そしたらきみは夏のせいだと笑うのだろうか






この本丸の屋根からは海が見える。縁側からも見えるのだけれど、それは山と山の隙間からちらっと見える程度だった。そんなのには満足できない御手杵は、いつも屋根に登って海を眺めるのだ。庭の景趣はちょうど夏で、海が空を反射してきらきらと光っている。すっきりとした地平線がちょっとだけ丸みを帯びている。暑い太陽に照りつけられて、御手杵は胸の踊る心地がした。こんなに近くにあるのに、御手杵はまだ一度だって、海に近づいたことがなかった。

「そんなとこでなにしてんだ」

声をかけてきたのは同田貫だった。屋根の下から御手杵の方を見上げている。御手杵は「なあ、登ってきてみろよ」と言った。同田貫は何かあるのか、と、柱をつたってそのまま屋根まで登ってきた。身軽さに御手杵が感心したところで、同田貫が「みせもんじゃねーぞ」と釘を刺してきた。御手杵は悪い悪いと謝りつつも、見てみろよ、と海の方を指した。同田貫は視線をやって、「海だな」となにも感動していない様子で言った。御手杵はそれにちょっとがっかりした。

「なんだよ、わくわくしないのか」
「海なんざ毎日見てるだろ」
「そうだけどよ、夏なんだぞ。海なんだぞ。わくわくしないのか」
「なに浮かれることがあんだよ刀が海なんぞに入ったら錆びるだけだろ」
「この身体は錆びないだろ」
「刀は錆びる」
「武器持って入るなよ」

同田貫はどうにも生真面目がすぎていけない、と御手杵は思った。御手杵は現世から取り寄せた様々な雑誌をよくよくながめていたけれど、最近の雑誌はどれもこれも海のことばかりだった。それらは御手杵に磯臭いというのはどういうものなのだろうとか、海水というのは真水とどう違うのだろうとか、海の水はどれほど冷たいのだろう、とか、そういう想像を膨らませた。海はいいものだ。一度砂浜というやつを駆けてみたい、と御手杵は海に想いを馳せる。

「海は死臭がする」

そう、ぷつりと御手杵の思考を切ったのは同田貫の低い声だった。同田貫はじっと海の方を睨んでいる。御手杵は同田貫がなにを思ってそんなことを言ったのかわからなかった。磯の匂いのことを言っているのだろうか、とも思ったが、違うらしい。

「海は心中する場所だ。冬の海はとくにだ。春も多い。海は死体が沈んでる。そんな中を泳ぐなんざ、正気の沙汰とは思えねぇ」
「心中…」
「いっしょにしぬんだ」
「そりゃ、わかってるけどよお」
「海に行くと心中したくなるのか、心中したいから海に行くのかはわかんねえが、とにかく多い。俺の持ち主もひとりそれで心中した。俺のうちの一本は海の底に沈んだまんま、朽ち果てた。俺ぁそんな朽ちかたはしたくねんだ」

同田貫は遠い昔を想うように、すっと目を細めた。それはさぞ無念だったことだろうと御手杵は思った。そうして海をながめて、「海に行ったら俺も心中したい気持ちってのがわかるのかな」とつぶやいた。今こうして遠くから眺めているあいだにはそんな気は微塵もおこらない。海には不思議な魔力でもあるのだろうかと思った。御手杵の隣には同田貫がいる。もし心中するのであれば、気心知れた同田貫がいいと思った。冷たい水の中で、ふたりで静かに窒息してゆくのだ。屍は波にさらわれて、深く沈み、くらいところで朽ちてゆくのだ。

「妙な気は起こすなよ」

同田貫の声で、御手杵ははたと我に返った。海にのまれかけていた。こわいと思った。そうしてあらためて海を見てみると、なるほど、かすかに死臭がした。同田貫の言うことが少しはわかった。夏の日差しを寄せ付けない暗い部分が、たしかに見えた気がした。

「でもなあ、海はいいもんだぞ」
「行ったこともないくせに」
「だからいいんだよ」
「どういうこった」
「しらねぇから、好きに夢想できる」
「戯言だな」

好きに想像することができる。御手杵は、海に取り憑かれたように、へらりと笑った。波の音が、すぐそこで聞こえた気がした。


END


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