さよならさえ上手に出来なくて






※日楠要素あります



















日高の人差し指の付け根に赤い花弁のような跡がついていることを、多分、秋山だけが知っている。それがどうして、どのようにしてつけられたのか、なにがあってそうなってしまったのか、それを知っているのも、秋山だけだ。秋山は煙草をまずそうに吸う日高の、少しこけた頬を眺めてから、自分の煙草に火をつけた。そこは寮の喫煙室だった。寮の部屋は禁煙で、吸う場所が決められている。時間は真夜中だった。日高も秋山もすこしだらしない部屋着だったが、もう気まずさを覚えるような間柄ではない。秋山は日高の身体のすみずみまで知っていたし、日高も秋山がどんな身体をしているかくらいは把握していた。だから、軽い挨拶だけで、あとは黙っていれば、問題はない。それぞれが一本か二本かそこらを吸って、軽い挨拶をして喫煙室を出ていけば、それでよかった。しかし秋山は、どうしても、日高の赤い跡が気になった。それは左手で、日高の効き手だった。それから、日高が煙草を吸うのも左手だった。だから、日高が煙草を口元に持っていくたんび、灰を落とすたんびにそれが目につく。それは日高の歯の形をしていた。日高はその、指の付け根が歯にあたるようなことをしているのだ。秋山にはそれがわかっていた。その目的はわからなかったが、目的があってするようなことでもないのだと、わかっていた。

「最近、痩せたな」

ぽつりと秋山はつぶやいてから、すこしだけまずかったなと思った。日高はなさけなくへらりと笑って、「そうですか?」と首を傾げた。秋山は一度はじまってしまった会話をどうしたものかと考えた。考えているのに、やけに周囲に気がいった。すると、雨が降っている音が聞こえた。こんな隔離されたところまで音が聞こえてくるのだから、外は相当の豪雨なのだろうな、と思った。そういえば、もう6月が終わろうとしている。ちょうど、梅雨に入ったあたりだった。秋山はそれに気が付いてから、さらに、どうしたものかなと思った。あの霧雨の冷たさを、秋山もまだ頬に覚えているのだから、日高はいっそう、そうなのだろう。

「梅雨明けはいつだろうな。外、雨が降ってる」
「え、なんでわかる…あ、いや、えっと」
「音が聞こえるんだ。雨の音。外、豪雨なんだろうな。朝までには止むといいんだが」
「はぁ、そうですね。そう、ですよね」

日高は何か一瞬、ほんとうに一瞬だけ、こわい顔になった。生きることに疲れたような、そんな顔だ。その年でそんな顔になってはいけないと、秋山は思った。けれど、どうしようもなかった。日高はきっと、生きていたくないのだと、秋山にはわかった。けれど、生きているのだとも、わかっていた。過去に縛られて、引きずられて、それによって苦しめられているのに、それによって生かされている。死んではいけないと、秋山も知っている後輩が、耳でささやきかけているのだろうと、わかっていた。秋山は短くなった煙草を灰皿に押し付けて、それから、「日高、今、口、空いてるか」といった。日高は「え、空いて…?あ、いや、今、は」としどろもどろに返した。だから、秋山は「もういい」と言って、日高の胸倉をつかみ、唇を合わせた。煙草のにおいに混じって、少しすえた味がした。唇を離してから、日高は「すみません」と謝った。ただ、謝った。なんにも言い訳はなかった。酒を飲んでいただとか、体調が悪かっただとか、そういう言い訳が思いつかなかったのか、どこかでそれを食べ物のように吐き出したかったのかはわからない。日高は、自分の手の甲を見て、「なにやってんすかね」と泣きそうな顔で笑った。秋山は、唇をそろりと舐めて、死にそうな味がするな、と思った。

「なにやってんだろうな」

そう言ってから、秋山は、もう一度、キスをした。日高の口の中に蟠っている、腹の中に滞留している、なにか死にそうなものを舐めとるように、丁寧に。左手人差し指の付け根が、日高の口の中に入っていかないように、それを壁に押し付けながら。


END

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -