幸せになりたいってんなら勝手に幸せになってろ
昼休み、月島は大抵教室の隅でヘッドホンをして音楽を聴いている。それは邦楽だったり洋楽だったりさまざまだった。好きな音楽を聴いて過ごすのが月島のささやかな楽しみだったのだけれど、今日ばかりはそうはいかなかった。影山にちょっと呼び出しをくらったのだ。別段断ればいいのだけれど、影山はのっぴきならないという顔をしていた。月島は「時間かからないなら」とそれを了承した。そのあたりからいやな予感はしていたのだ。
「お前ってもしかしてオメガかアルファ?」
影山は月島を人気のない渡り廊下に連れてくると、出し抜けにそう聞いた。月島はその質問に対して「ベータだよ」と答えた。なんのよどみもなく、当たり前のことのように。月島にとってその質問に答えることはとても神経質にならなければならない事象だったが、答えなれた質問でもあった。思春期にはだれだって性別にこだわるものだし、中学の性別検査の時にいやというほどした受け答えだったものだから。
「それだけなら僕もう戻るけど」
「いや、こないだ菅原さんとなんか…なんか、あったろ」
「なにそれ。ないよ。菅原さん先に帰って、僕もあとから帰って、それで終わり」
「いや…なんかちがかったんだよな…なんか…菅原さんの匂いじゃなかったっていうか…あんときヒートだったのもしかしてお前なんじゃないかって…」
「くだらない詮索してる暇あるなら勉強でもすれば?保健体育がいいよ、勉強するならさ。フェロモンに匂いもなにもないんだから」
「…そう、か」
影山はしかしまだ納得できないという顔をしていた。月島は首にかけたヘッドホンのコードを指でいじりながら、面倒なことになったなと内心思っていた。月島はオメガだ。オメガであることを隠している。そして、こないだ部室で菅原と色々とあった。影山はどうにもそれに感づいているらしかった。いつもは馬鹿なのにどうしてこういう時ばかり鋭くていけない。月島の身体にはなんの痕跡も残っていないし、ヒートも薬できちんと抑えている。なにもボロはないはずだ。それから、月島は少しばかりの苛立ちを覚えていた。それは昼休みに音楽を聴くという楽しみを邪魔されたものからくるものではなかった。影山がアルファという特殊で、優越を覚えてもいい性別だということへの苛立ちだった。日向にしたってそうだ。月島の劣等感を刺激してくる。この二人だけとは何があっても番になんてなりたくないとさえ思っていた。たとえヒートがもっとずっと楽になるとしたって、絶対に。そんなことを思えるのだからきっとこの二人とは番ではないのだろう。月島はヘッドホンのコードをひねりながら、「王様はいいよね」と小さく言葉にした。影山はうまく聞き取れなかったのか首をかしげている。
「なんでもないよ。僕もう教室戻っていい?」
「え、ああ…まぁ…悪かったな」
影山はかしかしと頭の後ろを気まずげにかきながらそう言った。月島は舌打ちをしたい気持ちをぐっとこらえて、「保健体育、もっと真面目に受けなよ」と言って、踵を返した。くそったれた気分だった。きっと自分はもう幸せになんかなれやしないのだと、そんな気分にさえなった。こんな性別に生まれてきたから、こんなひどい劣等感を持つのだ。月島はヘッドホンのコードを指に絡めながら、唇を噛みしめて、あの日のことを少しだけ思い出していた。オメガ同士慰め合うように寝た、あの日のことを。
END