もしもピアノが弾けたってなんにも伝えられやしない臆病者




※現パロ転生もの。記憶はあったりなかったり。おてたぬメインでにほへしもあります。でもだいたい日本号と御手杵が話してるだけ

気が付いた時、御手杵はピアノを弾かされていた。気が付いた、と、いうか、自分がそういえば槍の付喪神だったかもしれないと、前世というには未来の記憶を取り戻しはじめた時には。それは小学一年生くらいで、赤バイエルからだった。小学生はだいたい、赤バイエルからはじめて、黄バイエルをやる。中学生くらいになったらブリュグミラーをやった。高校になって二年たった今、やっと、音楽好きでもない人に言ってもわかるだろうソナタをやっている。でもソナタってひとくくりにして、「え、一曲じゃないのか?」って言う人間もいる。同田貫がそれだった。御手杵は説明をしないし、同田貫にとっては御手杵がピアノをやっているかどうかなんて、関係がないみたいだった。御手杵と同田貫は現世で、いわゆる親友ってやつをやっている。

親の指導ではじまったピアノだったが、御手杵の長くて器用に動く指にはそれが向いていたらしい。それなりの上達スピードで、結局、勉強に専念すべき高校にまで、持ち込んでしまった。好きな曲を弾いたことは、まだ、ない。ピアノの先生は厳格な人で、自分の教える道以外の曲を弾かせてはくれなかったし、御手杵だって、どうしたってこの曲が弾きたいという曲を持ち合わせていなかった。中学、高校と合唱コンクールの伴奏をやらされたが、それは他のピアノを習っている子供より御手杵が普通に上手かったからであって、御手杵が弾きたいと言ったわけじゃあない。高校になって、ひそひそ、「男子が伴奏?」という声が聞こえてきたけれど、それだってもちろん進んで志願したわけじゃない。けなげに続けている同じ教室の女子が1人と、別教室の女子が2人いたが、御手杵より下手だったから譲られた。それだけだ。進路指導の先生に、「音大に行くのか?」と聞かれたが、御手杵はまだわからないでいる。どうして自分が槍を握っていないのか、どうして戦っていないのか、今でも、わからない。


「なあ、なんでお前ら、付き合ってねーの?」

ファミレスで久々に日本号と会話していたら、ぽつりとそんなことを言われた。日本号は御手杵より早く転生していて、10歳も年上だった。実家が建設業をやっていて、将来的にはそこを継ぐ予定だが、今は社会経験を積むために他の大きな企業で働いている。日本号とは中学の頃に知り合って、それから連絡先を交換して、たまにこうして話をする。蜻蛉切には会うには会ったが、まだ小学生で、記憶自体が安定しないようだった。もとが刀剣だったかどうかはすぐにわかる。どんな髪型になっていても、どんな姿になっていても、すぐにわかるようだった。街ですれ違えば一目で視線が奪われ、「あ、あいつだ」と、わかるのだ。相手に記憶が残っていようと、残っていまいと。

「なんでって、正国に記憶が戻ってないし」
「でもお前は好きなんだから、記憶が戻るも戻らないも関係ないだろ。さっさと寝ちまえよ。本丸じゃあずっとべったりしてたくせに」
「本丸と現世じゃあ違うし」
「でも記憶なくったってお前ら友達なんだろ」
「うん。波長は合うっていうか、なんか、自然に。ていうか、そっちはよろしくやってんのな、長谷部と」
「え、どっから聞いた」
「鯰尾」
「あーあいつなー……最近酒の席で呑みすぎたかなー……」
「なんで?って思った。あんたら、本丸で仲悪かったのに」
「だよなぁ。いや、悪くはなかった。まぁ最初はアレだったけど……最終的には嫌ってなかった、かな」

御手杵は多分日本号が払ってくれるだろうドリンクバーのコーヒーに砂糖とミルクをやまほど入れた、もはやコーヒーとは呼べない代物を啜りながら、ぽつぽつ、今現世にいて、会ったことのある本丸の仲間の顔を思い起こしていた。本丸で付き合いのあった刀剣どもは、現世でもつるみたがる。なんだか磁石みたいにして、くっつく。けれど全員が全員そうってわけじゃない。年齢の壁、性別の壁、それから御手杵と同田貫のように、記憶の有無でも。ままならないものだ。

