from ginger




※おてたぬ学パロ

同田貫が御手杵とはじめて会話したのは、高校一年生の夏前だった。前日は雨だったが、その日はからっと晴れていて、水溜りがところどころにあり、それに青空が映っているような、そんな日。絶好の席替え日和だった。今まで名簿順だった席を、くじ引きでランダムに替えてしまう。同田貫は六番と書かれた紙切れを片手に、ガタガタと机を移動させた。教室中みんながそうしているので、まるで大きな波がうねっているようでもあった。同田貫の新しい席は窓際の一番後ろで、ずいぶん日頃の行いがよかったのだと思った。けれど同田貫が机を落ち着けて少しすると、同田貫の前にぬっと背の高い、たいへんガタイのいい男が現れた。名前はたしか御手杵だ。クラスで一番背が高くて目立っているので覚えている。相手はどうだかわからないが。しかしこれでは前が見えない。同田貫は御手杵に「なあ」と声をかけた。手の中にある紙切れをこっそり交換しないか、と、そういう話を持ちかけたのだ。それが、最初。

それから同田貫と御手杵は席が近くなったこともあり、色々と話すようになって、お弁当を一緒に食べるようになって、一緒に下校するようになって、その途中のショッピングセンターでぶらぶらするようになった。かといって共通の趣味や話題があるわけでもない。けれど気が合うのだ。ふたりの身体の、いたるところにあるへこみは、お互いの身体を受け入れるためにあるようだった。同田貫が口を開けば御手杵は口を閉じ、御手杵が口を開けば同田貫は口を閉じた。何かが衝突することもなかったし、何か不具合が起こることもなかった。ふたりの関係は緻密に設計された時計のように精密で、密やかで、循環していた。二人だけで完結する。そこに他の入り込む隙間は、ない。

ふたりはその年の夏を一緒に過ごした。夏祭りの花火大会にもふたりで行ったし、地獄の宿題もふたりで乗り越えた。ふたりで過ごす夏の隙間にはかならず、どこかなつかしい香りがした。もう何十年とこうしているような、そんな空気。六月の半ばにはじめて話したとは思えないような、既視感。それはどちらも口には出さなかったが、どちらも感じていた、と、同田貫は思う。だからふとしたときに、同田貫は「なんだかなつかしいなあ」と呟いてみた。なんでもないときに、そう言った。そうしたら御手杵はそれをとぷりと受け入れた様子で、「うん」と答えた。それだけでわかってしまった。同田貫と御手杵は深いところで繋がっている。肌より、内臓より、心より、思い出より、ずっと深いところで。

夏休みの最後、宿題をなんとか終わらせたふたりは、御手杵の家で、映画鑑賞をすることにした。お菓子とジンジャーエールを持ち込んで、ゲオで旧作の映画をレンタルして、部屋を暗くしての安上がりな映画鑑賞。洋画だったので、英語の勉強だ、と、吹き替えでなく字幕で見ることにした。映画の内容はどこにでもラブロマンスの古典で、男二人で見る映画の内容じゃ、なかった。けれど夏の終わりには燃えるような恋の映画を見たくなるのも、そのとおりだった。ふたりは映画の性的な側面を映し出した場面で少し気まずくなったり、はらはらするような場面で同じように肩に力を入れたりした。そうしているうちになんだか同田貫は、御手杵と同じものをみて、おんなじことを考えて、おんなじことをおもっているような気がしてきて、少しこわくなった。こわくなって誰かに手を握って、大丈夫、と、言って欲しくなった。そうしたら右手にやわいものがあたった。小指と小指が、ちょっとだけ重なる。御手杵の手だった。その手の持ち主も「なんか、こわいな」と言った。こうしていることもこわかった。同田貫は自分が御手杵に溶けて、御手杵が自分に溶けて、まざりあって、最終的にひとつになってしまうような、そんな気がした。なんだかこわい。こわいけれど、喉がからからに乾いたときにみつめる水のように、それは魅力的だった。同田貫が御手杵を見つめると、御手杵も同田貫を見つめていた。ふたりの視線は重なって、絡まって、ひとつになる。まったく別の方向を向いているのに、おんなじものをみつめている心地になる。そうして、どちらともなく近づいて、目を閉じた。

ファーストキスは、ジンジャーエールの味がした。甘くて、辛くて、涙が出そうな味だった。


夏休みがあけると、新学期だからと席替えがあった。六月に席を替えたばかりなのに、みんなは新しい席に移りたがる。同田貫は席替えときいて、ほっとするくらいには、御手杵と気まずかった。どうしてあんなことをしたのか、どうしてそんなことになってしまったのか、まだ頭の中が混乱して、うまく整理がつけられなかった。すこし距離を置きたかった。この距離感はちょっとおかしいのだと思えた。そうしてぐるぐると考えているうちにくじを引かされて、同田貫は三十二番の席になる。御手杵から逃げるように席を移動させてみれば、御手杵は同田貫から少し離れた教室の真ん中に席を移動させるところだった。離れてしまった、と、言いようのない気持ちになった。なんだか喉が渇いて、しかたがなかった。

新学期ははじまったばかりだったが、すぐに、文化祭の話が持ち上がった。この高校では毎年八月の最終の土日に文化祭をする。みんなして夏休み前からちまちまと進めていた文化祭の準備を、もっと目に見えるかたちで進めはじめた。空気がうわついて、胸がくるしくなって、たまらなく、たのしい、はず。同田貫はみんなが作り出す空気を、大きなうねりを、なんだか他人事のように見ていた。頭のどこかでこれは関係のないことなんだと思えてしまって、いけなかった。同田貫のクラスは簡単な喫茶店をやることになっていて、同田貫は裏方で簡単な軽食をつくる係にもなっていた。それでもそれはなんだか現実的ではなくて、頭がぼんやりして、もっとほかにたくさん考えなければいけないことややるべきことがあるように思えていけなかった。けれどたとえば、と考えるとこわくって、しかたがなくなる。同田貫は自分が臆病なほうではないと自負していたので、それが不思議だった。

文化祭当日に同田貫は、頭の中で「月日は百代の過客にして行きこう年もまた旅人なり」だとか「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」だとか、そんな近からず遠からずの古典をぐるぐる、呟いていた。同田貫は今日まで、いったい何をしていたのか、まったく思い出せなかった。なにかしていたにはしていたのだろう。じっさい文化祭の準備には注意されない程度には参加していたし、裏方でつくるレシピについても頭にはいっていた。不思議なのは、同田貫が夏休みが終わってから今日まで、誰と過ごしたかがまったく思い出せないということだ。同田貫はぼんやりする頭で、黙々と、ホットケーキを焼いた。あつい。

ホットケーキを延々と焼き続けて、昼を過ぎたあたりになって、同田貫は休憩に入った。慣れない言葉で言えばシフトから外れた。同田貫は文化祭、どこか巡ろうかと思ったけれど、誰も一緒に行こうと思う人はいなかったので、遅い昼食だけ買って、屋上に続く階段の踊り場に来た。もちろん屋上へは入れないようになっている。踊り場はひっそりとしていて、眠くなるようだった。同田貫はなんとなく、御手杵がここにくるような、きてほしくないような、そんなことを思った。そうしたら今までの疲れがどっと出て、乾いた汗が気持ち悪かった。そうしてぼんやりとしていたら、誰かがここに近づく気配がした。同田貫は慌てて、タンタンと足音を立てた。ここに人がいると知らせたつもりだったのだ。けれどその足音はどんどん近づいて、ついには下の階段からぬっと、姿を現した。

「……クマ?」

現れたのは驚くほど大きいクマだった。もちろん本物なんかではなくって、着ぐるみだ。その着ぐるみは手に「1-B 喫茶店」と書かれた手作りのプラカードを持っていた。同田貫のクラスだ。同田貫ははたとして、「御手杵……」と呟いた。クマの着ぐるみはごそごそと頭のぶぶんだけ、着ぐるみを脱いだ。するとやっぱり、御手杵だった。汗で頬に髪の毛を張り付かせている。ふたりは無言になって、気まずく目を逸らした。けれど御手杵が「なんか、ここに、いる気がして」とぼそぼそ、言った。そう言われたら、ダメだった。やっぱりふたりはどこかで繋がっている。同田貫は胸がくるしくなって、いけなかった。この気持ちになんて名前をつけていいのか、わからない。同田貫がうつむいていると、御手杵は「なぁ」と同田貫の両腕に、なんだかもふもふしている両手で触れた。本当は掴みたかったのかもしれないけれど、着ぐるみが厚すぎた。同田貫はそれがなんだか間抜けで、場違いかもしれないけれど、ちょっと笑ってしまった。そうしたら空気がほどけて、なんだか前のふたりにもどったみたいだった。おたがいのからだのへこみに、おたがいのからだのでっぱりがうまくはまって、ぴったりと隙間がなくなる。

「俺、今クマだから」
「ああ」
「クマだから、だっこしてください」

ちゃんと、よくわからないことを言っているとわかっているらしい。御手杵の頬は暑さでなく赤らんでいた。同田貫ははじめびっくりしたけれど、すぐにそれが感染して、頬が熱くなる。そうしてごにょごにょと「うん」だか「わかった」だかわからないようなことを言って、戸惑いながら、クマに手を伸ばした。首には腕がまわらないので、脇の下から腕を差し入れ、背中のもふもふしたところにそっと添える。そうしたら身体の前面がもっふりと毛皮に埋もれた。肩の上からクマの腕が背中にまわって、まるでちいさな子供にもどったような気がした。ぴったり、すきまがない。あるべきものがあるべき場所へ帰ったような心地がした。いつまででもこうしていられるような気がした。こわいのはやっぱりこわかったけれど、それより安心みたいなものが優って、不思議な感覚だった。同田貫はくすくすと笑って「あんた、いつまでクマなんだ?」と聞いた。御手杵は「明日まで」と答える。

「じゃあ明日までしか、こんなんできないな」
「うん」
「明日が終わったらよ、また一緒に弁当食おう」
「うん」
「ぐだぐだしゃべって、一緒に帰って、ショッピングセンターに寄り道しよう」
「うん」

そうしてキスなんか、しよう。同田貫はそんなことは言わなかった。言わなかったけれど御手杵には伝わったらしく、着ぐるみの中で肩がぴくりと動いた。なんだか、胸が苦しい。この感情やしぐさにつけるべき名前を、同田貫はきっと知っている。知っているけれど、それをつけてしまったらこれらがあんまり安っぽくて、陳腐で、悲しいものになる気がした。だからこの感情にも、関係にも、名前はつけない。ずっとこうしているために、そうするのだ。ジンジャーエールの香りが、鼻からぬけてゆく。


END


元ネタはまるまるさんのイラストです

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