ひとつ、すべてのやさしさで作られた神様みたいな人らしい






※刀剣破壊表現があります
















この本丸のへし切長谷部は刀を握らない。戦に出ない。部隊にすら組み込まれない。ただひとり、細かな雑務や書類仕事を任されている。燭台切光忠はこの本丸ではかなり遅くに顕現されたが、燭台切が知る限り、長谷部が刀を握ることはなかった。それがどうしてなのか、きっと、燭台切だけが知らないのだ。

長谷部は食事や用のある時以外は基本的に自室に引きこもっている。他の刀剣ともほとんど話さない。なにか軋轢があるのかもしれなかったが、少なくとも燭台切の目から見てそれはなさそうだった。他の刀がわざとそう見えないようにしている可能性がなくはなかったが、しかし、むしろ長谷部の身を案じている刀もいた。だから燭台切は混乱するのだ。どうして団欒を避けて、わざわざ暗い部屋へ引きこもるのかと。

「ねぇ、どうして長谷部君は戦場に出ないのかな。彼、練度だって高いはずなのに」

燭台切は夕飯の支度をしながら、そんなことを歌仙に尋ねた。歌仙は一瞬ぎくりとしたような顔をしたけれど、すぐにそれを取り繕った。燭台切はこれだけで、ああきっとこの話の解答は自分にだけ話してはいけないきまりになっているのだということに気がついた。燭台切は歌仙がなにか言うより先に「ああ、ごめん、ちょっと、ほんとうにちょっとだけ気になっただけなんだ。僕は新参者だからね。言えないこともあるんだろう」と言った。ちょっとトゲが多く含まれていただろうが、それは仕方のないことだった。


その日燭台切は長谷部が書類仕事で忙しくしていて、夕飯の席にも顔を出さなかったことを気づかい、彼の部屋へ食事を運ぶことにした。長谷部の部屋の前に立ち、燭台切が「長谷部くん、ごはん持ってきたよ」と声をかけると、中にいた長谷部はかたい声で「ああ」とだけ言った。入ってもいいのだろうかと燭台切は思ったが、廊下に食事を置くのもどうなのだろうと思ったので、すらりと障子を開けた。部屋はあかりがついていたが薄暗く、長谷部は机にあかりを寄せて仕事をしていた。

「入っていいとは言っていない」

長谷部はやっぱり、歯も埋まらないような声音でそう言った。燭台切は「ごめんね、廊下に置くのもなんだと思ったんだ」と言った。燭台切はそう言いながらも内心、そんなに邪険にしないでほしいとも思った。長谷部はみんなに同じ態度でせっしていたけれど、燭台切にだけはつめたかった。長谷部が燭台切に向ける言葉はどれもかたくて、こわばっていて、とても冷めている。まるでこの世界で一番嫌いなひとに接しているような声音なのだ。燭台切はもちろん、長谷部に嫌われるようなことをした記憶はなかった。嫌われるほど長谷部と接触していないのだから当然だ。だから燭台切は長谷部と話すとちょっとばかり傷つくのだ。

「ごめんね、ほんとうにごめんね、食事はここに置いておくよ。冷めないうちに…いや、なんでもない」

なにか言葉をかわすのも辛くって、燭台切はぷつんと言葉を切った。そうして、部屋から出ようとした。すると燭台切が障子を締め切るかどうかという間隙に、長谷部が「すまない」といつもとは違う、歯を立てたらそこから涙が溢れてきそうな声でそう言った。燭台切は「え」と思ったが、思った時にはもう障子を締めてしまっていた。しばらく長谷部の部屋の前で茫然としていたが、ずっとそこに立っていては影がうつってしまう。後ろ髪を引かれるような思いをしながら、燭台切はその場を離れた。


燭台切はその晩、あの長谷部の言葉はいったいなんだったのだろうと思いながら、少し雑然としてしまっていた部屋を軽く片付けた。あの時の長谷部の言葉だけが、どうしても耳から離れてくれない。あの謝罪はいったい何に向けられたものだったのだろうと考えた。いくら考えてもやっぱり思い当たるふしがない。あれはふつうの謝罪ではなかった。なにか長谷部のこころの輪郭に触れたようなきもちになった。燭台切は、部屋を片付けながら、いっしょに、そのこともじっと考えた。深い思考になればなるほど、部屋のすみずみまで整理しなければ気が済まなくなってきた。燭台切は普段は開けない、燭台切がこの部屋に入る前からあった唐櫃までひっぱりだして整理をはじめた。みるとその唐櫃の中身はごちゃごちゃで、衣服の隙間に誰のだかわからないような日記も挟まっていた。いったい誰のものだろうと燭台切は悪いとは思いながらもその日記を開いてみる。しかしどうにも自分のものらしいのだ。おかしなこともあるものだ。燭台切はもちろん、日記なんてものはつけたことがない。それに日付がおかしかった。燭台切がこの本丸に顕現したのは、秋も深まったあたりだったというのに、その日記は早春からはじまっていた。どう見ても自分の文字で書かれている見覚えのない日記をしばらくじっと見て、燭台切は「ああ」と思った。どうやらこの本丸で燭台切光忠は二振り目らしい。


