瞼の腫れが引くまでもう化粧をしない




「戦に出るのにどうして化粧をする必要がある」

僕が戦の前に肌に薄くドーランをのせ、瞼にも少々のものを落としているとき、鏡に映った同田貫がこわい顔でそう言ってきた。今日の隊長は僕で、彼が補佐をする。

「なにごとも心構えだよ。そして風流だろう。死んでもうつくしくあれる」
「俺たちは折れるだけだ。風流はわからねぇ」
「そうだね。これはただの儀式だよ。今から死地となるやもしれない場所へ赴くためのね」
「戦の中に生き、戦で死ぬのが俺たちだ」
「君はわかっていないんだよ。僕たちは分かり合えない。君の生き様はうつくしいが、雅とはかけ離れたところにある。君の魂は高潔だ。しかし僕の魂とは相いれない」
「言葉遊びは趣味じゃねぇ。いくぞ」
「ああ、行こう」

本当は僕だってこんな化粧に意味を求めていやしない。返り血を浴びればどろりととろけ、無様にもほどがある。だから僕は強くなる。返り血ひとつ浴びぬほど、修羅を極める。けれどそれでは心が死んでしまう。繋ぎとめる何かが必要だ。僕が僕であるために、僕はことあるごとに雅だ風流だと口にする。そうしなければ、僕の魂はきっと同田貫と同じ場所へ行ってしまう。けれど僕は同田貫ではなく、歌仙兼定だ。その名が修羅に堕ちるとき、それはきっとその名を貶めることになる。だから僕は化粧をする。この化粧が落ちるまで、僕は修羅にはとらわれない。落ちてなんとも思わなくなったとき、それがきっと、僕の最期。


その日の戦は乱戦になり、雨も降って、僕の化粧はぐちゃぐちゃになった。僕はそれを無様でかなしいと感じた。まだ大丈夫だ。僕はまだ、歌仙兼定。僕が顎からつたう液状の白と赤を布手甲で拭っている横で、返り血に染まった同田貫が、獣のように吠えながら大将首を晒していた。その姿はまさしく修羅。高らかな笑い声が耳をつんざく。僕はひっそりと、ああ、うつくしい、と、唇だけ動かした。


僕と同田貫はこの本丸の古参だった。僕は初期刀で、同田貫は太刀の中で一番にこの本丸へ顕現した。それから同田貫は刀種の変更があったが、本人は「戦える戦場が増えた」と喜びいさむばかりで、僕の理解の範疇を超えていた。彼は、何をもって自分を自分としているのか、全く見えなかった。いつも戦うこと、切磋琢磨すること、修行をすることしか頭にない。彼ほど雅さから遠い存在はないとわかっていても、僕は彼に惹かれてしまう。地球が丸くって、一周したらもとの場所に戻ってきてしまうのと、それはどこか似ている。対局にいるのではない。きっと僕たちはずっと近くにいる。一周回った、その場所に。だから僕は恐ろしい。何が、とは言わない。頭から追い出している。けれど彼を、憎からず、思う。


「あんた、きれいだなぁ」

同田貫がある日の庭で、他愛ない話をしている時にふとそんなことを言った。景趣は春で、藤が垂れていた。その花に僕が手を伸ばしたそのときに、ぽとん、と、花の落ちる音で、彼はそう言ったのだ。

「……今は化粧をしていないよ」
「そうじゃあない。花の色とあんたの髪色が、ちょうどかすんで、ひとつのようで、なんて言ったらいいのか、まぁ、とあえず、きれいだ」
「そう。ありがとう。うれしいよ」

僕はひどく冷静にそう言ったが、頭の中はぐちゃぐちゃだった。君はそんなことは言わない。何が君を君たらしめる。そんな感情は必要でないだろう。やめてくれ。僕の隣に立とうとしないでくれ。僕は僕でありたい。修羅になんて、堕ちてたまるか。自分の立つ場所が、どこであるかなんて、知りたくないんだ。


そうして、年月は流れた。僕は歌仙兼定のまま、同田貫は同田貫正国のまま、幾多の戦場を駆け抜けた。彼は強かった。僕も強かった。この年月で折れなかったということは、そのことだけをただただ、証明した。

けれどある日の戦帰り、同田貫が一言ぼつり、「むなしい」と言った。その言葉は僕のこころのやわい部分を深々と突き刺した。それから三日後、同田貫は長い長い修行へと旅立っていった。その修行の間、彼になにが起こったのか、何を思っていたのか、知るのは主と、本人だけだ。僕にはなんにも知らされない。彼と僕はきっと近かった。でも遠かった。ちがう、僕が足踏みしているあいだに、彼が遠くへ歩いていってしまった。ただ、それだけ。

同田貫が修行から帰還すると主から通達があった日の夜、僕は戦でもないのに化粧をした。うすくドーランを塗って、瞼に色を落とす。目の際も目立たせて、まるで女のよう。この化粧にははたして、どんな意味が、価値が、あるのか。

そうしてその夜、同田貫は帰還した。僕はそれを迎え入れた。同田貫は主へと軽い報告を済ませると、すぐに僕の部屋へ来た。なんとなく予感はしていた。君が、同田貫が、僕のところへ来てくれるんじゃないかって、予感が。そうしたら同田貫は獣の唸るような声で「嫌だったら振りほどけ。俺を蔑め。受け入れるんなら、目を閉じろ」と、そう言った。僕は静かに、目を閉じた。何を考えたわけでもなく、自然にそうなった。

獣にはらわたから食われているようだった。なんとも形容しがたい、そういうものだった。僕は同田貫に混ざり、同田貫は僕に混ざった。夜更けまでそうして、僕は最後に薄く色の混ざった涙を流した。同田貫がそれを舐めた。そうして「不味い」と一言だけ、そう言った。

僕たちはちゃんと恋をできていたかい。ちゃんと、恋をしているかい。ここに愛はあったかい。ここに愛はあるのかい。全部、その場でたしかめた。言葉にしないで、空気の流れで、身体の動きで、全部がわかる。不思議な心地だった。化粧が落ちる。僕はなんにも、思わない。ただ、それだけでよかった。それが心地よかった。


「あんたを、憎からず、思う」

明け方に同田貫が、掠れた声で、そう唸った。その視線はしかし、逸れることなく、阻まれることなく、臆することなく、僕へと落ちてくる。そうした時にやっと僕は、拒めばよかったのだと思った。遠慮ある間柄ではないのだから、正しさを説くことも、殴って拒むことも、なんだって、してやればよかった。けれど、僕が黙って目を閉じたから。だから彼は修羅になりそこねた。苦しい修行を、してきただろうに。けれど僕はそれでいいと思った。僕たちはずっと近くにいる。前からそうだった。僕の瞼は涙で濡れて、腫れていた。この瞼の腫れが引くまでは、僕はもう化粧をしない。その必要がないと、君が示して、僕が受け入れたから。君はいつだって、僕の瞼を腫らしてくれるから。


END


元ネタは帽子さんのSSです

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