へたくそな生き方でもいいんだよって先生が言ったからどうしてもこんなにぐちゃぐちゃで先生を困らせてしまう




※おてたぬ現パロ

同田貫正国は八年前からとある高校で教鞭をとっている。科目は強面に似合わず現代文だった。教師となるのは子供の頃からの夢であった。同田貫が高校の生徒であった時に、当時の現代文の先生に言われた言葉が、胸に入っており、その言葉を、ひとりでも多くの子供(高校生というのは子供であるのか、それは議論の種であるが)に伝えたいと思ったからである。そうして、四年目にしてついにクラスの担任を任された。問題の少ない、ありふれたクラスだ。皆が皆、それぞれの青春を謳歌しているようであった。慣れない進路指導に、同田貫は悩むことも多かった。それは二年生のクラスであったが、一応の進学校であったので、進路については真剣に話し合う必要があった。ひとりひとり真摯に向き合い、相談をした。そして、本業の現代文についても、きちんと教えなければならなかった。同田貫はたいへんな苦労をした。しかし、それが幸福であった。気が付けば、三十路を通り越し、独り身で、恋人もおらず、親に結婚を急かされる年になっていた。学校のこと以外で煩わしいと思うことがあると、同田貫はひとり、書店に入る。そうして、目についた本を一冊だけ買うのだ。その多くは文庫本だった。ベストセラーはひとしきり読んでいるので、平積みにされている話題の新刊の中から適当にそれを見繕う。広い書店をひとしきり見て回ったが、ひときわ、目を引くポップが飛び込んできた。「わたしの高校の先生への手紙です。どうか、どうか、この本を読んでください。あなたが先生であるならば、いっそのこと、手に取ってください」と書いてある。同田貫の右手は吸い寄せられるようにその本を取った。

テスト期間が終わり、ひと段落した時分であったので、同田貫は家に帰って夕食を終えると、すぐにその本を開いた。タイトルは、「拝啓、先生」だ。手紙のようなデザインの装丁で、これは女性に受けそうだと思った。小さな出版社のレーベルで、作者の名前は、「結城」。今の時分、苗字だけ、名前だけ、妙な名前のペンネームはざらにあるので、特に気にならなかった。これはきっと苗字だろうと、同田貫は思った。そうして、今の時分には珍しい、前書きを読んだ。

『この本が、世界でたったひとりの、わたしの先生の手元に届くことを、祈っています。わたしは不器用であるからして、このような方法でしか、先生に思いを伝えることが、できなかったのです。どうか、最後まで読んでください。どんなにつまらなくっても、あなたに読まれなければ、なんの価値もない小説です』

同田貫は静かに息を吐き出してから、その小説を読み始めた。

小説の舞台は、S県O市となっており、高校の名前はM高校だった。同田貫はその時点で、これは埼玉県大宮市が舞台で、さらには自分の勤務している高校ではないのかという錯覚をした。頭文字が、ぴったりと当てはまるのだ。そして、ところどころに挟まれる学校の描写も、行事も、少し変えてあるがしかし、その高校のものに、相違なかった。校舎は三階建てで、大きな講義室のような多目的ホールがあり、体育館が二階建てで、と、共通点が、多すぎる。廊下の長さも、教室の配置も、つぶさに、そうだった。同田貫は勤めている高校から、小説家が出たのか、と、(もしかしたら誤解かもしれないが)感嘆した。

(以下はその小説の内容を一部ずつ抜粋したものである)

「先生と俺が出会ったのは、俺が中学二年に上がった時だった。その先生は俺のクラスの担任で、ひどく、強面だった。そのくせ、担当科目は、現代文。自己紹介も、そう長くはしなかった。ただ短く、『一年間、よろしく』とだけ。もしかしたら、なにかもっと言っていたかもしれない。けれど俺はそのとき、隣の女子がひそひそと話しかけてきたので、終ぞ、その先生の文言を聞きのがしてしまった。そのことを、今でも、後悔している。

現代文という科目は、俺は大変苦手であった。教科書の内容を、プロが読み上げたCDを聞いて、それをさらに読み解いていく。その音はひどく眠気を誘ったし、表現がどうの、接続がどうのと言われても、実際、毎日のように話している言葉どもの集まりなのだから、退屈なことこの上ない。少なくとも、一年の時の担当は、そうだった。しかし、二年になってからの先生は、CDではなく、自ら、音読をした。たまに言い間違えたり、どもったり、声が掠れたりした。しかし先生の声は低く、耳に心地よかった。はじめて先生の音読を聞いたのは、夏目漱石の「こころ」の一節だった。『先生と遺書』の章の、いったい、どこだったか。とにかく、先生は、『先生』の遺書を、静かな声で読んだ。その声が低く掠れるたび、耳を舐られるような心地がし、先生が咳をするたびに、ひどく、もどかしい気持ちになった。このような歪曲した表現を使ったのは、ひとえに、羞恥のためだ。俺は本当は、先生の声に、ひどく欲情し、劣情を、催した。

