ユーフォリアの輪郭線







「室ちんって才能がないよね」

紫原がそう言ったとき、氷室はただうんと答えることもできなかった。冬の寒い日のことだ。二人は部活終わりで、日はとっぷりと暮れていた。路面は雪に覆われていて、自然のスケートリンクのようになっている。秋田の冬はよく雪が降るのだ。部活終わりの乾いた汗に、北風がとても冷たい。まるで氷の爪でひっかかれているようだと氷室は思った。薄暗闇の中、氷室は紫原への返答にすこし戸惑って、しかし、「そうだな」とそれを受け入れた。ひっそりと涙を流すような言葉だった。紫原のショートブーツが雪を踏みしめる。それはきしきしと音を立てていた。紫原のブーツは新しいモデルのもので、制服によく合っていたし、紫原にも似合っていた。色は黒で、皮製に見えた。足首のところにベルトがついていて、品がよく見える。氷室はただのローファーで、つるつると滑りそうになるのを必死に堪えていた。まだそこまで雪深くないのでこれでもっているけれど、もう少し雪が積もったらブーツに履き替えないといけない。紫原はいつも氷室の一歩先を行っていた。何に関してもそうだった。それはずっと氷室の劣等感を刺激した。ちょうど、今吹いている北風のように。

バスケで氷室が紫原に何か勝っていると思うことは一度だってなかった。けれどそれでいいと思うことだって、一度もなかった。さっきの紫原の言葉は氷室の胸のあたりに深々と刺さって、ずっと氷室を苛むようだった。氷室は吐く息の白さに、冬なのだ、と思った。氷室の人生はいつも冬だ。春のようにのどかで、幸福だったと思えることがあまりない。ずっと隣に才能の塊が鎮座しているのだ。ずっと、氷室はコンプレックスを抱えている。氷室には才能がない。なににつけてもそうだった。学業だってそれなりで、学年トップになることはなかったし、スポーツにしたって今の実力は努力だけで築かれた賜物だった。恋愛だってそうだ。見目はそれなりだけれど、それだけで人を惹きつけられるほどではないから、言葉遣いやしぐさでそれを補っている。さらに、恋愛面において氷室は大きな欠陥を抱えていた。女性に興味がないのだ。氷室はゲイだった。ここまでくるともう幸せになる才能がないと言っていいかもしれない。氷室には才能がない。ありとあらゆる才能がない。


寮の部屋まで帰ってから、氷室は音楽を聴いた。ポーダブルの音楽プレイヤーをかける。データとして何曲も入れてシャッフルできるやつだ。先頭で流れてきた曲は聞きなれたアップテンポの曲だった。シャッフルしているのによく耳にする気がする曲。そういう曲が誰にだって一曲はある。氷室はその音楽に耳を傾けながら、紫原の一言を思い出していた。才能がない。氷室は自分の中のありとあらゆる場所を探してみたけれど、才能なんてものはどこにもなかった。改めて試してみても、何度試してみても、どこにもない。それは絶望的だったけれど、どうしたって諦める気にはなれなかった。諦めきれずにいる結果が今のじくじくとした心を持った自分なのだという自覚はあった。氷室はベッドに横になって、天井をじっと見つめた。見つめていると、どうしようもなくなって、あーだとかうーだとか判別のつかない小さな言葉を吐いて、そのあとに口汚い英語を口にした。そうしてからいてもたってもいられなくなって、ベッドの上で筋力トレーニングをはじめた。本当は外に出て走りこみたい気分だったけれど、生憎の悪路だったし、練習でいやというほど走らされていた。筋トレだっていやというほどやっていたのだけれど、何かしていないと気が済まなかったのだ。紫原のセリフがまだ心臓の近くに突き刺さっている。

氷室がじんわりと汗をかき始めた頃に、部屋の扉がノックされた。氷室は誰だろうと思ったが、「どうぞ」と返事をした。やってきたのは紫原だった。紫原は「こないだ借りてた雑誌返すの忘れてた」と、その雑誌を氷室に手渡した。それから、氷室の息がはずんでいるのを見て、「なに、まだ練習してんの?」と苦い顔になった。氷室は嫌味のつもりでそれに「才能がないからね」と答えた。紫原はそれに溜息をついて、「ほんとそうだよ」と言った。

「室ちんって、諦める才能がない」


END

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