さかなのゆめ






「どうしたよ、指の隙間なんざ見つめて」

じっと指の隙間を見つめる御手杵にむかって、同田貫はそう言った。今日は今朝から雨が降っており、風もごうごうと吹いている。天候がよろしくないからと出陣もなかった。だから二人して雨戸を閉めた縁側で雨の音だけ聞いて暇を持て余していたのだ。そんなときに御手杵がとても不思議そうな顔で指の隙間を見つめ始めたのだ。同田貫は普段はそんな御手杵の不審な行動など気にも留めないが、今日ばかりは暇も助けた。話題がなかったこともある。

「ニンゲンはさぁ、生まれる前魚なんだって」
「はぁ?」
「前に聞いたんだ」

御手杵はそう言うと、自分の指の間を広げて見せた。そうして薄皮がつっぱったところを指し、同田貫に「ここ、水かきついてるじゃん」と言った。同田貫ははじめ水かきがわからなかったので首を傾げたが、カエルについているそれだとわかると、「ああ、」と応えた。そうして、自分の掌も広げて、指の隙間を見つめてみる。するとそこには御手杵よりは分厚くて面積の狭い水かきがあった。

「ニンゲンは女の胎から生まれてくるんだよ」
「知ってる」
「そのあいだ、女の胎の中には海ができるらしい」
「へぇ」
「その海の中で泳ぎながら子供は育つらしい」
「泳ぐのに必要だったのか」
「そう。だからニンゲンの指の隙間には水かきの名残があるんだって」
「ふぅん」

同田貫はそう言ってから、ちょっとした疑問を持った。その疑問はびゅうびゅうと吹いている風にあおられるようにしてどんどんと膨れ上がった。御手杵もそうらしく、さっきからずっと不思議そうに指の股を見つめている。

「俺たちは女の胎の海、泳いでないよなぁ」

御手杵はそう言った。もとはだたの刀である二人は、女の胎なんぞ知るよしもない。同田貫も「そうだよなぁ」と返した。

「じゃあなんで水かきなんてついてるんだろう」
「お前ってたまに難しい命題を考えてるよな」
「そうかなぁ、当たり前の疑問だと俺は思うんだけどなぁ」
「俺たちはどこから生まれてどこに還るかって疑問につながらねぇか」
「それを考えてたとこ」
「ほらむつかしい」
「炎と鉄から生まれて鉄さびになって土に還るんだ、きっと」
「じゃあこの身体はどうなんだ」
「それをこれから考える」
「むつかしいのがお好きなこって」
「暇なんだ」
「戦もないしな」
「ほら、考える時間は死ぬほどあるだろ」
「おう」

ざあざあと外では雨が降っている。それは耳を両手でふさいだときに聞こえる音にそっくりだった。その音は血液の流れる音だ。御手杵も同田貫も、人の身体を持って初めて知った。血が流れる感触もそうだ。刀だった頃は考えるということもできなかった。ましてや指の隙間なんてものは存在しなかった。そこにはただ刀が一振りあるだけだったのだ。

「あ、そうだ」

御手杵が深い思考の海から浮かび上がって息継ぎをするようにぽつりとつぶやいた。

「雨が降ってる音はニンゲンが女の胎の中で聞いてた音に似てるらしい」
「らしいらしいってそんな話ばっかだな」
「だって経験したことがない」
「まぁそれもそうか」

二人はそこまで話してからしんと耳を澄ました。するとざあざあともばらばらともつかない雨の音が聞こえてくる。これが海の音か、と二人は思いを馳せる。

「俺たちはさぁ、突然徳利に注がれた酒みたいな存在なんだなぁ」

しんとしていたので、そう言った御手杵の声はよく響いた。

「なんだぁ、そりゃ」
「酒って、でかい樽の中で作られて、そのあと小さな酒樽に移されて、そっから徳利に注がれるだろ」
「そうだな」
「俺ら、そういう、大きな樽とか酒樽を知らないわけじゃんか」
「そうだな」
「だから、突然徳利に注がれた酒」
「あとは呑まれるだけだな」
「うん」
「なにに呑まれるんだ」
「それをこれから考える」

御手杵がそう言ったところで、ぱたり、と音がした。なんだ、と音のした床を見るとそこは濡れていた。そうしているうちにも天井からぱたりぱたりと雫がしたたってくる。「雨漏りだ」と御手杵が言った。瓦が風にあおられたらしい。二人はどうしてよいかわからず、ただ茫然とたたん、たたんと床が濡れてゆくのを眺めていた。たたん、たたんと雫が滴る。御手杵がそれをじっと見つめて、「ああここも海になるんだなぁ」と言った。同田貫はまた御手杵がわからないことを言いだしたと思った。そうしてから、たたん、たたんという音を聞いて、これが海の滴る音か、とも思った。外には海が横たわっているだろうから。今晩はきっと魚の夢を見る。それまでに泳ぎを覚えなくてはならない。きっと大丈夫、水かきはあるのだから。


END



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