「なんかさあ、ほんとの人間ってもんになって、やっとあいつのことわかってやれたんだと思う」

日本号は普通のコーヒーを啜りながら、ぽとり、御手杵の心に沁みをつくった。

「なんだよ、急に語り出して」
「いや、大人の話。聞いとけよ、高校生にはタメになんだから」
「ふうん。俺、あんたに酒の飲み方くらいしかタメになる話聞いたことねーけど」
「うるせえな。いやほんと、真面目な話だって。なんつーの?本丸って場所がないから、ほんとにほしいもんがわかるっていうか、刀剣じゃなくなったから、しがらみから解き放たれたっていうか、そんなかんじ。どこどこにいたから、誰の刀だったからとか、そういうのに縛られなくなる。本質ってやつ、なのかな。そいつがどういう人間で、どういう性格で、ほんとうはどうありたいのかってのが、丸裸にされてるかんじ。で、丸裸になった俺と長谷部はそんなに違わなかったし、違ってた。だから今更、付き合ってる」

御手杵はうまく言葉を飲み込まなかった。のみこめなかったのではない。飲み込まなかった。槍を持っていない、戦場に立っていない自分を、まだのみこめていないのと、よく似ているかもしれない。

「寿命がなくって、もっとずっと長くそうしてられた時にそうすりゃよかったのに」
「だから、それじゃ、ダメだったんだって。今だからできてんの。わかんねーかな、このかんじ」
「……わかんねー」
「まぁ、まだまだお前は子供だってこったな。……あ、子供といや、お前、進路どうすんだ」

今日の日本号は御手杵に嫌な話題ばかり振る。そこらの大人みたいだ、と、思った。実際、そうなのだけれど。

「……適当な大学に行く。親も進学はしとけって」
「音大?ピアノ、まだやってんだろ。コンクールにも入賞してるだろ」
「音大じゃない。俺、プロじゃやってけないって、わかってるし。ピアノ、そんな好きでもないし」
「じゃあなんで高校までピアノなんて、やってんだ」

御手杵の心にはじわじわ、沁みができていた。その沁みが、静かに口を開かせた。

「もしもピアノが弾けたら、好きな奴に全部伝えられるって曲、あったろ」

御手杵の世代の曲では、ない。もっとずっと年上。それこそ御手杵の親の世代か、それより上の世代で流行った曲だ。御手杵はラジオから時折親が流していたその曲を、忘れられないでいる。日本号も世代ではないが、曲自体は御手杵より知っていたらしく、「ああ、あれね」という顔をする。

「え、それだけ?」
「うん、それだけ」
「それだけで高校までやったのか?」
「うん」
「お前、大概だな。で、どうなんだ。ちゃんとお前にはピアノがあるし、腕もあるだろ」
「……?……うん。でも、俺、何弾けばいいかわかんなくて」
「作れよ、そこは」
「作るのと弾くのは全然違うんだよ。それに、まだ何伝えたいかもわかってない」
「ふうん」

日本号はコーヒーを飲み終えると、頬杖をついて、しばらく考える素振りをした。何か思い出している風でもあった。御手杵はそういえばあの曲、出だししか知らないなあと思っていた。

「お前にはまだ、残る言葉もないってんなら、まずそっから探さないとなのかもな」
「え?」
「丸裸になって、自分と向き合って、そっからやっと、同田貫と向き合えるって、そういう話」
「……」
「そうだなぁ、なんかこういう話してっと、お前のピアノ、聴きたくなるな」
「あんた、家にはもう呼べないからな。前にあんた家にあげたあと、親にあんなやくざみたいな人とつるむなってめちゃくちゃ怒られた」
「ひでぇな。ただの建設業関係者なのに。今度名刺でも持ってくか?大手だぞ、大手」
「むしろ胡散臭い。同田貫もあんたのことやくざってあだ名で呼んでるからな」
「なんでだよ。こんないい男つかまえて」
「いや、鏡見てから言えよ」
「ふうん。ま、いいけどさ。ピアノなら他にあてがある。よく行く酒場がな、昼は午後からだけど、ピアノ置いてあるただの喫茶店みたいなことしてんの。そこ行きゃ弾ける」
「でもそういうとこのってジャズとか用だろ?俺、クラシックしか弾けない」
「いいんだよ、なんでも。ねこふんじゃったとか弾いてる酔っ払いもいるし」
「ふうん。まぁ、いいけど」

