きみはほんとうに片足で立つのが得意だったのかい






「きみ、本なんて、それも架空の物語なんてものを読むのかい」

少々驚いたような鶴丸にそう尋ねられた時、鶯丸は鶴丸よりずっと驚いたけれど、別段それを顔に出さず、「読むが、どうしてだ」と返した。

「こういう本は、お前の方がずっと好みそうなものだが、さっきの言いようでは、お前は本を読まないのか」
「ああ、あまり読まない。伝記や思想書は少し読んだが、自分と他とのものの考えの違いを知るばっかりで、さむくなる。空想なら自分ですればいい。俺は……なんだろう、もっと、現実の中にいたいのかもしれない。……まあ、話すこともないんだ。その本は、どういったあらましなんだ」

鶴丸が鶯丸の部屋に顔を出すのは、決まって出陣のない昼間か、夜中かのどちらかだった。今日は夜中の方だ。鶴丸の寝巻の裾から、何か赤いものが滲ませているが、鶯丸は知らないふりをする。そうして、文庫本の背を、鶴丸の背骨をなぞるように(実際なぞったことは一度としてないのだけれど)撫でて、すうっと目を細めた。

「人間が、つくりものの人間を殺していく話さ」
「ああ、世に言うSF小説か」
「いや、それとはまぁ、同じだろうけれど、違うのだろうな。現世では、ディストピア文学と呼ばれているそうだ」
「ふうん。不思議な言葉づかいだ。で、どうしてつくりものの人間を殺すんだ」
「お金になるから」
「きみのいけないところは、大事なところだけしか言ってくれないところだ。もっと言葉をたくさん使って説明してくれないか。そら、その小説のように」

鶯丸は、鶴丸の方は見ないで、静かに、本の表紙を見た。それから裏表紙に書かれている、その本のさわりも見たけれど、自分の中で言葉を探して、中ほどまで読んだ小説の内容を、ゆっくりと、すこし詰まりながら、唇に乗せた。

「……この本の世界では、どうやら、環境破壊が進みすぎたようで、お金を持っている人間はみんな火星に住んでいるらしい。いや、どうだったか。火星に住むか、地球に残るか……選択できたのだったか……まぁ、とにかく、地球には人間と、それ以外の生物が残ったのだが、人間より、他の生物は厳重に保護されていてな。そら、五虎退が虎といつも一緒にいるだろう?ああいった生活をすることが、地球では一種のステータスになっていた。たくさんのお金が必要なんだ、他の生物を飼うには。けれど、人間は見栄っ張りだから、つくりものの動物を、みんな飼う。本物と偽って。……大筋と逸れるな……まぁ、そんな世界で、火星からなにやらつくりものの人間、アンドロイドというらしい。それが、何人か……この数え方は合っているかわからないが、とにかく、逃げ出した。主人公はそれを見つけだして、殺す仕事についている。けれど、アンドロイドにも記憶があって、生活があって、それなりの感情がある。アンドロイドは主人公に問いかける。なにをもって、人と、機械とをより分けるのだ、と。けれど主人公は、まぁ、仕事だからと三人ばかりアンドロイドを殺して、それで、今まで飼っていた機械じかけの羊を捨て、本物の羊を買った。……俺が読んだのはそこまでだ」

鶯丸が口をやっと閉じると、面白くない顔をした鶴丸が、「ぞっとしない話だ」と、寝転んだ。そうすると、鶴丸の肌がずっと見える。鶴丸のものでない匂いが、ずっと強くなる。だから鶯丸はまた、本に目を落とす。全部が全部、見えてしまわないように。

「つくりもののにんげん」

鶴丸の呟いた言葉は、妙な冷たさを持って、この部屋に落ちた。

「なあ、きみ、その小説の中では、どの生き物が好まれて飼われているんだ?ほんものでも、にせものでも、どっちでも」
「……羊は出ていたな……あとは蛙だったか……どうして、猫や犬は出てこなかったような、出てきたような」
「ふうん、フラミンゴは出てくるのかい」
「出てこないが、どうしてまた、フラミンゴなんだ。鶴ではないのか、お前のことなんだから」
「……いや、こないだ、テレビで見たんだ。フラミンゴ。綺麗だったぞ。だいたいが、群れで生活していて、それでもって、鮮やかでな。一斉に飛び立ったら、ぞっとするほど、うつくしいんだ。そして不思議なことに、あいつらがどうしてずっと片足立ちなのか、まだうまく生態が解明されていないらしい」
「ふうん。両足でいた方が、ずっと安定するだろうに。……そう、たしかその鳥は、鮮やかだったな。戦場での、お前のように」
「あいつらはどうして、片足で立ってる方が安定する身体のつくりをしているとか、なんとか。それに俺は片足でなんか、立ってやしないさ。そんなにふらふらして見えるかい?」
「……見えるさ」
「どういう風に」
「それを俺に言わせて、いったい、どうしようって、そういう話だ」
「俺としては是非、言ってもらいたいものだ」
「じゃあ、俺はきっと、一生言わないだろうな」
「どうしてさ」
「……そういうお前が、嫌いだからさ」

