episode 2
紅と白霞、左手薬指の誓い


州はひときわ、自分の爪を気にかけていた。紅を幾重にも塗り重ねて、塗り重ねて、それをさらにコーティングして、剥げないようにして、とにかく、誰に強制されたわけでもないのに、とにかく、爪を飾り立てた。飾り立てるのは何も爪だけではないのだけれど、爪が一番、時間がかかった。紅が乾かないうちにまた紅をのせると気泡が浮いたし、そうしている間はなにもできないのだ。まぁ談笑くらいはできるので、こうして部屋に吉行が転がり込んでいても気にはしないのだけれど。吉行は何か紙束のようなものをぺらぺらとめくっているのだけれど、不思議とそれが加州の意識にとまることはない。

「のう、加州」
「……ん?ん、うん、何さ、他人行儀に」
「え?……ああ、まぁ気にせんと。いや、まぁなんじゃ、よう気をつかうもんじゃなあと思うてな」
「ああ、これ?」

加州は先ほど仕上がった爪を天井に透かして見せると、その寸分の狂いもないうつくしさに、自分でため息をついた。

「綺麗でしょ」
「なあ、ずうっと思っちょったんじゃが、そいつは付け爪かなにかか」
「え、違うよ。自分の爪。それなりに伸ばして、かたち整えて、でも伸ばしすぎると折れちゃうから、いつもぎりぎりのとこで綺麗に色塗ってるの」
「ほー。わしのはすぐ折れるわ欠けるわで、綺麗にそろったためしがないが」
「昔は爪紅って、爪そのものを染めてたからそういう効果はないんだけどさ、今のはマニキュアって言ってね、爪をコーティングしてくの。だから、塗ってた方が爪の強度が上がって、欠けたり折れたりしにくくなるんだよ」

加州はそう言ってから、透明なマニキュアが目についたので、「ちょっとやったげようか」と、吉行を招いた。吉行は「透明なんもあるんかえ」と興味を持ったようで、テーブルの上にためらいなく左手を出した。加州は「全部に塗るのは面倒だし、これは試しだから」と、吉行の左手薬指にだけ、透明なマニキュアを塗った。まず、先端から剥げないように、先端を縁どり、そして真ん中に一本、線を引く。それをなじませるように横を塗るのだけれど、はみ出さないように、慎重にならなければならなかった。

「案外、ひやいな」
「うん、人間の身体ってさ、爪でも呼吸してるんだって。だからこういうふうに外側をコーティングしちゃうと、そこの呼吸がとまって、温度が下がるんだって」
「なんじゃ、指先の首絞めてるようなもんなんか」
「おしゃれは我慢。そのうち、慣れるから」
「ふうん。この、首の締まるような感覚に、慣れるもんがか」
「……なれるよ」

加州は吉行の爪を綺麗に乾かして、トップコートだけだったので重ねる必要もないか、と、「はい、できた」と、手を吉行に返した。加州の爪は縦に長く、かたちも整っていたが、吉行の爪は少し横幅があって、深爪に近かった。それでもトップコートを塗られた薬指だけは妙にきらきらしていて、それが不自然だ。吉行もそう思ったのか、「今度やるときゃ、ちゃんと爪整えんとなあ」と笑っている。それから、「おんしのは、綺麗じゃ」と言って、うつくしく整えられた加州の手を取った。そうして、その薬指に口づけをする。加州はそのあたりになって、あ、こいつは多分陸奥守ではあるけれど、昨晩自分を抱いた吉行ではなくって、同じはずだけれど、ちがうところからやってきた誰かなのかもしれないと、ふと思った。だから、「陸奥守のもさ、俺、好きだよ」と、そう言って、陸奥守の、少し不格好なそれに唇をつけた。まだ乾いて間もないので、すこしすっとするような空気が鼻に抜ける。加州はそこで、「ね、これ、頂戴」と言った。吉行はそれで万事わかったらしく、「わしもおんしのが欲しいき、交換じゃ」と言った。加州が「いいよ」と言って、脇から刀を持ってきて、器用に自分の左手の薬指の爪を剥ぎ、同じように、吉行のそれも剥いでやった。それから血止めをして、少しの皮と血液のついた吉行の爪を綺麗な布で拭った。

「爪って、透明じゃないんだ。白く濁ってる。俺らの身体にくっついてるときは肌の色、透けてるのに」
「そりゃあアレじゃ、イカとおんなじじゃ。息しちゅううちは透明でも、死んだら白くなるゆう、あれじゃ」
「これ、もう死んでるのか」
「おんしのは紅やき、色も変わらんで、綺麗じゃなあ」
「ま、白い方が、傷とか隠れるし、付け爪にはちょうどいいかな」

加州はそう言うと、適当な接着剤でもって、吉行の爪を、自分が爪を剥がした左手薬指にくっつけた。吉行もまた、同じようにする。そうすると、そこだけ息をしなくなって、ゆるく首を絞められているような気持ちになった。

「切り落として繋ぎ合わせて、そいて接着剤でくっつけたのがきっとこわいのに、じゃけど歪なんじゃなあ。どうしてそこから脆くなるんか、おかしくなるんか、わからんちや。こわくこわく結んじょっても、思っちょったのと、ちごうなるんは、なきながかえ」
「それはさ、きっともとのかたちじゃないからだよ。ほんとうのところは、切れた部分で終わっちゃったからだよ。この爪が、接着剤の効果がなくなったら落ちちゃうみたいに、さ」
「ふうん……おんしはそう思うがか」
「うん、少なくとも『俺』は、ね」

吉行は加州の言葉に、すうっと目を細めて、それから加州に「抱いとおせ」と言った。加州はそう言われたから、吉行を抱きしめた。自分よりずっと大きなその身体が、小さくなって加州の腕の中に入ってくる。加州はそれがすこし嬉しくって、でもかなしくって、「現世ではさ、結婚指輪ってのが、あるんだって。それって、左手の薬指にするんだよ。外れないサイズを選ぶけど、四六時中つけてるけど、でも、外れちゃう時もあるし、外すときもあるんだって。ね、この付け爪みたい。これが俺らの結婚指輪。ね、いいんじゃない?それぐらいの気持ちでさ」と、吉行に言ってやった。そうしたら吉行は「そうじゃの、うん、それくらいに、しとおせ」と、加州に頬を擦りつけた。そうして、綺麗だなあと、ぼんやり、呟いている。だからふたりして、まるで誓いのキスのように、その左手薬指の付け爪にキスをした。そうしたら少し鉄の味がして、夢から醒める気がしたけれど、でも、まだ目を閉じて、二度とは見られぬ夢の続きを、じっと待った。


END

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -