本丸 | ナノ

episode 4
うつくしい夜



夕餉も終わり、風呂も済ませると同田貫は部屋に戻り、電気ではなく灯篭に火を入れた。風呂場の方から新入りのものらしき悲鳴が聞こえてきたが気にしたことじゃない。風呂に入るという文化は刀の自分たちにとってはなかなかに相容れないところがあるのでそのせいだろう。同田貫もはじめは風呂に入るたんびに悲鳴をあげたものだ。御手杵もどうせ、そうして蜻蛉切あたりの手を煩わせているのだろう。

この本丸には電気も水道も通っており文明は随分開花していたが、同田貫はどうにも、近代的なあれそれは肌に合わない。そうしてお気に入りの煙草盆を手繰り寄せると、肘置きに肘をついて、読みかけの本に目をやった。人の身体というものが疎ましく感じられたこともあったが、こうして人の真似事をするのもなかなかに悪くないと近頃になってなんとなく沁みてきたのだ。馬鹿らしいことを馬鹿らしく繰り返すそのさまが、どうにも愛おしい。戦だけできればそれでいいがしかし、戦をしていない時間の方もそれなりに多いのだから、その分は好きなように使わなければ損だ。同田貫は煙草盆から煙管を取り上げると、刻み煙草を取って、丁寧に丸めた。それを煙管の先に込めて、円を描くように、マッチで火をつける。このマッチというのはとても便利だ。ライターほど野蛮でなくって、火打石よりずっと簡単に火が灯る。いい嫁は火種を絶やさないものだとは言ったものだが、厨にまで火種をもらいに行くのは面倒であるし、厨の番長である燭台切も歌仙も夜には火を消している。その点マッチはいい。手軽さもそうだが、すっとした匂いも、火のあたたかさも、なにもかもが同田貫の好みだった。すうっとゆっくり煙を吸い込むと、少しだけ甘い煙が身体の中に入ってくる。煙を吐き出すころには瞼が少し震えて、うつくしい夢を、そこに感じる。

同田貫が読みかけの本を手に取った時、障子の向こうから「同田貫、いるかい」という声が聞こえた。歌仙の声だ。同田貫は本を閉じもせずに「ああ」とだけ返事をする。すると歌仙はすらりと障子をあけて、中に入ってきた。はじめの頃は近づきもしなかったくせに、同田貫が百人一首のほとんどを暗唱できると知った頃からなにかと同田貫にかまうようになった。何度か会話を重ねるうちにきゅうに距離を近づけてきて、今では気兼ねなく会話ができるまでになった。

「ああ、灯篭の火はいい。風流だ」
「酒でも持ってきたのか」
「ああ、そう。今日万屋でいいのが手に入ってね。酒の味のわからないようなのに飲ませるにはほんとうに惜しいくらい、いいやつなんだ」
「そうかい。そりゃあ、楽しみだ」

歌仙は徳利を二本を手に持ち、お猪口を懐に入れていた。それを取り出しながら、「今日は何を読むんだい」と、同田貫に尋ねる。同田貫は「夏目漱石」と答えた。

「近代の小説は僕は疎くってね」
「まぁ、有名らしい。こいつの話は好きだ。文章が面白い。だが今読んでるやつは暗いな」
「へえ、題名はなんだい」
「こころ」
「ふうん。あとで感想でも聞かせておくれ」

歌仙が同田貫のぶんにとお猪口に酒をついだので、同田貫も歌仙のぶんをついでやった。そうして二人でお猪口を合わせて、くっと酒を舌に馴染ませた。

「こいつはうまいな」
「ああ、そうだろう。いっとううまいんだ。人間は素晴らしいね、こんなものを作り出すんだから」
「こんないいもんを水みてぇに飲んで馬鹿やるのも人間だけどな」
「君はまたそういう、風流じゃないことを」
「じっさい、そうなんだ。俺らもかわらねぇ。宴会じゃ安い酒で馬鹿やって、最後には二日酔いに苦しむんだ。あんただって、こないだの新入りの歓迎会じゃ随分饒舌になってたじゃないか」
「あれは……席が悪かったんだ。君の隣だったならあんなに飲みはしないさ」
「ふうん」
「そういえば、僕は君が馬鹿をやっているところ、見たことがない。君はいつだってつまらなさそうに隅の方にいるばっかりだ。戦の時とは大違い」
「……そうさなあ」

同田貫は煙管の煙を吸いながら、静かに目を伏せた。そうして、「俺ぁただ相手がいないだけなんだろうなあ」と呟いた。

部屋の外をバタバタという忙しない足音が響いて、隣の部屋にぴしゃりと篭る。歌仙が「そういえば隣」と呟いたが、同田貫が興味がない、と手を振ったので、その先は言わなかった。どうせ新入りが風呂の洗礼を受けてぐでんぐでんになっているだけなのだ。同田貫はくっとお猪口を傾けて、残りの酒を喉に流し込んだ。たまには馬鹿もやってみたい、人間みたいに、なんてことを思いながら。


END

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