超夢中だよ




山姥切は暑い部屋の中でぐだぐだと暑さを呪いながら、読書をしていた。現世の読み物はそれなりに面白い。現実的な話もあれば、非現実で塗り固められた作品もある。山姥切はどちらも面白いと思って読んでいた。今読んでいるのは、現世で言う著作権が切れていて、無料で読める太宰治の「斜陽」だ。鬱々と、なんだか幸福だったものがどんどん傾いて、静かに、真綿で首を絞められるように、不幸が降り積もっていく話。紙の本ではなかった。本丸にいくつか置いてあるタブレットを拝借して、そのアプリで読んでいたのだ。タブレットを使う刀なんて、長谷部や博多や、そのあたりくらいだ。それにこの暑さでは手が汗でぬかるんで、紙本では紙をふやけさせてしまう。さらに、いくら著作権が切れていようと、出版社が装丁をする以上、金銭を払わなければそれらは読めないのだ。小遣いを節約するには、小説好きの山姥切にとって、これが一番だ。アプリの中の作品は、古語がたくさんまじっていて、現代のそれと意味の違う言葉も多分に含んでいたが、青く染まったハイパーリンクを指でタッチすれば、すぐに注釈に飛ぶ。便利な世の中になったものだ。しかし、少し喉が渇いてきた。厨に何か取りに行こうかと思った矢先に、大倶利伽羅の気配がした。

大倶利伽羅はさも当然という風に、「入るぞ」の断りもなしに、山姥切の部屋へ入ってきた。いつものことだ。

はじめ、それは慣れなかった。着替えている時に入られたこともあった。けれど大倶利伽羅が何も気にしないので、山姥切も何も気にならなかった。初めの頃は「どうして俺の部屋に来る」と尋ねた。そうしたら、大倶利伽羅は「ここは静かだ」とだけ返した。山姥切はそういえば大倶利伽羅の部屋は鶴丸と燭台切の部屋に挟まれていたのだったかと思い至った。燭台切の部屋にはいつでも甘未があるので短刀たちの出入りが激しかったし、歌仙もなんやかんやで出入りをしていたし、本丸に早くに顕現した太刀であったので、何かと相談事を持ち込まれるようだった。鶴丸は言うまでもないだろう。山姥切ははじめ「俺はあんたがいると落ち着かない」と返したが、それは黙殺された。そのうち、なんだかふたりで過ごす時間が当たり前になって、山姥切も落ち着くようになった。ふたりぶんの呼吸の音や衣擦れの音が響くこの部屋が、なんだかとても、静かで、水の中にいるようで、心地よかった。けれど、どうして自分の部屋を選んだのだろうとも思った。静かな部屋ならたくさんある。昼間であれば太郎太刀の部屋や、書き物をしている長谷部の部屋だって、静かだ。そういえば、その理由を尋ねたことはなかった。それを尋ねてしまったら、この静かさが壊れてしまうんじゃないかって、怖かったのだ。

大倶利伽羅は王冠のついた瓶と、麦茶の入った二リットルのペットボトルを持っていた。そうして、ペットボトルの方を山姥切に差し出す。

「朝から、厨に顔を出していないと光忠が言っていた。この部屋は熱が籠る」
「……すまない」
「謝られるようなことはしていない」
「……そうだな」

山姥切は寝そべるようにしてタブレットを使っていたのだけれど、それでは麦茶が飲めないだろうと、身体を起こした。この部屋には低いテーブルも何もなかったし、なんなら座布団もなかった。文机はあったが、それは部屋の隅で埃をかぶっている。だから山姥切も大倶利伽羅も、なんにもない六畳の部屋の畳の上に腰を置いて、それぞれの飲み物を開けようとした。しかしこの季節、熱がこもるとわかっている部屋に、どうして大倶利伽羅はやってくるのだろうとも、少し疑問に思った。

大倶利伽羅はどうしたらそんなにうまくいくのかという手際で、瓶についた王冠を、カチンと歯で外した。はじめに思った感想を少し屈折させて、綺麗な所作だなあと思いながら、山姥切はペットボトルのキャップを開けようとした。けれどさっきまで熱を持ったタブレットを触っていたのと、この部屋にこもった熱からくる汗で、なかなかうまくいかなかった。少し熱中症にかかっていたのかもしれない。それを見た大倶利伽羅が「貸せ」と言って、そのペットボトルを奪い、造作もなく、腕を動かすこともなく、指の力だけで開けてしまった。山姥切はやはり「すまない」と言った。大倶利伽羅はもう言い飽きたと言わんばかりに、溜息でそれに返した。

大倶利伽羅が瓶に口をつけると、生姜の香りがした。山姥切はちびちびとなんのてらいもなくペットボトルに口をつけてそれを飲んでいたが、その香りが、少し気になった。淡い音も聞こえる。何かがぱちぱちと爆ぜるような、そんな音だ。

