星いから三角でも丸でニセモノでいいけど冬が終わったからって泣かないで





※おてたぬ現パロ
※暴力表現有り

俺っていう生き物はまだ大学生で、それも二年で、まだ成人してなくって、そこらのチェーンじゃないドラッグストアでバイトしてる、普通のヤツだった。顔はそれなりによくって、愛想もそれなりで、背も高い。でも彼女はいない。好きな子もいない。彼女作ってもいいかなって思ったりもするけど、ぶっちゃけ告白とかたまにされるけど、でもいい加減な気持ちで付き合っても時間の浪費かなって、そんなちょっとは誠実な男。チェーンのドラッグストアだとバイト大変そうだったし、それだったら老夫婦がけなげに運営している小さなお店でほのぼの働きたいな、とか、そんなこと考えるちょっとしたロマンチストでもある。俺は自覚している。自分が普通だってこと。でもそれが、ある日突然覆された。

その日俺は、バイト先の老夫婦の売り上げにちょっとでも貢献できればって思って、セールに出されてた救急セットを1200円で買った。俺の時給がだいたい600円だから、二時間分の労働力をその夫婦にあげたことになる。悪い人どころか、むしろいい人を地でいく二人だから、それくらいどうってことなかった。俺はあんまり怪我しないから使う機会があるか疑わしいけどって言ったら、二人は「そんなもの、使わないに越したことはないんだよ」と笑っていた。この店がいつまでもこのまま、世界の片隅に存在し続けられればいいのに、と思ってしまった。少し離れたところだけれど、大型のドラッグストアが建設される予定が、俺の情報網にはしっかりと引っかかっていた。

自転車のカゴにその救急セットの入った箱を入れて漕いでいたら、公園を通りかかった。そのときだ。公園をなんとはなしに見たら、男の人がぐったりしていた。このクソ暑いのに黒の服を着て、ベンチに寝そべっている。俺は普通の人間だけど、これで死亡ニュースが流れたらやだなって思うくらいの善良な心は持ち合わせていたので、公園にチャリをとめて、その人のもとへ駆け寄った。

「大丈夫ですか!?」

近くで見たら男の人は顔が傷だらけだった。喧嘩に負けでもしたんだろうか。傷害事件、とか、警察、とか、そういうあぶない単語がぐるぐる脳内をめぐったけれど、それが凝結する前に男がうめいた。

「いつものことだから」

なんだそれって思った。明らかに他人につけられただろう傷がいつものことって、どんな世界軸での話だよって、そういう話。幸い俺は救急セットを持ってきていた。中には熱中症用のアイスパックも入ってたから。でもこの人に必要なのは多分消毒液とか絆創膏とか、包帯とか、ガーゼとかそういうのだ。

「えっと、警察、とか?」
「いい、いらない。身内みたいなもんにされたんだ。いつもだから、その都度被害届なんか出してたらキリがねぇ」
「家庭内暴力?でも……」
「家庭内でもない。付き合ってる奴がさ、仕事でうまくいってなくって。どうしてかな、最初はそんなんじゃ、なかったのに」
「女、とか、ですか」
「いや、男」
「えっ」

声を出してから、俺の頭ん中で「LGBT」とか、ゲイ、ホモ、いやホモは差別用語だ、同性愛、デートDV、そういう単語がぐるぐるめぐった。ゲイの友人なんかいない。だってすごい少数派だ。こういう時どう声をかけたらいいのかわからない。ていうか、なんで俺、声かけちゃったんだって思った。これは関わっちゃいけないって脳みそが警告を出してる。でも俺の手の中には救急セット。多分、黒い長袖の下にも沢山傷がある。小市民的な正義感が邪魔をする。

「驚いてすみません。失礼でしたよね」
「いいよ。気持ち悪いって思ってくれてもいい」
「そんなこと、……思わない、わけじゃ、ないけど、でも、手当だけしていいですか。俺、薬局でバイトしてるんです。そういうの、少しだけ詳しいから」
「いいけど、無駄になるぞ」
「いいんです。俺が、したいんです」

