嘯く傷年の青






日高と弁財は薄暗いベッドの中で遊ぶように抱き合っていた。二人とも服を着ていなかったけれど、なにか踏み入ったことをしようとはせずに、ただ、お互いがそこにいるのだということを確かめあっていた。そこにはいやらしさや下心なんてものはなかった。ただ純粋な気持ちでそうしていたし、二人にはそうするだけの関係があった。日高はふいに弁財のそれなりに筋肉がついて、しかしまったいらな腹のあたりをさすって、「弁財さん、痩せましたか」と弁財に尋ねた。弁財は「そうだろうか」と髪の毛をさらりと動かして、それを細い指でもって耳にかけた。寝乱れた髪はさんざに散っていて、その動作一つによってどうこうなる問題ではなかったが、それによって弁財のかんばせは髪の毛の暖簾からすっきりと現れた。日高はその頬のあたりにも手を伸ばして、「ほっぺたも薄くなりました」と言った。弁財はその手の甲にそろりと指を這わせて、やはり「そうだろうか」と髪を揺らして、そのかんばせをまた暖簾の中へと隠してしまった。日高は弁財の嘘をつくときの癖を知っていた。髪の隙間からその言葉は発せられるのだ。日高はそれを思い出してから、しかし、それを突き詰めようとはしなかった。だが聞き出そうとはした。弁財という男は少し面倒なところがあった。なにかにつけて日高から不都合な現実的なことを隠そうとするのだ。それはこんな、ともすればいやに現実的な身体の固い毛が触れ合いそうな場においてもそうだった。日高は弁財の髪の毛を耳にかけてやりながら、「食べてますか」と尋ねた。弁財は「ああ、普段通りだが」と答えた。次に日高は「眠れませんか」と尋ねた。弁財はその日高のまっすぐな言葉に何か思い当たるようなふしがあったらしく、つと視線を横に逃がした。日高は「眠れないんですね」と言った。

「なんだか最近寝つきが悪いんだ。特に思い当たるところもないのだけれど、なんだか、音がやけにうるさいんだ。時計のかちこちと言う音だったり、外から響いてくる車の音だったり、秋山の鼾だったりが」
「秋山さん鼾かくんですか?」
「かかないよ。冗談だ」
「弁財さんの冗談はわかりづらいんです」
「そうか、それはすまない」

二人は向き合って、ひとしきり笑ったあとに、さて、どうしようという顔になった。日高の頭には、これから何か疲れることをして、そうしてからぐっすりと眠りにつこうという考えがなくはなかった。しかし、それは弁財に負担を強いた。一度断っておくが、二人はまだなんにもしてはいなかった。ただほんとうに、裸でベッドを泳いでいただけなのだ。なにかそういうことをしたという痕跡はどこにもなく、ただひたすらに薄暗い中で遊んでいた。弁財が真っ暗なところが怖いので、いつもなにか薄明りを出すものを近くに置いているのだ。二人はその仄明るいところでお互いの輪郭をなぞっていた。日高は「そうだ」と何か思いついて、弁財の顔の側面の方に手をやった。ちょうど耳のあたりだ。弁財は耳をふさがれてしまったので、何を聞くわけにもいかず、「なんだ」と日高に尋ねた。しかしその声は弁財には海の中で響いた鈍い音のようにしか聞こえなかった。ざあざあと音がした。弁財はされるがままにその音に耳を傾けた。日高の音だというふうに感じられた。日高の血潮がざあざあと雨のように降り注いでいる。日高の肌の下で日高の筋肉の小さな動きまで感じられるようだった。それはおそろしいほどの安堵を弁財にもたらした。弁財はすぐに眠気のようなものを覚えはじめて、そのまどろんだ腕を伸ばした。伸ばして、日高の耳も同じようにふさいでやった。日高はそのとき一言二言何事かつぶやいたが、それは要領を得なかった。二人はお互いに耳をふさぎ合って、お互いの音だけを聞いていた。



「誰に教えてもらった方法なんだ」

翌朝にすっきりと目覚めた弁財は日高にそんなことを聞いた。日高は少し考えてから、「さあ、誰だったか、自分だったのか、タ…いえ、まあ、判別はつきませんが」ともごもごとしゃべった。その時日高は寝癖を直すような手つきで自分の髪を触っていた。弁財は嘘をつくときの日高の癖というものを、心得ていた。しかしそれを突き詰めようとはしなかった。そこは日高の一番やわらかいところだとわかっていたからだ。だから「そうか」とだけ言った。さんざに寝乱れた髪をなでつけながら、「また眠れなくなったら、俺の耳をふさいでくれるか」と日高に尋ねた。日高はただ「ええ」と言って、瞼を伏せた。そのとき一筋なにかがその頬を滑り落ちた気がしたが、弁財が瞬きをする間には何もなくなってしまっていた。ただそこには未だ半身を失くしたようにしている日高だけが、たたずんでいた。その半身はもしかしたらもう戻ることはないのかもしれない。とても悲しいことのように、弁財には感じられた。だから、弁財はどうしようもなく、日高の方に手を伸ばして、その耳をふさいでやった。日高ははっと息を飲んでから、何かを思い出すような顔になり、しかしそこに後悔も滲ませて、瞼を落とした。そこからは今度、とめどなく涙が滴った。ざあざあという音の中で、日高は静かに泣いていた。いつか海だった涙だ。


END

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