがって、腹につくようだった。それを、御手杵は擦り上げるでもなく、布団に押し付けて、「あ、あ、正国……正国……」と、薄い壁に祈るように、情欲に、腰を振った。

これで達することは無いのだろう。けれど、その御手杵の様子を、カタンと障子の隙間から、いつからなのか、同田貫が見ていた。パチリと目が合った。それでも御手杵は「ああ……ああ……」と、切なく腰を振った。

その情欲が涙に変わったあたりに、同田貫が御手杵の部屋に入り、「あんた、何したいんだ。性欲じゃあ、ないんだろう。俺に、いったいなにを求めてんだ」と、御手杵の頬に手をやって、ゆるく開いた唇に、親指をつけた。御手杵の頬はしっとりと湿っており、同田貫は左脚が痛むのか、時折息を詰めた。ふたりはいくつかのどうしようもない言葉を交わし、御手杵はついに、同田貫の顔の傷痕に触れた。

「縫ったあとがない……出血がひどかったはずだ。肌の引き攣れが少ないから、これは刀傷だろう。それも、日本刀だ。向こうのナイフじゃ、ここまでうつくしい傷痕にはならない」
「……んん……あ、あ、」
「この胸のは、縫ったあとがある。かなり深い。けど、骨で止まったんだと思う。引き攣れたのを、縫ったんだ。痕が少し酷い。だからこれは日清戦争でついた傷だ。向こうのナイフでやられた傷だ。それも、この角度だと、誰かを庇ったに違いない。けど、そいつはきっと今はもう生きていない」
「……ひっ……ああ……ん、ん、ひ、あ……」

御手杵は、同田貫の着物をはだけさせ、傷痕をひとつひとつ丁寧になぞり、舌を這わせ、消していった。実際に消えるわけではない。そこに渦巻いている醜いなにかを、御手杵が引き受けて、どこかへ投げ捨てている。それだけだ。二人のその行いは情交に似ていたけれど、そこからずうっと離れた場所にあった。勃起した御手杵の男性器と、同じように腫れた同田貫の男性器が擦れあっても、それはたんなる行為による副産物でしかなかったし、そのことに喜びを覚えるほど、御手杵の情欲も、同田貫の傷も、浅くはなかった。

そうして、最後のひとつをなぞって、愛おしげに、御手杵は同田貫の頬を撫でた。そして、沢山の言葉から、はじめっから選んでいたにせよ、言葉を選んで、「あんたは、赦されていい」と、静かに言った。ふたりはその言葉によって果てて、同田貫はわあわあと、赤子のように、泣き出した。御手杵はそれをずっと抱きしめて、雨の音を数えていた。同田貫の左脚は、もう痛まない。変わりの痛みを与えた。

御手杵の情欲はついに満たされ、同田貫にはキズがついた。そのキズはひどく深く、甘い甘い甘言によって開く傷で、その言葉を知っているのは御手杵だけだ。同田貫はこれから一生、その言葉を求めるだろう。御手杵がそうしたのだ。求めずとも、意識が固かろうとも、そのキズは、必ず同田貫のナカにある。赦されたいのは、いったい誰だったか。

END

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