御手杵は連れられるまま、その喫茶店へと足を運んだ。そこはそれなりに人がいて、ど真ん中にピアノが置いてある造りだった。オーナーが大のピアノ好きなんだそうだ。しかし今は誰もピアノを弾いていない。店の中は何か音楽が流れるでもなく、しんとして、かちゃかちゃとカップの音だけがしていた。黒と白のピアノは埃をかぶることなく、きちんと整備されていた。御手杵がポーンと適当な鍵盤を落としても、調律はくるっていない。日本号が「ほら」と言うから、椅子に腰かけた。いつもこの瞬間が緊張する。背筋を正して、のめり込みすぎないように、自分を律する。

御手杵は手始めに、なんとなく、教室ではじめて習った曲から弾いていった。そんなに長くない。有名でもない。誰もがあーと知っている顔にもならない。それから黄バイエルの曲、ブルグミュラー、今、やっているソナタ。未完成のソナタはどこか不安げで、まるで自分のようだと思った。一通り弾き終わると、ファミレスとは香りの違うコーヒーを飲んでいた日本号が、拍手をした。それにつられて、周りも拍手をする。けれど御手杵の中は空っぽだった。だって、これらは人から与えられた曲だ。自分からもぎ取った曲じゃない。御手杵がそのことに茫然としていると、日本号が隣に立って、「例の曲は弾かないのか?」と。

「出だししかしらない」
「スマホで一回流せば、お前なら耳コピできるだろ」
「音階だけならできるかもだけど、でも正しいやつじゃない。もともとピアノ曲じゃないし、俺、アレンジとかしたことないし」
「でもでもだってが多い奴に育っちまったな。ま、いいんだけど。俺には長谷部ができて、お前は同田貫と別れたまんまで、いやまあ友達で、それでいいってんなら、ずっと、それ続けてろよ」

返す言葉もなかった。


それからしばらく、日本号とは合わなかった。日本号は月に一度は誘ってくるけれど、それを御手杵が断っていた。どうしてだかわからないけれど、恥ずかしかったのだ。丸裸の自分ってやつを見られたのが恥ずかしかったのか、子供じみた自分を見せたのが恥ずかしかったのか、中身空っぽのままこの年になった自分が、恥ずかしかったのか、それとも全部かは、わからない。けれど同田貫とは毎日のように顔を合わせた。同じ高校で、同じクラスなのだから仕方がない。

「そういえば学校のコンクールの時期だな」

そう言ったのは同田貫だった。

「一応進学校だってのに、二年までは音楽やらせられるんだぜ?伝統だかなんだか知んないけど、迷惑な話だよな。俺なんかバスだのテノールだの言われてもわかんねーし、なんで主旋律外れたあーだのうーだのばっか歌わされるんだか。女子のソプラノは楽でいいよな。普通に歌ってりゃいいんだから。あ、お前はやっぱ伴奏やんの?」
「ああ、うん。担任に言われてる。お前は伴奏頼んだぞって。やりたいわけじゃないのに」
「嫌なら嫌って言えよ。俺、あんたのそういうとこは好きになれねーな。長いものには巻かれとけ、みたいなとこ」
「正国はもうちょっと長いものに巻かれとけよ。こないだまた喧嘩して生活指導に呼び出されてたろ」
「突っかかってきたやつが悪い。俺が勝ったからあいつらがチクった。俺にボコられたって。負けて恥の上塗りかよ。だっせぇ」
「俺、正国のそういうとこ好きなんだよな。やっぱ折れず曲がらず?」
「お前いっつもそう言うけど、それ、なんだよ」
「ん?なんつーか、正国……いや、同田貫の代名詞」
「そんなん記憶にねーけど」
「俺が勝手に覚えてる」
「あんたヘンに達観したとこあるよな。そのくせ進路志望票は真っ白。へらへらしてねーでさっさと音大行けよ」
「……音楽はやんないよ。続けてる理由がクソだから」
「女にもてるとか?」
「教えない」

