柔く突き刺さるもの






※捏造多目






















この傷は一生消えないのだと、伏見はそう思った。


カランコロンと耳慣れたような、ずいぶんと聞いていなかったような音が鳴ったとき、伏見はそれが自分によって鳴ったものだとはすぐに気が付かなかった。それはドアベルだった。伏見がドアを開けたものだから当然のように鳴ったのだ。伏見はドアによって閉ざされていた眼前の景色にすこし息を飲んだ。それはとあるバーだったからだ。伏見と馴染みが深いようで、忘却の渕にあるバーだ。伏見は少しその場にじっとしていたが、開けてしまったものは入らなければならないという決まり事があるかのように、茫然と一歩を踏んだ。

そこはなんだか以前と雰囲気が違っていた。そしてその雰囲気に気が付くよりも早く、伏見は真ん中に置かれたソファに何者かが座っていることに気が付いた。伏見ののどが鳴って、相手は少しばかり驚いた顔になった。驚いたというよりは、「意外だな」という顔だった。

「お前はこないもんだと思ってたが」

伏見の背後でドアの閉まる音がした。伏見は突然に息ができなくなったかのようになって、胸のあたりに手をやった。そこには固い皮膚がある。人間の皮膚ではないかのごとくに固く黒ずんだ肌だ。そこだけが他と違っている。そこには火傷だけが残っていた。なんらかの象徴じみたそれはなく、ただ皮膚の凹凸だけが残されていた。伏見は無意識にそれをひっかきながら、「なんで、」と言葉を吐いた。相手はただただ悠然とソファに腰を下ろしていた。背もたれに肘をひっかけて、ふんぞり返るように足を組んでいる。

「そりゃあ、こっちのセリフだ。なんでお前がここに来る」
「ここ…」
「…まあ、そんなもんなんだろう。俺にもわからねぇが」

相手は、周防は、伏見の普段通りの様子に小さく息をついた。そうして、自然と手がいっている傷跡に目をやって、頬杖をついた。鼻で笑うような音を出して、「切れなかった、ただそれだけか」と言った。伏見には一向に要領を得ない言葉だった。その時分になると伏見にも幾分か余裕が出てきた。といってもそれはほんの少しのことであったけれど。伏見は妙に落ち着かない心地が、目の前に周防がいるからだということだけではないのだと気が付いた。店にかかっている曲が妙なのだ。妙にアップテンポに重低音をきかせている。草薙がかけるジャズや落ち着いた音楽ではなく、それは明らかにロックだった。伏見がふと音の鳴る方向に目を向けると、周防が「ここは俺の場所だからな。好きな音楽くらいかけるさ」と言った。その音楽はロックにしては少し暗かった。落ち着かない調子だった。どこか綻んでいるような旋律だった。伏見はやはり落ち着かなくなって、いつものように傷跡をひっかいた。それは嫌な汗に湿っていた。

「変な癖がついたもんだな」
「…癖…」
「まあ、気づかねぇもんだ。そんなもんだ。さて、どうしたもんか。とりあえず、それは消しとかねぇといけねーみてぇだな」

けだるげな様子で「それ」と周防が指さしたのは伏見の傷跡だった。黒く煤けた肌だ。伏見は「なにを」と言った。周防は「こっちに」と言わんばかりに、人差し指で合図を送った。伏見はもちろんそんなことはしたくなかったのだけれど、足が言うことをきかなかった。伏見は二歩三歩と周防に近づいた。そうして、お互いの瞳の色が分かるほど近くに寄った。伏見に恐怖がなくなったかというと、そんなことはなかった。鼓動は早鐘をうっているし、額には汗がにじんだ。周防はそんな伏見の様子を気にしたふうでもなく、無造作に、伏見の方へと手を伸ばした。

「灰みたいなもんだ」
「灰」
「この俺だ」
「…わかりませんが」
「もうなんにも残っちゃいねぇのさ」
「なんにも…」
「王様なんてもんはそんなもんだ」

周防の指先は伏見の生っ白い首のあたりをたどり、付け根へ到達し、そうして、傷跡に触れた。伏見はそこに触れられたときにびくりと肩を揺らしたが、離れることはできなかった。むしろ、震えがたたって、周防の座っているソファに膝をかけた。背もたれに手をついて、どうにか身体を安定させていた。ちりちりと音がする。なにかが燃える音だ。燃えていたのは伏見の傷跡だった。傷跡が周防の指先によって、炎によって削り取られていく。

「…灰は、燃えるんですか」
「それだけじゃ燃えねーな」
「じゃあ、俺は燃えるんですか」
「燃やそうと思えばな」
「…そう思わないんですか」
「面倒だ」

伏見はじりじりと削り取られていく傷跡を眺めながら、こんなのがなんになるのだろうと思った。バーの中の音楽に合わせるように、それはチリチリと音を立てていた。音楽はどんどんリズムをあげて、叫ぶような声で、流れている。伏見はぱたぱたと汗を滴らせながら、頭がだんだんぼんやりとしていくのを感じていた。自分の何かが灰になっていくのを感じていた。周防の指先がすっと伏見の肌を離れても、伏見はぼんやりと、周防の上にいた。周防にはなんにも残っていやしなかった。それがわかってしまったら、なにも怖いことなどないように思われた。伏見はぺったりと人肌にもどったそこに触れて、「これがなんになるんです」と言った。傷がひとつ消えたくらいで、どうとなる気がしなかったのだ。周防は不敵に笑って「そうさな」と言った。

「二度と消えないだろうな」
「…今、消えたじゃないですか」
「そうだな。だから消えないんだ」
「わかりませんが…」

伏見は、とりあえず、と、ソファに預けていた体重を自分の足に戻した。そのあとももう一度、傷跡のあったあたりに指を這わせた。ひっかくものはもうなにも残っていなかった。周防はまた頬杖をついて、「ここが一番いいところだ」と言った。それは場所を指しているのか、ラストだろうサビを迎えた曲なのか、伏見には終ぞ、わからなかった。わかったのは、周防の伏せられた瞼が、完全に閉じてしまうとき、それが自分の目の開くときであるということだけだった。ふつりと、曲が途切れる。



伏見が目覚めたのは、タンマツのアラームが鳴る15分前だった。はたと目が覚めた伏見は、いやに鮮明に覚えている夢に頭を抱えた。さっきまであの場所でかかっていた曲が脳内でリピートして、耳鳴りのようになっている。そして、ふと気が付いて、傷跡のあるだろうそこへと指をのばした。果たして、そこにはなんにも存在しなかった。まるではじめからなんにも存在しなかったかのように。伏見は「は、」とひとつ笑ってから、ベッドにうずくまった。そうして、思ったのだ。


この傷は一生消えないのだろう。


END


BGM:ハートに火をつけて(9mm prabellum bullet)

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