騙されていてあげたのに





※帝光時代




「緑間、少し将棋をしないか」

赤司がそう緑間に声をかけたのは昼休みのことだった。昼食をとり終わって、少ししたあたりだ。将棋をするには少し時間が短いかもしれないと緑間は思ったけれど、遊びくらいなら、とそれに応じた。緑間は赤司に誘われて、負ける気ではいなかったが、負けるような気はしていた。緑間はただの一度だって赤司に将棋で勝てたためしがない。今まで長い局から短い局まで何度も赤司と将棋で対峙してきたが、全て赤司に白星を持っていかれていた。赤司は基本的に堅実な手を使い、間違いのない戦法で駒をさばいていく。まるで序盤から終盤まで全ての手が見えているように。緑間はいつも中盤あたりで攻めあぐね、失策をしてしまい、詰みまで持っていかれるか、途中で投了してしまう。赤司にとっては息抜きか暇つぶし程度のものなのだろうが、緑間はいつか負かしてやろうと思っているのだ。そのいつかが、いつになるかはまだわからなかったが。

「緑間が振るか?」
「そうだな。前回はお前だったのだよ」

将棋の先手後手は基本的に振り駒で決められる。歩の駒を五枚握って手の内で混ぜ、盤の上に落とすのだ。そしてその盤の上で「歩」の面が上になった枚数が多ければ振った方が先手となり、「と」の面が上になった枚数が多ければ振った方が後手になる。緑間が慣れた手つきで振ると、盤の上には二枚歩が並んだ。

「俺が後手なのだよ」

緑間は歩を定位置に置き直し、さて、と頭を動かした。勝負を捨てる気はさらさらなかったが、時間も限られている。緑間はわりに得意としている振り飛車のうち、中飛車戦法を用いることにした。ゴキゲン中飛車であれば超急戦に持ち込みやすい。そう思い緑間はその戦法の定石通りに駒を進めた。もちろん、もう使い古された戦法であるため、対抗策もいくつかある戦法である。当然赤司も戦法には気づいているだろう。しかし赤司は珍しく、そんなことには気づいていないというように、棒銀を指してきた。緑間はそれに対してなにか策があるのかと考えたが、答えは出そうにない。たしかに対振り飛車に棒銀を用いることはあるが、棒銀という戦法は中盤のでミスが出やすく、不利を招きやすい手でもあった。後手側も対策を講じ易いので、赤司らしくない手だと言える。

中盤あたりになって、緑間はさらに違和感が増していることに気が付いた。何か、赤司に示唆されるままに駒を動かしているような気がしてきたのだ。それは普段のものとは似て非なるものだ。駒を動かすたびにそれは強くなり、緑間の疑念が確信に変わったと同時に、緑間は「投了なのだよ」と言った。

「…まだ手はあるだろう?」

赤司は不思議そうに首を傾げた。しかし緑間は「投了だ」と言って、きかなかった。赤司は「そうか」と言って、緑間側の角を、一手、自分の王将へと進めて見せる。それで赤司は詰みだった。緑間は一手前で、それをやめたのだ。

「はなから勝つ気のない相手に勝たされるような間抜けはしないのだよ」
「…そう」

赤司は諦めたように角を弄び、「きっとこれが最後なんだろうと思うよ」と言った。緑間は「それでも後悔など微塵もないのだよ」と返した。赤司の手の中で、王手の角は弄ばれる。緑間は試合に勝つことを望んでいたわけではなかった。勝負に勝つことを望んでいたのだ。それを見誤るほど落ちぶれてはいない。赤司は見誤ったのか、それともそれすら計算ずくだったのか、少しだけ笑って、「一度は負けてみたいと思ったんだ」と呟いた。



次の日、赤司征十郎はいなくなった。


END

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