鶴丸はそう言うと、少し笑って、身体を起こした。それから、衣服を整えて、しなやかで、片足でも立っていられそうなくらい鮮やかに、その裾を翻した。「俺は、きみがとても好きなのに」と、言い残して。

それからどれくらい経ったか、鶯丸はいつかのその会話を思い出して、すこし、フラミンゴという生き物について、調べてみた。そうして、次に鶴丸が夜、部屋にやってきた時に、「お前は白いなあ」と言った。鶴丸は「何をいまさら、当たり前のことを」と返した。そうしてふわりふわりと、違う、鶴丸でない匂いをさせながら、誰かの臭いをさせながら、鶯丸の向かいに座った。

「お前、こないだフラミンゴの話をしたろう」
「……そんなことも、あったような、なかったような」
「お前は興味を持つのも早いが、無くすのも早いな」
「ああ、そうなんだ。わかっていることだろう」
「そう、まぁ、そのフラミンゴ、どうしてあんなに鮮やかなのか、知っているかい」
「テレビでやっていた気がするが、なんでだったか」
「食べているもののせいだそうだ」
「……ふうん。それはさぞかし、鮮やかなんだろう」
「いいや、そうでも、ない。全然違った色をしている」
「へえ」
「お前とよく似ているな」
「……きみはまわりくどい」
「そうでもないさ。そう、それから、生まれたばっかりのフラミンゴは、白いそうだよ。ちょうど、お前のようにね」
「そうか。じゃあ俺はいつかあんなうつくしい紅色に染まるのかい?きみを食べればそうなるのかい」
「……俺なぞ食ったら、きっと、腹を壊すさ。……そう、大切なことを、言い忘れていた」
「……きみにしては珍しいな」
「しろいフラミンゴは、つがいを作ることが、できないんだよ」

鶯丸がそう言うと、鶴丸はくすくすどころか、大笑いして、けれどすぐに泣きそうな顔になって、そのくせそれをすぐにひっこめて、「今夜は共寝しようか」と言ってきた。だから鶯丸は「冗談」と返した。そうして、鶴丸はいつものように、けれどふらりふらりと、片足立ちなどできないようなたよりない足取りで、自分の部屋へ戻って行った。鶯丸の冷たいため息だけが、部屋に籠る。

いつかの文庫本はうつくしい背表紙を本棚に並べて、その内容ばかりが、鶯丸の中に残っていた。ひとと、つくりものとの境界線は、いったいどこにあるのか。そして、そのつくりものに宿った感情は、ほんとうなのか、うそなのか、ほんものなのか、にせものなのか、その答えだけ、その本は、教えてくれなかった。

それからまた少しした日に、鶴丸が昼、「今晩、きみの部屋へ行くから」と言った。鶯丸ははじめてその言葉を聞いたので、それで、やっと、ああ、自分もまた、鶴丸を鮮やかに染める、染めているなにかしらになるのだろうと、想った。いつか読んだ小説の主人公のように疲れて、疲れて、疲れ果てて、そうして、なんにもを失ったように、溜息をついた。絶望とも、なんとも言えない、淡い色を帯びた、そういう息だ。

その日の晩、静かに、いつかの文庫本を読みながら鶴丸を待っていたのだけれど、全く、鶴丸は現れなかった。午後、鶴丸は出陣だったか、どうだったか、何か、本丸がざわめいたような、ざわめかなかったような。そうして鶯丸が待ちくたびれて、もうきっと来ないのだとほっとした風に、少し空いていた障子を閉めた瞬間、不思議な隙間からするりと、手紙が差し込まれた。鶯丸が、少し笑いながら、すうっと静かな涙を流してそれを拾い、ひろげるとそこには、「きみだけだったよ。だのに、そのきみが、なんにも言ってや、くれないから、俺はずっと、しろかったんだ」と、書いてあった。

「なんにも言ってくれやしなかったのは、お前もだろう」

鶯丸はくすくす笑って、ずうっと鮮やかだった鶴丸を染めていた色に、ずっと嫉妬をして、けれどそのしろさがうつくしく思えて、「片足でなんか、立てないくせに」と、ぼろぼろ泣いた。もうずっと、鶴丸はしろくて、しろくて、鶯丸の色を取り込むことは、きっと、きっと、もう、ずっと、ない。


END



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