この男は不思議だった。ほうっておかせない魔力みたいなのを持っているみたいだった。そして俺の普通をどんどん壊していく。常識って、何だろう。それって大多数の人間が、もしくは一個人の価値観がそう言っているだけで、絶対なものじゃ、絶対ない。絶対なんて、絶対ないけど。これは哲学だ。

男は結局、俺に手当されてくれた。そのあいだ、あぶくのように会話をした。

「お名前伺っても?俺は御手杵って言います」
「正国」

俺が警戒のために苗字だけ教えたのに、男は迷わず下の名前を教えてきた。パーソナルスペースが狭いのか、苗字の方になにかあるのか、わからなかったけれど。

「公園じゃ、見えてる場所の手当しかできないですね」
「いいよ、それで。他の男の家に行くのはあいつ、嫌がるから」
「正国さん、俺より年下?同い年?俺、今大学二年なんすけど」
「いや、年上だな。俺、今25歳。仕事、してねーけど」
「あ、すみません」
「いいよ。慣れてる。童顔って、よく言われんだ」
「俺が正国さんの家に行くのもアウトですか」
「同棲してっから、ダメ」
「じゃあ、顔と、手とか、そこらだけになっちゃいますけど」
「気にすんなよ。むしろあんた、危篤だぜ。ホモでDV受けてるやつにかまうなんて」
「……俺も、そう思います」

手当が終わったら、正国さんはポケットから見たことない煙草を取り出して、吸い始めた。コンビニでバイトしてないから、煙草の銘柄には疎い。成人しても吸う気がない。身体に悪いって、中学校から高校にかけての保健体育で叩き込まれたし、大学でも特別講義がある。

「それ、なんて銘柄です?」
「キャスターの5mm」
「ミリ?」
「タールがどれくらい入ってるかってこと」
「へー……」
「彼氏と揃えてんだ。どっちが買ってきても、どっちも吸えるように」
「……ひどい、やつなのに」
「傍から見たらな。でも、俺にとっては大事な奴だから」
「……本当に吸いたい煙草はなんなんですか?」
「……教えない」

煙草を吸い終わると、正国さんはベンチから辛そうに立ち上がった。「そろそろ帰んないと」と、言って、それから「ありがとな」と言った。俺は「いえ……」としか、返せなかった。

正国さんが帰っても、俺はしばらくその場所から動けなかった。空にはもう夜の帳が下りて、街灯が眩しい。非日常的すぎて、頭がふわふわしていた。今まで普通のことしかしてこなかったから、今日の衝撃が大きすぎて、脳みそがうまく処理できていないのがよくわかった。とりあえず、救急セットは、中身、補充しないと、なんて、似つかわしくなく普通のことも思った。


それから1年、俺は成人になった。誕生日が過ぎたらはい、お酒飲んでいいですよ、煙草いいですよって、不思議な感覚だった。成人式にもちゃんと出た。でも誰かが暴れたり、奇抜な恰好してるわけでもなく、式は粛々と行われた。これで俺って、大人になったの?って、そんなかんじ。俺は普通の人生を歩んでいた。ちょっとばかし普通じゃないってとこは、ゲイの知り合いがいるってこと。

正国さんと俺は週に1回会うか会わないかくらいの頻度だった。場所は決まってはじめて会った、公園。まだバイトを続けていて、店も存続しているドラッグストアの老夫婦は、俺が消毒液や絆創膏やらなにやらを買うたんびに「たくさん怪我するの?」だとか「売り上げとか考えなくていいのよ?」と声をかけてくれた。俺は「俺、バスケサークルにいるんすけど、そこだと怪我多いんすよ。あとから部費で貰ってるんで領収書だけください」と言って、ごまかした。そのすべては正国さんに使っていたからだ。領収書は適当に破いて、あとから捨てていた。ちょっとだけ良心が痛む。

