あなたがくれたさようならをどこに飾ろう






いつからか宗像は疲れた顔をするようになった。それはそういった他人事に疎い伏見ですらわかるほどの鮮明さで白いかんばせに映えるようになったのだ。伏見と宗像の間には上司と部下ならぬ関係が横たわっていたが、伏見がそのことについてなにかしら述べることはなかった。あえて避けていたのかもしれない。とにかく二人はただひたすらに、疲れた顔をして書類の海におぼれていた。しかしおぼれるということはなかなかに一瞬のことで、水面に顔を出したのちまた好き好んで溺れるというような愚行を犯すほど二人は幼くなかった。そのため二人は書類から這い出すと、素知らぬ顔で水を吐き出し、眼前のなにもないところをぼうっと見つめた。同じ方向を見て、その広さに無言でそうしていたのだ。

その茫然としたなかで、どちらともなく誘い合ったベッドの終わりに、宗像が「おや、こんなところに長い糸が」とどこからほつれたのかわからない長い長い糸を引っ張り出した。それは蜘蛛の糸に少し赤の入ったようなもので、いったいどこから湧いて出たのか、とにかく得体が知れなかった。伏見は「気持ち悪い」という顔をした。宗像はそれを見て少し面白いことを思いついたという顔になった。

「伏見君、君は私といるときっと不幸になるんでしょう」

宗像はやはり疲れた顔をしていた。疲れるようなことをしたのだから当たり前なのだけれど、それはまた質の違った疲れからくるもののようだった。伏見は「は?」と間の抜けた声を出してから、どう答えたものかと少し考えた。伏見は不幸というものについて考えたことがなかった。運が悪かったということについては考えたことがあったが、自分をただひたすらに不幸だと考えたことはなかなかに無かったのだ。そしてまた、その不幸の原因をつきつめるようなことは猶の事したことがなかった。宗像は何が面白いのかとにかく笑って、「私との縁を切りたくはないですか」と伏見に尋ねた。伏見はそう言われるとそんなような気がしてきたので、「そうですね、あんたみたいな人とは今生あまりかかわりたくはないです」と答えた。

「けど俺はべつにあんたと縁を切るにしたって、仕事の口をなくしたいわけじゃないです」
「ええ、まあ、そうでしょう。今生はもう無理でしょう。一度結ばれてしまった縁というものは断ち切りがたいものです。ですから後生の縁を切ってしまおうとそういう話です」
「どういう話かわかりかねますが」
「こうするんです」

宗像は見つけた赤い糸をぐるりと自分の足首に巻き付け、ほどけないように固く結んだ。そうしてその糸の反対側の端の方を伏見の足首に巻き付けた。二人の足はそうすることによって細い一本の糸で結ばれ、離れがたいものとなった。伏見は宗像のするがままに任せておいて、それが済んでから「なんですか」と尋ねた。

「心中する男と女がこうするのです。後生でも縁があるようにと」
「それじゃあ意味がないじゃないですか」
「ええ、ですからこの糸を断ち切ってしまえばそれの逆になると思いませんか」
「そういう言い伝えがあるんですか」
「いいえ、私の創作です」
「くだらないお遊びじゃないですか」
「そういうものによって人はすくわれているんですよ」

伏見は「すくわれる」と足首から伸びる糸を見つめてつぶやいた。そうして、ひっそりと影を宿した宗像の顔を一瞥し、ひとつ溜息をついた。

「やめにしませんか」
「どうしてです」
「あんたみたいな人はきっと俺くらいの野郎がいないとどうにもなりません」
「おや、それはずいぶんな言い様ですね」
「だってあんた、今ずいぶん死にたがりの顔をしていますよ」
「…おや、」

宗像は自分の顎から頬にかけて手を滑らせ、「これは失敬」と笑って見せた。そうして足首に巻いた糸を見つめて「どうしましょうか、これ」と言った。

「ほどくには固く結んでしまいましたし、千切っては後生の縁が切れてしまうやもしれません」
「作り話なんでしょう」
「ええ、そうです。しかし万が一というものがあるでしょう」

伏見は反論をしようと一旦口を開きかけたが、それをまた閉じてしまった。そうして、宗像の暗いかんばせをじっと見つめてから、赤い糸へと視線をやった。その間に一切のことは片が付いたらしかった。ずいぶん落ち着いた声音でもって、「じゃあ、ご一緒しましょう」とらしくない敬語を使った。恰好のつかない幕引きではあったけれども、その一切に手間はないのだ。少なくとも、二人には。


END

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