先生が、現代文の教師であるということは、ひどく、むつかしい問題であった。英語や数学であれば質問をすることも、できるだろう。しかし、現代文となると、うまい質問が思いつかない。俺はどうにかして、なんとかして、先生の印象に残りたいと、そう思った。自意識過剰かもしれないが、俺は自分の美醜には少々の自信があった。しかし、それはこの場合、あまり意味を成さなかったのかもしれない。俺、という一人称を使うからして、俺は男であったし、先生もまた、男であったからだ。

だから、俺は卑怯な手段をとることにした。現代文の宿題は、一切、提出しなかった。期末でも、赤点を取った。大学への推薦を取るわけでもなし、そこに問題は、なかった。俺のこの行為は、果たして、先生をおおいに悩ませた、と、俺は思っている。今では、済まないことをしたと、思っている。しかし、期末テストでは、苦労をした。教科書に載っている文章から問題が出るので、当然、教科書の文章が、テストの問題用紙に書かれているのだ。その文字列を目がなぞるたび、俺は先生の音読を思い出した。そうすると、ひどく、欲情するのだ。先生の声を、ひどく聞きたくなるのだ。誰にも聞かせたことのないような、そんな、ひどく、いやらしいような、そんな声を。そうすると、先生の、先生でない貌も、見たくなってくる。長文の解答欄に何度、先生への想いを書き綴ろうと思い、実際、一文字だけ書いて、その醜悪さに、消しゴムで擦ったか。そのぶん、俺は酷く、汚れているような気がした。

一学期が終わった頃、俺はついに、先生に呼び出された。そこで、何故宿題を提出しないのか、何故、小テストを含め、赤点ばかりとるのかと、問い詰められた。先生のそのときの声は酷く怒っているようであったが、しかし、心の中では何か、不安を持っているようだった。自分に責があるのではと、自分にナイフを突き立てているようでもあった。俺は先生に対して、なんにも、返すことができなかった。ひどく、後悔をした。こんな声を、こんな顔をさせたかったわけでは、なかったのだ。黙っていると、先生は、『何か悩みでもあるのか。他の科目は、問題がないのに。どうして、現代文だけ』と、切ないような声をした。その時勝手に腕が動き出そうとするのを、俺は必死に、抑えなければならなかった。そして、俺はひどい言い訳をした。『先生が、嫌いなんです』と。すると先生は、ひどく、傷ついた顔になった。そのときになって、俺はこの人は生来、先生に向いていないのだと、わかった。『先生』という生き物は、生徒に、基本的に嫌われる役目を負わなければならない。厳しい宿題を出して、進路について厳しい問答をして、一線をひいて、先生である自分と、先生でない自分をきちんと、持たなければならない。けれど先生はそれができない性分なのだと、わかった。先生は俺の言葉によってできた表情を、どうにか取り繕って、『そうか』とだけ、返した。そうして、その場所は職員室の真ん中であったために、『場所を移そう』と言ってきた。そうして、誰もいない進路指導室に、二人で籠った。俺はこのときに先生を無理やりにでも、どうにかすべきだったのかもしれない。しかし、どうもしなくてよかったのだとも、思う。俺の感情は酷く淀んで、凝って、先生を苦しめるだけだと、わかっていたからだ。先生は、二人きりになると先生でない貌をした。そうして、『――――(ここには俺の本名が入る)は器用な奴だと、勝手に思っていた』と言った。俺はぎくりとした。心の底を見透かされたような気持になった。『クラスの人気者で、友人も多くて、だいたい、中心にいる。成績も、……現代文以外は、問題がない。むしろ、よくできてる。なあ、ほんとうのことを教えてくれないか。俺のことを本当に嫌って、嫌がらせのためにこんなことをしているのだとしたら、それは、本当に、やめた方がいい。お前にとってなんの得にもならないし、俺はただ、お前を見捨てるだけで、いいことになってしまう。この一年だけなんだ。高校二年生の、この一年だけだ。その時間を、お前に無駄に、してほしくない』。先生の声は震えていた。俺は言い訳を失って、ただ、棒立ちになった。先生は、ひとつ、咳払いをした。『お前が器用な奴じゃないってことが、なんとなくわかってきた。俺も、器用な方じゃあ、ないんだ。それで、何度も、損をしている。けど、俺が高校生……高校三年だった頃に、ある先生に出会った。その先生は、現代文の先生で、俺のクラスの担任だった。俺は進路にひどく、思い悩んでいた。自分のやりたいことが、なんにも、見つからなかった。結局、自分の偏差値で行ける大学に行こうとしていたのだけれど、そのときに、先生に言われたんだ。へたくそな生き方でも、いいんだよって。その先生は、年配の、女性だった。教科書を、CDでなく、自分の声で音読する先生だった。その先生の声が、俺はとても好きだった。もしかしたら、先生に……いや、よそう。とにかく、俺はこの言葉を、もっと広めたいって、その時に、思った。なあ、――――。へたくそな生き方でも、いいんだ。無理しなくって、いい。俺でなくても、他の先生でも、友人でも、親でも、誰かに、相談をしてみてくれ。自分の中にもう答えがあるなら、それを文字に起こしてみてくれ。そうしたら、もしかしたら、何か、わかるかもしれない』。俺は、ひどく、後悔をした。何度目か、わからない後悔だ。そして、その裏で、嫉妬をした。この人の、先生の、人生を変えた人がいるということに、ひどく、嫉妬をした。醜いと思った。俺は、ただひとつ、先生に、『俺に音読をしてくれる先生は、先生だけです。俺に、その言葉を教えてくれたのも、先生です』と、言った。ほとんど、告白のようなものだった。けれど先生はなんにも気が付かないようだった。そのことに俺は苛立ったけれど、安心も、した。この心のうちにあるひどく重苦しい、醜い、うつくしくない感情が、先生に伝わらないなら、それでいいと思った。

