愛も嘘もきみの薬指にからめて蝶々結び






高尾の携帯電話が壊れた。誤って水の中に落としてしまいそれきりうんともすんとも言わなくなってしまったのだった。それは晩のことだった。なので携帯ショップに持っていくこともできず、代わりのなにかを入手することは困難に思われた。高尾ははじめ、正直なところ焦った。携帯電話がないと今の時代不便なことだらけであった。それは勉学にいそしむべき高校生であってもそうであった。仕事の内容をやりとりする社会人の携帯電話とは全く異なっていたけれど、高校生にとって携帯電話という持ち物は必需品であった。そこには思い出の断片が山積していたし、友人と繋がっておくためのアドレス帳やメール機能も存在していた。高尾は携帯の電源が入らないのを確認したときに、ただ「ああ」と思った。まずはそう思ったのだ。やってしまった、と。驚くほどに喪失感の大きな体験だった。今まで自分が積み上げてきたデータというデータ、形のないものが一瞬にして喪失するという体験は、いわば親しい誰かがどこか帰らぬ旅路へついてしまったことのように思われた。あるいはその死を確認したかのような感覚であった。高尾は真っ黒な模様でない模様ばかり映し出すそれをみて、茫然とした。まず翌日は平日であった。高尾は緑間とともに登校する際、いつも何時くらいにつくかということをメールしていたし、緑間はそれに簡素な返事を寄越していた。翌朝はそういうやりとりがないのだ。高尾は遅れるわけにはいかないのだと思った。約束の時間はだいたい決めてあった。いつものことであったので、それは当然だったのだけれど、高尾はそのことに少なからず安堵した。不思議なものだ。明日の部活終わりにはもうすぐに携帯ショップに駆け込もうと心にとどめ置きながら、その晩は布団に入って、携帯電話でネットを見ることもせずに眠りについた。

翌朝は携帯のアラームではなく、長らく役割をはたしていなかった目覚まし時計のアラームによって目を覚ました。高尾はそこでケータイのメールを確認しようとして、「ああ昨日壊れたんだっけ」と、真っ暗な画面をしたそれを眺めてから、すぐに身体を起こした。とりあえず洗面台に立ちながら、寝癖のついた自分の顔を眺めつつ、友人の死とはあるいはこういうものかもしれないと、寝ぼけた頭でそう思った。携帯にはそれだけの情報が詰め込まれていた。「あれはなんだっけ」と尋ねればすぐに答えを出してくれるし、「写真撮って」と頼めばすぐに写真をとって保存をしておいてくれる。「ここの場所が分からない」と言えば地図を取り出してくれ、「あいつの連絡先どこだっけ」と尋ねればそれを教えてくれる。携帯電話はとにかく便利な友人だった。便利すぎて高尾の記憶能力や努力する力を少しずつ少しずつ奪っていたのかもしれない。それは友人という枠に収めるには高尾でありすぎた。携帯電話は高尾そのものだった。自分がもう一人いて、そこに面倒事を全て押し付けていたような感覚だった。高尾は鏡にうつる自分の顔を眺めてみて、半分欠けたような顔だ、と思った。


「真ちゃん、今朝は連絡しなくてごめん」

高尾は緑間の家から当たり前に緑間が出てくるのを見て、開口一番にそう言った。それから、付け加えるようにして、「あ、おはよう」と言った。緑間は一番に「おはよう」と言った。それから携帯電話を確かめもせずに、「時間通りに来たのになぜ謝ったのだよ」と言った。高尾は「いやケータイ壊れちゃってさ」と脈絡もないことを口走ってしまった。それほどにショックの大きい話だったらしい。緑間は眼鏡のブリッジを少しだけ不機嫌にあげながら、「まあいいのだよ」とだけ言った。あとはじゃんけんをして、いつもの通りの結果になった。


その日は授業から昼休みから部活まで滞りなく全てが終了した。部活終わりに高尾は携帯ショップへとにかく駆け込もうと考えながら、そそくさと制服に着替えていた。そうしてから緑間がいつものように自主練をしている音を聞いて、ふと、立ち止まった。何が悲しくて自分はこんなにも焦っているのだろうと、そういう気持ちになった。今日は水曜日だった。明日明後日が終わってしまえば休日だった。高尾はとにかく、と制服に着替えてしまってから、体育館に残っている緑間に声をかけた。

「真ちゃん、あのさあ、俺、ケータイ壊れたんだ」
「今朝聞いたのだよ」
「真ちゃんはケータイ壊れたらどうする?」
「…携帯ショップに持っていくのだよ」

緑間はシュートを打つ合間に、高尾のくだらないような質問に答えた。それはメールをしているように簡素な答え方だった。

「ケータイってかなり重要なアイテムじゃね?」
「連絡をとるには便利なものだな」
「ないと俺死んじゃうんだけど」
「では貴様は今死んでいるのか」
「うん、死んでる」

高尾は答えながら、少し笑ってしまった。緑間のルーティンがよどみなく進み、シュートが決まる音がする。高尾はそうだ友人はここにいたのだ、と、そう思った。それは不思議な感覚だった。真っ暗な画面ばかり映し出す携帯電話は今、ただただバッグの上の方のポケットでむっつりと黙っていた。

「真ちゃん、明日も俺、同じ時間に真ちゃん迎えにいくよ」
「そうか」
「うん。あと今日は一緒に帰ろう。俺もう着替えちゃったけど。真ちゃん、あと何本?」
「納得がいくまでだ」
「そっか。話しててもいい?」
「集中が途切れる。あまり話しかけるな」
「はは、ひでーの」

高尾はふうと息をついて、体育館の隅にしゃがみ込んだ。焦りはばっさりと切り捨てられたかのように、そこには残っていなかった。携帯をショップに持ち込むのは今週末でいい。それまでは緑間と言葉を交わしていようと、そう思ったのだ。


END

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