転んだだけでは泣けやしない






※未実装男士が出てきます
※モブが出てきます













ときどき、同田貫の中で千人の小人たちがいっせいに足ぶみをはじめる。

まだ小学三年生の同田貫はもちろん、そんな名作小説の冒頭を軽く差し替えただけの文章を思いつくはずがなかった。しかしそれはほんとうのことだった。同田貫の中には抑えきれないような感情の波がたしかにあって、それはいつも同田貫の制御を離れてこころの底のようでぐるぐると渦巻いている。同田貫はそれを出さないことが得意なだけで、けっして制御するのが上手なわけではなかった。それはいつも同田貫の腹を食い破って外へ出ようとする。普段はおとなしくしているくせに、なにかきっかけがあるとこわいくらいに足ぶみの音は大きくなるのだ。

びたんっとも、ざりっともつかない音がした。同田貫はまず衝撃を受けて、そのあとにじわじわと広がってくる肘だとか膝の痛みを感じた。道端でつまづいて、転んでしまったのだ。同田貫は転ぶのには慣れっこだったし、怪我をするのにも慣れっこだったので、またやってしまったか、と思って普通に立ち上がった。その時は一人だったので、別段誰が声をかけてくるということもなく、同田貫は泣きもしないで土を払い、家に帰ったらまた清国に笑われるのだと思った。同田貫はよく怪我をする。その怪我の手当てをするのはいつも母親ではなく兄の清国だった。そのたんびに清国は「男の勲章がまた増えたなあ」と同田貫をおちょくるのだ。同田貫はなんにも言い返せないで、新しくできる傷どもの手当てを、清国に任せる。

「どうたぬき、ばんそこ」

同田貫が学校に行った時、御手杵がそう言って同田貫の膝や肘をさした。同田貫にとってはそうでなくとも、御手杵にとっては絆創膏やガーゼは珍しいものらしい。同田貫がガーゼや絆創膏を貼って学校に来るたんびに御手杵はいつも「かっこういい」といってそれを見るのだ。

「ちょっところんだ」
「そっかあ、かっこういいなあ」
「そうか?いたいだけだぞ」
「そうなんだよなあ、いたいんだよなあ。いたくなきゃ、おれもいっぱいばんそことかガーゼとかはるんだけどなあ」

御手杵はしきりにかっこういい、かっこういい、と同田貫のガーゼや絆創膏を見た。同田貫は清国の言う「男の勲章」というものを手に入れた気がして、ちょっとほこらしくなる。怪我をすることは誇らしい。痛みに耐えられるという証だ。

同田貫は痛いのは平気だった。どんなに血が出ても泣いたことなんかなかったし、どんなに派手なところを怪我したってちっとも恥ずかしくなかった。顔についている大きな傷跡はちいさい頃に三輪車に乗っていてガードレールに顔面から突っ込んだ時の傷だ。その時は病院に連れていかれるわ、親は動転するわで大変だった。大変だったが、まわりが同田貫よりずっと騒いでくれたので、同田貫はなにも騒ぐことがなくって、泣きさえしなかった。けれどその時が一番痛かったので、今でも思い出すとちょっとぶるっとはする。でも泣かなかった。同田貫はそのことを少なからず誇りに思っていた。「男の勲章」というやつだ。

ことが起こったのは体育の授業中だった。なんてことはない、校庭でサッカーをする授業だったのだけれど、その時校庭の小石に足を滑らせて、同田貫はちょっと転んでしまった。幸い怪我はちょっと膝を擦りむいたくらいで、ぜんぜん痛くもなんともなかった。同田貫はすぐに立ち上がろうとしたのだけれど、それより先に先生の「だいじょうぶ!?」という声がするどく身体を貫いた。同田貫はその声にびっくりして、きゅうに動けなくなった。そうしていたら、四方八方から「だいじょうぶ?」という心配そうな声が聞こえてきた。いつの間にか同田貫はクラスメイトが作る円の中にいた。その真ん中でぽつん、とひとり、転んでしまっている。すると同田貫の中で千人の小人が足ぶみをはじめた。それは同田貫にはどうしようもないことで、目の奥がぎゅっと熱くなった。ぜんぜん痛くなんかないし、こんなのは今まで同田貫が経験してきた怪我に比べたらどうってことないのだ。それなのに、なんだか大丈夫ではないような気がしてきて、自分が重大な怪我をしてしまったような気がしてきて、とっても恥ずかしいような気がしてきて、ダメだった。いろんな人の「だいじょうぶ?」という台詞が頭の中でわんわんと鳴り響いて、みえるところがぐわんとゆがんで、ぷつんと途切れた。ひとつぷつんとこぼれたら、あとはもう涙が道を作って、同田貫にとめることはできなくなってしまった。こんなのは痛くなんかないのに。痛くないのに、と自分に聞かせるたんびにずっとずっと痛いような気がしてきて、ずっとずっと大丈夫じゃなくなっていく。こんなのはあんまりだと同田貫は思った。

結局同田貫はたいした怪我でもないのに保健室に連れていかれて、手当てを受けた。保健の先生はとってもやさしく同田貫のちいさな擦り傷を消毒して、大げさすぎやしないかというほど大きなガーゼを貼った。同田貫はまだ鼻をすんすんと鳴らしていたが、手当てが終わる頃にはずっと落ち着いて、涙のあとだけが残った。同田貫はそれでもまだ、自分がどうして泣いてしまったのかわからなかった。ぜんぜんいたくなんかなかったのに。保健の先生は同田貫が泣き止んだのを見て、「男の子の勲章ね」と言った。同田貫はそれを聞いて、これは違う、と思った。これはそんなに格好いいものじゃない、と思った。

ときどき、同田貫の中で千人の小人たちがいっせいに足ぶみをはじめる。それは自分のせいではきっとない。いつもだれかのせいで、そうなるのだ。だれかの言葉が、同田貫をだいじょうぶじゃなくしてしまう。男の勲章をうばってしまう。かなしいことに、それはかならず、誰かのやさしさなのだ。


END



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