「……なあ、それはなんだ」
「……ジンジャーエール」
「生姜の匂いがする」
「そういう飲み物だ」
「不思議な音がする」
「炭酸だからな」
「……そんなの、厨にあったのか」
「いや、光忠が今日の買い物ついでに買ってきた。俺が好きだからと」
「……好きなのか」
「……好きだ」

今日は、どうしてか会話が多いような気がした。それから、「光忠が」という言葉と、「俺が好きだから」という言葉が、どうしてか胸に重くのしかかった。いつもこうして、ふたりでいるのに、山姥切は大倶利伽羅のことを、歴史の上でしか知らない。好きなものも、嫌いなものも、好きなことも、嫌いなことも、なんにも知らなかった。知らなかったからこその静かさだっていうことも、理解していた。大倶利伽羅の持つ瓶は緑色で、透けていて、それに、濃い色をした茶色の液体が入っているようだった。それに、三角をふたつ重ねた白と茶色のラベルが貼ってあって、英語で「WILKINSON」と印字してあった。それをじっと見つめる山姥切に気が付いた大倶利伽羅が、「……飲むか?」と尋ねてきた。

「あ、」

山姥切は「少しだけ」と言おうとして、さっきまで、その瓶の口が、大倶利伽羅の薄い唇に触れていたことに思い至って、「いや、いい、」と、歯切れ悪く、そう言った。大倶利伽羅は「そうか」と言って、生姜の香りがするその飲み物に、また口をつける。淡い生姜の匂いが、この部屋を満たしていくのが、わかった。山姥切は炭酸というのは、弾けるのか、生姜の飲み物は生姜湯くらいしか飲んだことがないが、あれはゆったりとした飲み物で、世の中にはこんなにさっぱりしているような生姜の飲み物もあるのか、と、なんでもないことを考えながら、ちびちびと麦茶を飲んだ。それから、どうして自分はさっき、回し飲みなんて日常茶飯事のことに、羞恥を覚えたのかと、顔を赤らめた。そんなの、大皿料理で出てくるこの本丸ではつけ箸なんて当たり前だったし、酒宴の席では回し飲みなんて当たり前だった。なのに、どうして。

大倶利伽羅の喉の鳴る音が、やけに大きく響く。大倶利伽羅は上を向いているだろう。だから、山姥切は誰かへの嫉妬と、自分の気恥ずかしさを拭い去るために、「なあ、やっぱり、ひとくち」とぼそぼそ、言った。布を引き下げながら。

「……今、飲み終わってしまった」
「……そうか……なら、いい」
「味くらいなら教えてやる」
「え、」

山姥切がどうやって、と聞く前に、大倶利伽羅は山姥切と距離を縮めて、右手でその顎を持ち上げて、左手で後頭部をおさえて、唇を重ねた。生姜の匂いがする。何かがぱちぱち、弾けた残骸が、ある。息ができないと口を開けたら、大倶利伽羅の舌が、口の中に入ってきた。辛い舌だ。冷たくて、なのに熱くて、不思議な心地がしたけれど、どうにか逃れたくて、後ろに下がろうとするのだけれど、後頭部に添えられて左腕がそれをさせてくれない。そして、右手はいつの間にか山姥切の左耳をおさえていて、口の中の音が、感覚が、ひどく鮮明で、それなのにぼやけて、山姥切の身体を熱くさせた。何をしているんだろうと、思った。そうして、大倶利伽羅の舌の辛さと、山姥切の舌の辛さが同じくらいになって、隙間隙間でどうにかしていた山姥切の息が続かなくなった頃に、やっと、それは離れた。離れ際に耳元で、「これが、俺の味」と囁かれた。山姥切と同じ味になった舌で、そう言った。

「……辛い……」

山姥切は、そんな詮無いことを、口にした。もっとふさわしくて、怖くて、甘い言葉があったかもしれないのに。

「……次は甘いかもしれないし、酸っぱいかもしれないし、人間の味かもしれない」
「……なんで……」
「……ウィルキンソンの、茶色いラベルのジンジャーエール。俺の好きな飲み物だ。覚えておけ。辛いのがいい。そこらのジンジャーエールじゃだめだ」
「……そういう意味、じゃ」
「……山姥切国広。俺の好きな刀だ。読書が好きで、俺といる時間が好きで、サントリーの麦茶が好きな刀だ。俺が、この本丸で、誰よりも好きな刀だ。覚えておけ」

大倶利伽羅はそれだけ言うと、真っ赤になって、熱中症寸前のところまで茹った顔の山姥切を後目に、タブレットを少し見て、「この小説、最後まで読めよ」とだけ言って、瓶を片付けに、この部屋を出て行った。山姥切はひとりでぐるぐる考えて、サントリーの麦茶をごくごく飲んで、辛い舌だけでもどうにかしようとしたのだけれど、この部屋にはもう生姜の匂いが充満していて、その香りが、あの辛い舌を思い出させた。辛くて、優しくて、静かで、山姥切のなにもかもを奪っていった、あの、刺激の強すぎる、何かが弾けるような、あの、舌を。


END


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