そう言ったところで、予鈴が鳴った。みんなが当たり前のように席について、授業がはじまる。御手杵はぼんやりと、心の隅に置いておけないものを感じて、静かに、シャーペンを回した。


「なあ、今回さ、指揮者、まだ決まってないんだって。正国、やってみない?」
「は?俺、音楽とかわかんねーぞ」
「指揮者なんてかっこよく棒振るだけで歌わなくていいんだぞ。毎年クラス委員長だけど、今年はそいつ、腕折ってるだろ」
「そういやそうだった。でもなんで俺?」
「一回、正国の指揮で弾いてみたい」
「ピアノって指揮必要なのか?」
「ひとりでならいらないけど、歌とか、バイオリンとかと合わせるときは」
「ふうん。ま、いいぞ。担任が認めたらな」
「え、」
「なんで驚くんだよ。あんたから言いだしたろ。あんたの推薦だって担任に言うからな」
「うん、それはいいんだけど、ほんとにやってくれるとは思ってなくて」
「なんとなく、これは俺の役割なんだってわかったから」
「俺、正国のそういうとこすげーと思うよ、心底」

結局、伴奏が御手杵で、指揮は同田貫になった。同田貫は「ほんとにそれっぽく腕振ってりゃいいんだな」と笑っていたが、御手杵はどうしてか笑えなかった。クラスの課題曲が、どうして、「もしもピアノが弾けたなら」に決まってしまったからだ。合唱曲アレンジがあるなんて、知らなかった。けれど、これでいいのだとも思った。この曲を同田貫の指揮で弾いて、それでピアノはおしまいにしようと思った。

練習はそんなにしなかった。クラシックより難しい曲じゃない。伴奏はメトロノームの振動に合わせておけば、そう崩れない。譜面通りにたどればよかった。夏から話題になってはいたが、季節はいつの間にか、秋になっていた。曲の本当の意味を、御手杵ははじめて知った。日本号はこのことを言っていたのか、という気持ちになった。

そうして、合唱コンクールの日、御手杵は最後のピアノソロになって、どうして、アレンジを入れてしまった。生まれてはじめて、譜面を無視した。同田貫の指揮が少し戸惑ったのがわかった。音が外れる。指揮とかみ合わなくなる。そうして、御手杵の最期の音を、同田貫がぎゅっと握って、抑えて、終わり。なんだか悲しい。そうした時に、自分の中に、言葉が眠っていることに気が付いた。伝えたい言葉が山ほどあった。そのどれもが、御手杵を睨んでいた。こわいくらい、睨んでいた。今までそこにちゃんとあったのに無視され続けてきた言葉どもだ。御手杵は静かに、誰もそこにいなくなってから、戻ってきて、ピアノを撫でて、泣いた。もう伝えられない言葉ども。もう一生、伝わることのない言葉ども。同田貫の記憶が戻っても、きっと。


御手杵はそれから、音大に行くことにした。この言葉どもを、どうにか弔ってやらねばと思ったのだ。そのことは日本号にも、伝えた。日本号は「ふうん、いいんじゃねーの」とだけ言った。記憶が定着してきた蜻蛉切には「御手杵が音楽!?」とたいそう驚かれた。やっとほんとうの自分を見つけられた気がした。半身と思っていたものはじつはそんなことはなく、ほどよく同じで、ほどよく違っていたただの他人だった。親しいだけの、ただの他人。御手杵と同田貫は、御手杵と同田貫であったけれど、御手杵と同田貫ではなかった。そのことが、なんとなくわかりだした。そうしたら、もっとちゃんとしないといけないと、わかった。御手杵は静かにピアノと生きていく。食うに困っても、売れなくても、ずっと、ピアノは弾き続ける。伝えることがなくなったときは、きっとまた、心の中を、覗けばいい。同田貫に指揮をしてもらって。


END


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