『はじめて日記を書いてみるよ。ちょっとした興味から。はじめは夕飯のメニューだけ書いていこうと思ったんだけれど、それじゃああんまりだって、思ったんだ。その日どんなことがあったかとか、そういうのを一行でもなんでも、書いていこうと思う。今日は、そうだね、今日は日記を書き始めることにした。うん、なんだか決まらないな。決まらないけれど、とりあえず、書き始めることには、決めたよ。

今日は特になにもなかったかな。戦も有利に進められたし、部隊長としての任も全うできた。近侍になってから少し経つけれど、仕事にも慣れてきた。このぶんならうまくやっていけそう、かな。正直なところあんまり自信はないし、どちらかというと重荷に感じているかもしれない。ああ、そうだ、最近は刀剣の数が増えてきて、ご飯を作るのがとっても大変だ。歌仙君も一緒になってがんばっているけれど、そろそろ限界。誰か料理上手な刀が顕現してくれればいいのだけれど。なんて、ちょっとわがままが過ぎるかな。

今日、長谷部君が本丸に顕現した。綺麗な藤色のひとみだったよ。彼は真面目そうな顔をしているし、じっさい真面目なんだろう。主に言われたことは顕現したばかりだっていうのになんでもこなしてしまう。そのうち近侍の座も、部隊長の座もとられてしまうかもしれない。けれどね、彼、料理が壊滅的に下手なんだ。ちょっとためしでさせてみたんだけれど、てんでダメ。センスっていうものが全くない。彼に包丁をもたせたら野菜なんかより自分の指を切るんだ。なんだか、そういうところはとても好感が持てた。どうしてかな。

今日は長谷部君にちょっと怒られちゃったよ。僕が近侍の役割や部隊長の役割を重荷に思ってるなんて弱音を吐いたのがいけなかったみたい。彼ははやく近侍になって主の役に立つのが夢なんだって。長谷部君ったら、ほんとうに、なんていうか、まっすぐだよね。今近侍の僕に向かって、「やる気がないのであればすぐにその座を俺に明け渡せ」なんて言うんだよ。でもきっと、そんな感情がうまくコントロールできるようにならないかぎりは、近侍にはしてもらえないんだろうな、なんて、意地悪なことを思った。

長谷部君が怪我をしてしまった。僕がちょっと、判断を誤ったせいで。なんだかとても、どこかが痛い。僕が怪我をしたわけではもちろんないのだけれど。どこが痛いのか、よくわからない。なんだかとってもこわい。

長谷部君がこの本丸にきて随分たった。練度はもう僕と変わらないくらいになって、誉もたくさんとっている。彼は脚が早いから。角もとれてきて、ずいぶん周囲に気をつかえるようになったみたい。今日、長谷部君に「あのときは悪かった」って、言われたんだよ。いったい、いつのことを言っているんだろうね。

長谷部君にはまだ話していないけれどね、今日、僕、主に呼び出されたんだよ。近侍はまだ僕だけれど、部隊長は長谷部君に任せて、ちょっと僕の負担を減らそうって。長谷部君がなりたがっているのは近侍だから、あんまり長谷部君は喜ばないかもしれないね。でもいつか長谷部君は僕の肩の荷を全部下ろしてくれるんじゃないかって思うよ。少なくとも、近侍には一歩近づいたんじゃないかな。

最近の日記を読み返していて、びっくりしたよ。長谷部君のことばっかりだ。この日記、長谷部君にはとてもじゃないが見せられない。いや、見せる予定があるわけじゃないんだけれど。僕はどうして長谷部君のことばかり書いてしまうんだろうね。自分でも不思議だよ。心配しているんじゃ、もちろんないんだ。それとはちょっと違う。なんだか変だ。長谷部君が怪我をしてしまったときみたい。なんだかとってもこわい。

今日は主からお守りを貰ったよ。最近敵が強くなってきて、どうにも、あぶないことが増えたからだってさ。ありがたいけれど、お守りはこの本丸にひとつしかないらしい。それを僕が受け取ってしまっていいのだろうか。僕は、このお守りを、僕ではなく長谷部君に渡したい。主にもそう進言した。主は僕の好きなようにしろって言ってくれたよ。どうして長谷部君に渡したいのかは、よくわかってない。けど、たぶん、僕が僕を失ってしまうより、僕が長谷部君を失ってしまうことの方がきっとこわいからだ。僕はいつからこんなに臆病者になったんだろう。わからない。お守りをちゃんとうまく理由をつけて長谷部君に渡せるか自信もない。それまで使ってしまわないようにしないと。明日も出陣だ。明日はもう慣れた戦場。たぶんあぶないことはないんだと思うけれど…。あ、そうだ、思いついた。お守りは長谷部君の持ち物にこっそりまぜてしまおう。そうだ、それがいい。あとになって、ちゃんと理由づけができるまでは黙って長谷部君の持ち物にまぜてしまおう。僕にしては名案だ。バレたら長谷部君は怒るのかな…。僕のために怒ってくれるのかな』

