きみの死体をかたづける






しゃきん、と長谷部の耳元で鋏の音がした。よく手入れされた、よく切れる鋏だ。それはべつに長谷部を傷つけようとして鳴った音ではなく、長谷部の後ろに立つ光忠が長谷部の髪の毛を整えている音だった。

「長谷部君、髪の毛のびたねえ」
「仕事続きでまともに髪を切りにもいけないからな」
「たしかにこんな夜遅くまでやっている美容室なんて僕くらいだよ」
「仕事終わりに仕事させて悪いな」
「いいのいいの。練習させてもらってると思えばこれくらい」

時刻は夜中の11時だった。仕事終わりの長谷部を捕まえて、光忠が「長谷部君、髪のびたねえ」と言ったのがはじまりだった。長谷部が「仕事が忙しくて切りにいけない」と言うと、光忠が「じゃあ僕が切ってあげるよ」と言ったのだ。そうして二人して光忠の部屋のベランダに椅子を置いて、そこから鏡のない場所でしゃきんしゃきんと音を鳴らしていた。長谷部は見知った人物に髪を触られているという不思議な感覚に落ち着くことができず、なんだかやりづらさを感じていた。いつも通っている美容室も見知っているといえば見知っているのだけれど、そこの店員はあくまで仕事として長谷部の髪を切っている。光忠のように長谷部のことをちゃんと知って切っているわけではない。光忠が長谷部のことをちゃんと知っているかどうかは長谷部にも光忠にもわかることではなかったけれど。

「前から思ってたんだけどさ」
「なんだ」
「長谷部君の髪って綺麗だよね」
「そうか?」
「色とか、きれい。まっすぐだし、痛みも少ないし」
「人並みの手入れしかしていないが」
「髪の毛っていうのは結構、持って生まれたものだからね。こればっかりはね」
「ふうん」
「そんな長谷部君の髪の毛を僕は今切っているわけだけど、柄にもなく結構緊張しているんだよ」

しゃきん、とひときわ大きく、鋏が音を立てた。光忠が長谷部の髪の毛を器用に指で挟んで、そこからはみ出した分だけ切り落としてゆく。

「そうなのか」
「うん。髪の毛って、切れるけど、戻すことはできないじゃない」
「そんなのは誰の髪の毛だって同じだろう」
「そうだね。まぁ、そうなんだけどね」

光忠はただいつものように髪を切っている。光忠の「いつも」を長谷部は見たことがなかったけれど。大倶利伽羅の髪の毛は光忠が切っているらしいが、そんな光景をまじまじと見つめるほど長谷部は暇ではない。

「髪の毛を切る行為って、僕が思うに、その人の身体どの部分までを生かして、どの部分から殺すかっていうのを決める行為なんだよね」
「なんだ、それは」
「だって、髪の毛って生きてるんだよ。僕たちが息をしているかぎりのびるんだよ。身体の一部じゃない。それを僕が『ここまで』って決めて、殺すんだ」
「お前疲れてるんじゃないか」
「僕はいつもそんなことを思いながら仕事をしてるわけだけど」
「鬱になりそうな思考だ」
「そう?楽しいよ。それなりに。僕からしたら残業ばっかりの君の生活の方が鬱になりそうだけど」
「お前に髪の毛を預けているのが不安になってきた」
「そうなんだよね。普通、不安になるものなんだよね。それなのにお客さんって、緊張はしてても、不安になってる人ってけっこう少なくてさ。危機感足りないんじゃないかって僕は思うわけ。君たちこれから身体の一部を殺されるんだよ?っていつも言いそうになる」
「美容師も命を預かる仕事なんだな、このご時世」
「今も昔も変わらないよ」

光忠は最後の仕上げにとりかかったらしく、コームで長谷部の髪の毛を梳かしては揃え、はみ出した部分を切り、そこをまたコームで梳かして、左右のバランスを見ている。長谷部は鏡がないので自分の頭がいまどうなっているのかわからない。鏡がない美容室はないので、そこも不安だった。下に目を向けると、それなりの量の髪の毛が散らばっている。少し多すぎやしないかと長谷部は思った。

「…俺の死体が転がっている気分になってきた」
「正しくは君の一部の死体かな」
「ずっと気になってたんだが、美容室って毎日大量の髪の毛がごみになるだろう」
「うん」
「それってどうしてるんだ?カツラにでもするのか?」

長谷部がそんなことを言うと、光忠はおかしいことを聞いた、というふうに噴き出した。

「はは、まだそんなこと信じてる人、いたんだ」
「おい、馬鹿にするな」
「馬鹿になんかしてないよ。ただおかしくって。…そうだねえ、今の日本人の髪の毛は痛みすぎてるからカツラになんかできないよ。それに人毛は気持ち悪いって、カツラでも人気ないんだ。今じゃほとんどが人工だよ。切った髪の毛は僕のとこだと産業廃棄物扱いで業者が回収にくる。そうやって捨ててる」
「業者が回収したあとどうなるんだろうな」
「燃やすんじゃないかなあ、火葬みたいに」
「死体だから」
「そう、一部だとしても死体だからね」

光忠は最後に無理やりひっぱってきたドライヤーで切った髪の毛を吹き飛ばし、ミストで濡れた長谷部の髪の毛を乾かした。そうしてヘンに長いところがないかを確認してから、「はい、終わり」と言った。ばさりと長谷部から髪の毛をよける布を取り払う。そうして部屋から鏡を持ってきて、「へんなとこない?」とそれを長谷部に渡した。長谷部は普段通りに仕上がっているのを見て「大丈夫だな」とそれを確かめる。それから、ベランダに散らばった髪の毛の量を見て、「本当に随分のびていたらしい」と言った。光忠は「みんな驚くんだよね、そういう風に」と応えた。そうしている間にも、光忠は慣れた作業をこなすように箒で長谷部の切った髪の毛を集め、チリトリにまとめている。手際がよかった。

「その髪の毛、どうするんだ」
「どうって、棄てるんだよ」
「ふうん」
「どうしたのさ」
「いや、ふと気になってな」
「へんなの」

光忠はそう言うと、その光忠で言うところの「死体」をビニル袋に入れて飛んでしまわないように密封した。

「燃えるゴミの日は明後日か」
「そうだね」
「それまで俺の死体がお前の部屋にあると考えると気持ち悪いな」
「持って帰る?」
「それもなんだか気持ち悪い」
「そうだね、気持ち悪いものだよ。髪の毛ってさ、不思議なもので、切る前は普通に触れるのに、切られたそれとか、抜けたそれって、汚いって思うんだよね。それってやっぱり、どこかで死んでるんだって、わかってるからじゃないかな。自分の死に顔みたいなものを、そこに見るんじゃないかな」

長谷部は急にうそ寒くなった気がして、首の後ろに手をやった。そこには短くなった自分の髪の毛だけが生えそろっている。きれいに切りそろえられた髪だ。

「…任せていいか」
「うん、僕は慣れてるから平気」
「自分の死体を眺めている気分だ」
「実際そうだからね」

光忠はベランダに出した椅子を部屋に片づけると、何事もなかったかのように「カフェオレでも飲んでいく?」と言った。そうして、手に持っていたビニル袋をなんともなしにダストボックスへと落としてしまった。長谷部はただそれを見つめて、「ああ、」と応えた。長谷部はなんだか身体がだるいと思った。自分の一部が死んだのだ。にこやかにお湯を沸かしている光忠によって殺されたのだ。あのダストボックスの中で、今も、死んでいるのだ。


END



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