正国さんはこの一年の間に、彼氏が変わっていた。けれど、怪我がなかったのは最初の一ヵ月だけで、あとはまた会うたんびに傷をこさえてきた。本人は基本的に男運がないと笑っていたけれど、そういうのが日常ってどんな人生なんだろうって、俺は少し「普通」の感覚がマヒしてきた。俺は大学三年の夏で、来年から就活かぁとか考えながら、適当にボランティアとかに参加して、普通に授業受けて、トイックも受けて、500あればいいかな、とか思ってたり、そういうかんじだった。正国さんの煙草の銘柄はまた変わった。今度はラッキーストライク。正国さんが本当に吸いたい煙草の銘柄を、俺はまだ知らない。


それからまた月日は流れに流れて、俺は社会人になった。大学の卒業式はあっけなかったけど、就活忙しくなるからってバイトやめた時は、ちょっと泣いた。老夫婦も泣いてた。でも俺が就職したのはこの近くの企業だったから、引っ越す必要がなくて、また会いにこれるのが、嬉しかった。繋がりを切らなくて済むのって、こんなに幸せなことなんだなって思った。俺はやっぱりそのドラックストアが好きだ。好きなもの、思い出の詰まったものとはずっと繋がっていたい。普通にそう思った。

繋がりが切れなかったのは、正国さんもそうだった。俺の中の普通の象徴であるドラッグストアで買った商品を、普通でない正国さんに使うのは不思議な感覚だった。正国さんはまた男が変わったけれど、なんでそうなるのか、やっぱり傷だらけだった。顔を斜めに走る傷は、昔付き合ってた男にカッターでやられたらしい。これじゃあ、普通の職にはつけない。ただでさえDVのせいでまともな暮らしができてないのに。

そして、正国さんと会うたんびに、俺はどんどん普通じゃなくなっているみたいだった。正国さんの傷の手当をしたときに、消毒で沁みたときとか、傷に薬を塗り込むときとか、そういうときにこぼれる正国さんの吐息やかみ殺した声に興奮をした。俺はいつの間にか、正国さんに恋をしていた。正国さんに新しい恋人ができるたんびに嫉妬したし、どうしてそんなヤツと、という気持ちを抱くようになった。怖かった。その気持ちを口にしてしまったら、正国さんとのつながりが切れてしまうんじゃないかって、怖かった。だって俺は、正国さんの連絡先さえ知らない。苗字も知らない。どこに住んでいるのかも、本当に好きな煙草の銘柄さえ、知らないのだ。

そうして気が付いたら、社会人一年目の、夏の終わりになっていた。俺はいつものように公園へ行って、怪我がまた増えた正国さんの手当てをした。いつの間にか敬語は砕けた言葉になっていて、それだけ正国さんが俺の日常になっていた。なのに、どうしてか俺たちの関係には名前がない。多分友人じゃない。知り合いにしては濃すぎる。関係にいちいち名前をつけたがるのはなんでだろうって思ってた時期もあったけど、そうでもしないとそれがあぶくになって消えそうで怖いからだって、身に沁みてよくわかった。だから俺は今でも怖い。

「はい、おしまい」
「ん、どーも」

俺は正国さんの額の傷に絆創膏を貼って、終わりにした。前に手当した傷もまだ癒えていないのに、また新しい傷ができている。正国さんの身体は傷でできてるんじゃないかってくらい、その更新は早かった。いつかこのまんま、正国さんが傷で擦り切れてなくなってしまうんじゃないかって、怖かった。正国さんはまた前と違う銘柄の煙草を取り出して、火をつけた。この瞬間が、いっとう好きで、銘柄が変わるのは嫌いだった。正国さんの吐く煙が、最初は勢いよく出てくるのに、すぐ失速して、ふわふわと夜空に浮かぶ。それをじっと見つめすぎたのかもしれない。正国さんが視線を寄越してきた。俺は少しどきりとした。正国さんの視線が好きだ。いつでもその中にいたい。他のやつなんか見てないで、はやくこっちを見て欲しい。そしたら絶対幸せにするから。そしたらもう痛いことも、苦しいこともないし、好きな煙草だって吸えるんだ。ねぇお願いだから俺を見て。俺でいいじゃん。俺、顔には結構自信あるんだよ。学歴だってあるし、就職したのも大手だし、身長も高い。暴力も振るわないし、絶対正国さん、今よりは普通になれる。今より、「普通」の幸せってものに近づける。そう思ったら、口が滑った。

「そんな奴捨ててさ、普通の人にしたら」

一度滑ったら、止まらなかった。止めちゃいけないと思った。

「お、俺、とか」

俺がそう言うと、正国さんは煙草を最後にひと吸いして、携帯灰皿に押し付けた。俺は正国さんの方を見れなかった。この関係が、壊れたんじゃないかって。煙草みたいに、じゅってもみ消されたんじゃないかって。

「……考えとく」

正国さんはそう言って立ち上がり、街灯の外へと消えていった。これってOK、それともNO、どっちなんだろう。でもまだ繋がってるんだなってことはわかった。それだけでよかった。足元がふわふわしている。顔面が赤いのが自分でもわかる。少しだけ、普通に、幸せ。


ことが起こったのはその三日後だった。俺がめずらしく残業から帰ってきたとき、アパートの前に人影がいた。正国さんだった。ずっとずうっと前に、なんかあったらって、渡していた住所、今まで一度も使われることのなかったそのメモを思い出した。公園以外で見る正国さんは非日常的だった。俺は混乱して「え、え、正国さん?なんで?」としか言えなかった。正国さんは疲れた顔で、また新しい傷のできた顔で、ぽつり、「部屋、入れて」と言った。俺に選択の余地はなかった。

部屋に入ると、正国さんは俺のベッドに腰かけて、ぽつりぽつりと話しはじめた。

「あんたもさ、いい加減、もの好きだよ。こんな事故物件。……あ、この部屋じゃなくって、俺のことな。……さっき、別れてきたんだ。あいつと。なんでって、あいつが、あんたが貼った絆創膏、手当てなんかしやがってって剥がしてきやがったから。この何年かで別れた理由、全部それ。俺、あんたに手当してもらえるの、実はちょっと嬉しかった。普通の人ってかんじで。なんか、そういうのいいなって。で、絆創膏剥がした奴は殴ってきた。鼻とか折れたかもだけど、これでおあいこだろ」

そう言って、正国さんは「この部屋禁煙?」と聞いてきた。俺は「台所の換気扇の下なら」と答えた。そうしたら正国さんは見たこともないパッケージの煙草を取り出して、そこで火をつけた。一口吸って、吐いて、「ブラックデビルの、カフェバニラ」と言った。俺はなんのことかわからなかった。その煙草は真っ黒で、真っ黒なくせに煙は「普通」に白い。

「俺の、本当に吸いたかった煙草の銘柄」
「それって……」
「次、あんたにしようと思うんだけど、どう?」

正国さんは、「ちょっとそこまで散歩しないか?」っていうくらい気軽なノリでそう言った。俺はなんて答えていいか、わからなかった。答えは決まってるのに、それにどう返事をしたら普通かな、とか考えてしまって、言葉に詰まった。

「俺とキスとか、セックスとかできるかって、そういう話」
「……できる」
「じゃあ、俺のものになって」
「いいよ」
「じゃあ、今度から『正国さん』じゃなくって、『正国』って呼べよな」
「うん」
「なんで泣くんだよ」
「だって俺、正国さんのこと」
「ほら、もうダメだ」
「え」
「俺の事なんて呼ぶんだっけ」
「正国」
「オーケー。改めて、これからよろしくな、御手杵」
「うん」
「だから泣くなよ」

俺はぼろぼろ、ぼろぼろ、泣いた。今まで泣いてこなかった正国のぶんまで泣いてるんじゃないかってくらい、泣いた。普通ってなんだかわからないけど、それって結局、周りの価値観だ。全員違う。正国は俺の一部で、俺は正国の一部。そういう風になりたい。暴力とか絆創膏とかそういうので繋がらないで、もっとあったかいもので繋がっていたい。例えば、そう、今流れてる、涙、とか。


END


元ネタは鶏さんの漫画です

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