日記はそこで終わっていた。夏の終わり頃だ。ちょうど、検非違使が出始めたと燭台切が聞いた頃。本丸に来て間もなくのあたりに、知識として知った事柄だ。検非違使にあたったからかどうかは知らないが、前の燭台切光忠はどうやらお守りを長谷部に託したまま折れたらしい。その時の部隊長はきっと日記の内容からして長谷部だ。燭台切はすぐにもしかして、と思った。まだことのあらましにもたどり着けてはいないかもしれないし、突拍子もない考えかもしれない。けれど確かめずにはいられなかった。


「長谷部君、長谷部君、起きているかい」

長谷部の部屋の前で声をかけると、「なんだ」と、あのかたい声がした。燭台切は「入るよ」と、長谷部の返事を聞かずに障子を開けた。長谷部が一言二言なにか言おうと口を開いたが、それが発せられる前に、「長谷部君、お守り、持ってる?」と尋ねた。長谷部ははじめ驚いた顔になって、すぐにあきらめたような、自分の心の弱いところを差し出すような顔になって、「ああ、」と答えた。

「正式に俺のものなのかはわかりかねる。戦場に出ることもできない俺が持っていたところで宝の持ち腐れになってしまうこともわかっているが、持っている。…ただしくは…おしつけられた」

長谷部は机の引き出しから大事そうにお守りを取り出した。何度となく主に返そうと思ったらしいが、主は断固として受け取ってくれなかったとのことだった。それはちょっとした呪いにも似ているのかもしれないな、と燭台切は思った。そのお守りを見たとき、燭台切はえもいわれぬ気持ちになった。長谷部がまだ大事に持っていてくれたということに、本人でもないのに何かがこみ上げる気持ちがした。

「お前が…ただしくはないな…前の燭台切だ。前の燭台切が何を思ってこれを俺の持ち物に紛れ込ませていたのかはわからない。俺には到底理解できない。それにお前は言ったじゃないか。何がお守りがあるから大丈夫、だ。持ってもいないくせに。俺に嘘なんてついて、お前はいったいなにがしたかったんだ!!」

長谷部は今まで押し込めて、固くしていた感情をぶわりと膨らませて、燭台切の襟首を掴んだ。掴んでから、この刀は「その」燭台切光忠ではないのだとすぐに気づいて、「すまない。感情的になった」とそれを離した。離したけれど、燭台切はそのときの長谷部の顔をきっと夢にも見るだろうと思った。それから、大切に思っていただろう刀にこんな顔をさせるだなんて、前の燭台切光忠はずいぶん格好のつかない刀だとも思った。長谷部はまだ感情の行き場を見つけられないようで、右手をうろうろとさせている。最後には自分の膝の上を握ったのだけれど、それも血の気を失って白くなっていた。

「…長谷部君が戦場に出ないで…一人で閉じこもってるのは…きっと…前の僕のせいなんだね…」
「…」
「そう…僕が言うことじゃないかもしれないけれど…ごめんね…ああ、これはきっと自分のための言葉なんだ。僕が助かりたいだけなんだ。そして、前の僕も、ただ自分が助かりたかっただけなんだ。僕は結局、いつになっても自分のことばっかり…」
「…結局、助かってなんかいないじゃないか。…いなくなってしまったじゃないか…」

燭台切は返す言葉が見つからなかった。日記のことを話してしまうには、燭台切はあんまりにも以前の自分というものを知らな過ぎた。知っていたとしたって、燭台切はもう前の燭台切ではなかった。その言葉にはなんの責任も持てない。部屋には海のような沈黙ばかりがとどまった。結局、燭台切はうまい言葉が見つからず、長谷部と同じようにぎゅっと自分の膝のあたりをにぎった。服にちょっと皺が寄って、そこの隙間にいい答えが隠れているかのように、じっと見つめた。今の燭台切も、前の燭台切もやっぱり、自分が救われたかっただけなのだ。長谷部のことなんて、結局、なんにもかんがえていなかったのだ。そのことにたいへん嫌気がさした。ほんとうに、ほんとうに、燭台切は自分がわがままな生き物だと思った。海は広がるだけ広がって、二人をゆっくりと窒息させてゆく。

END




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