左様なら






※現パロ、社会人


こぽこぽと夜の注がれる音がした。そこは居酒屋というには少し洒落たダイニングバーで、同田貫と御手杵は紗幕に仕切られた木製のテーブルについていた。背の低いスツールに腰掛けているので、同田貫はともかく、御手杵の脚どもは随分窮屈そうにしている。しかし御手杵はこの窮屈さがなつかしいと言った。居酒屋の名前はハーフムーンという。地方都市の大学の近くにある、ちょっと寂しい居酒屋だ。大学生の頃、御手杵と同田貫はふたりで隠れるようにしてこの居酒屋に脚を運んでいた。就職はそれぞれ別になったので、社会人になってから会うのはこれがはじめてだった。

御手杵と同田貫は付き合っている。大学で知り合って、こそこそと人に言えないような過程を踏み、付き合うに至った。その間に行われた甘酸っぱいだけの話は、ここでは割愛する。とにかくふたりは付き合っていた。それが公然とできないことは、ふたりの性別を見るに明らかだ。けれど御手杵と同田貫は静かに、夜を掬うように、関係していた。それは甘酸っぱいだけの関係ではなかった。熟れたザクロが落ちるようなだらしのないことももちろんしていた。けれどふたりのあいだに不潔なことはいっさいなく、その行動はついぞ愛情からおこっていた。今もそうだ。お互いがお互いをちゃんと思って、どうにかしてかわいがってやりたいという気持ちを湿った視線にのせている。店内の仄暗いような照明がそれをまざまざとあかるみに出していた。

この店で何度となく飲んだ生ビールがふたりの前に置かれる。ここでは飲み放題にしても発泡酒なんてものではなくって、生ビールが運ばれてくる。それだけで大学時代は満足したものだ。いろんなものがない、足りないと喚き散らしていた時代はもう終わった。ふたりはただのビールを単品で頼みながら、「ああ、懐かしいなあ」なんてことを言いながら、乾杯をした。充足に満ちている。

こうして膝を突き合わせていると、ふたりが大学を卒業したことが、つい昨日のようにも、ずうっと遠い昔の話のようにも思われた。御手杵は東京のそれなりに大きな企業に就職し、同田貫は県の公務員となった。それからふたりは会っていない。距離が離れてしまったからだとか、そういうことはなかった。なにかにつけて連絡はしていたが、会うことはしなかった。それをつい三日前に、どちらともなく、会おうという話になった。会うのであればなにか感慨深い場所がいい、という話になって、結局、ふたりはこうして小さな居酒屋で膝を突き合わせている。ふたりのあいだにはそれこそ積もり積もったたくさんの話題があったが、しかし、ふたりはそれを避けるようにして、ただ懐かしい、懐かしい、とあぶくのように呟くばかりだった。この居酒屋は、大人になりすぎたふたりにはもうそぐわない。

「なあ、正国、」
「なんだ」
「今までの人生の中でいちばんうまかったビールの記憶ってあるか」
「そうさなあ」

御手杵も同田貫も、そこでビールをごくりと一口、飲んだ。そうしてから同田貫が、「大学三年の夏」と言った。それに御手杵が「毎年やってる祭に、はじめてふたりでいったよなあ」と続けた。

「それだ、そのときに」
「大通りから道一本外れたとこの屋台」
「カラカラに喉がかわいてて、ちょうどそこにビールの屋台が出てた」
「透明なコップ一杯ぶんだけふたりでお金出し合って買ってな」
「最初のひとくち、どっちが飲むってじゃんけんまでして」
「ふたりでわけて飲んだやつ」
「あれが最高にうまかった」

ふたりの声は重なって、うねってひとつになり、不思議な音としてひっそりとふたりのあいだを埋めた。そうしているとそのときの情景まで空気に伝わって、震えるようだった。この居酒屋のある通りをふたりして浴衣を着て抜けて、中央通りをさんざに歩き、屋台を求めて大通りの方へと流れていった、祭の日、あの夕方から夜にかけては沸かしたお湯を注いだように、暑かった。賑やかな祭囃子もそれに拍車をかけて、暑さの中、ふたりで買ったビールだけがキンキンに冷えていて、飲んだ瞬間に頭がしびれるようだった。それは水よりも深く浸透して、すぐに汗となって出て行った。ビールが身体の中を通り抜けていったような感覚。ふたりは深く言わずとも、その感覚を共有していた。ふたりはいつかひとつだった。いつかは、そうだった。

「なあ正国、今日のビールはどうだ」
「そうさなあ」

同田貫も御手杵も、ちょうどひとくちぶんビールが残っていたので、それを飲み干した。ごくごくと、夜の消費される音がする。ふたりぶんの夜。最後の夜。ひとりひとつの夜だ。

「まずい」


END

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