それから俺は、先生の音読を楽しみにするばかりで、宿題も提出するようになったし、期末でも、模試でも、現代文の点数を稼ぐようになった。俺はありきたりな生徒になった。先生の思い出の中に、いったい、俺はどれだけ残っているだろう。俺の中はこんなに、当時も、今も、先生のことでいっぱいなのに。

三学期の終業式で、先生はやはり短く、挨拶をした。一年間、お疲れさま、だとか、そんな内容だった気がする。三年に上がったら、担任はやはり、変わったし、現代文の担当も、変わった。先生はまた、二年のクラスの担任になって、俺ではない誰かたちに、あの、ひどくうつくしい音読を、聞かせているようだった。

卒業式の日、俺は、がらんどうになった職員室に忍び込み、先生の机を、少し漁った。そこには一冊の文庫本があった。栞は最後のページに挟まれていて、先生はきっと、この本をしばらくは読まないだろうと、思った。だからその栞に、黒のボールペンで、俺の携帯電話の番号を、書き記した。いつの日か、この長い長い手紙を、先生が手にする時が来たなら、その返事を、先生にしてもらう、ために。

拝啓、先生、お元気ですか。俺は元気です。そして、俺は今でも、先生のことが好きです。敬愛でもなく、友愛でもなく、もっと、ずっと、ひどい感情を、抱いています。こんなへたくそな文章で、とても恥ずかしく思います。けれど先生、俺は作家になりました。いつか、現代文の教科書に載るような小説を、書きます。そのときは、きっと、音読をしてください。先生の、あの、うつくしい声で。先生がへたくそな生き方でもいいって言ったから、俺はこんなことでしか、先生に想いを告げられなかった。好きです、先生。とても、好きです。今でも。どうか、どうか、返事をください。先生。俺の、たったひとりの、先生。

敬具』


読み終えた後、同田貫は急いで本棚をひっくり返した。そうして、一冊一冊、挟んである栞を取り出して、その裏表を、確認する。「結城」は苗字じゃあ、ない。名前だ。苗字は、御手杵。同田貫は震えながら、栞を取り出し、確かめ、もとに戻さないで、ばらばらと床にばらまいていった。思い出を、掘り起こすように。そうして、あっと思い至り、一冊の、真っ白な装丁の文庫本を、取り出した。白くなめらかなカバーに、金字の箔押しで、「こころ 夏目漱石」と書いてある。その、最後のページに挟まれた栞を恐る恐る抜き出して、確認をした。すると、そこには、癖のない文字で、数字の羅列が、あった。同田貫は、震えた。そうして、きっと、これは夢なのではなかろうかとひとしきり考えてから、ひどい、気持ちを持った。暗く、凝って、どうしようもない、そんな気持ち。茫然としながら、同僚に、いつまでつかっているんだと言われる携帯電話で、かちかちと、その数字を打ち込んだ。

通知音が、何度も、鳴った気がした。あと一回鳴り終えたら、切ろうと、思った。そうしたら、ぷつんと何かが繋がる音がして、『……お久しぶりです、先生。お元気ですか。俺は元気です』と、声がした。同田貫は言葉を失って、しばらくの沈黙をした。そうしたら御手杵が、『へたくそな生き方でもいいんだよって先生が言ったから、どうしてもこんなにぐちゃぐちゃで、先生を困らせてしまう。俺はそんな大人になりました。ねえ先生。返事を聞かせて。どんなのでもいいから、ただ、先生の返事が聞きたいです。先生。同田貫正国先生』と、うつくしい声で、言った。

同田貫はもう、先生じゃあなかった。先生ではあるけれど、御手杵の先生では、なかった。だから同田貫は口を開いて、掠れる声で、言ったのだ。御手杵が劣情を催すという声で、たった、二言、三言。他人に人生を変えて貰ったのは、これで、二回目だ。


END

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