こころの成長痛






ゆく人の流れは絶えずして、しかももとの人にあらず。


今度中学一年生になる御手杵はもちろん、そんな小難しい詩の冒頭の川と水を人に差し替えただけの文章を思いつくはずがなかった。しかし時の流れというものはたしかに存在しており、御手杵は田舎の空気を吸ってそれに染まりながらすくすくと成長していた。

御手杵は今度中学一年生になる。今年の三月に壇ノ浦小学校を卒業し、四月には壇ノ浦のもっとずっと先にある青山中学校へと進学することになっていた。小学校生活を終えたばかりの春休みに、御手杵は使っていた教科書やノートの整理をしている。ここに引っ越してくる際に小学二年生までの荷物は整理をつけてしまっていたので、部屋に積まれていたのは小学三年生からの諸々だった。御手杵はもう使うことのない教科書やノート、プリント類を、とても大事なもののように扱った。それらはすっきりと新しく買った大きな本棚の中へ吸い込まれてゆく。御手杵はその途中で、自分が小学三年生の時に書いた一行日記を見つけ、ちょっとなつかしさを覚えた。それは元気なミミズがのたうちまわっているようなひらがなばかりの文面だったが、御手杵が過ごした何物にも代えがたい時間を如実に表わしている。御手杵はそれを丁寧にファイリングして、本棚へと眠らせた。

たくさんのものを整理していると、なんだか気持ちまで整理がついたようになってくる。御手杵は中学生になるのだ。カベにつるされた真新しい、ちょっと大きな制服が、じっと御手杵を見つめていた。

青山中学校へは自転車で通うことになっていた。全力でこいでも四十五分はかかる道のりだ。もちろん平坦な道ばかりではない。登りも下りもあったし、山を越えるのは徒歩よりずっと息があがった。しかし通学用に買ってもらったぴかぴか銀色の大人っぽい自転車が御手杵の心をはやらせる。青いラインのはいった通学用ヘルメットをちゃんとかぶらなくってはいけないのがたまにきずだったが、細かいことは気にしない。自転車に乗ってしまえば消える雑念だった。

青山中学校では、これまでの壇ノ浦小学校でともに学んできた仲間に加え、青山小学校に通っていた学生も一緒の教室になる。クラスが二つに分かれて、一学年の人数は倍以上になるのだ。御手杵は入学式の時からこれからどんな人に出会えるのだろう、仲良くなれるだろうか、と期待と不安を抱いていた。

そんな御手杵の不安の方をちょっと大きくさせることがひとつだけあった。入学式の日に教室前にクラス割りが貼られていたのだが、そこに書かれているとおりに現実が運ぶとなると、御手杵と同田貫は別々のクラスになってしまうのだ。御手杵がAクラス、同田貫がBクラスだった。他の仲の良い面子も、和泉守、大倶利伽羅が御手杵と同じAクラス、陸奥守と獅子王が同田貫と同じBクラスで真っ二つに分かれてしまったのだ。クラス割りを見た御手杵はちょっと不安が増したが、しかし、「クラスがちょっと違うくらいどうってことないって!」と明るく笑ってみせた。じっさい、休み時間にはクラスの行き来は自由だし、行きと帰りは一緒の道なのだ。何か困ったことがあれば今まで通り助け合えばいいと御手杵は思っていた。

中学生になって御手杵が挫折しそうになったのは、友達づくりだった。小学校の時は何をするでもなく一緒に遊んでしまえばそれで友達になれていたのが、どうやら中学校ではそうではないようだった。御手杵の隣の席は、あとから名前を知ったのだが山姥切が座っていた。入学式の時からそうだった。山姥切はとても静かにいつもそうしている。御手杵は入学式の時、思い切って「よろしく」と声をかけてみたのだったが、山姥切は自己紹介はおろか、うんともすんとも言わなかった。御手杵はそこで心が折れてしまい、自分はなんてこわいところにきてしまったのだろうと思った。山姥切の名前はあとから授業中に呼ばれているのを聞いてはじめて知った。隣の席に座っているのに同田貫のように気軽に話しかけられないというのはなかなかの苦痛だった。

それから、中学に上がると部活動というものが始まる。それはなかなかに不思議な活動だった。中学にあがると誰しもが強制的に勧められて、部活に入っていないと先生に呼び出しをくらうのだ。御手杵はなんとなくみんな同じ部活に入るのだろうなぁと思っていたのだが、いざ希望を聞いてみたら全く違う。御手杵の希望はバスケ部で、同田貫は野球部で、陸奥守は自然科学部、和泉守はサッカー部、獅子王はテニス部、大倶利伽羅は帰宅部だった。それぞれの希望を捻じ曲げてまで同じ部に入るわけにもいかなかったので、みんながみんな希望する部活に入部した。大倶利伽羅だけは生活指導の先生に呼び出されて、最終的に和泉守と同じくサッカー部に入部した。サッカー部で活動している大倶利伽羅を、御手杵は見たことがなかったけれど。しかし、ここでもてんでバラバラになってしまったなぁと、御手杵はちょっと寂しい気分になった。御手杵が苦手だと思った山姥切が同じバスケ部に入部したのもそれに拍車をかけた。なんだか中学校にあがってから寂しかったり、困難にぶちあたったりするばかりで、てんで楽しいことがない。

御手杵は先に述べたように、入学式で挨拶すらしてもらえなかったという経験から、山姥切を苦手だと思っていた。部活でもつとめてみんなで仲良くしようとしている御手杵とは対照的に、山姥切はつとめて人と接しているようには見えなかったこともそれを加速させた。御手杵は部活で山姥切と一緒になるたんびに、どう接していいのかわからなくなっていったし、むしろあんまり関わり合いになりたくないとすら思うようになっていった。

バスケ部には朝練がある。といっても、一年生だけが集まって前日の部活の片付けをするだけだ。体育館に出しっ放しになっているボールや先輩のバスケットシューズ、時間を測る大きなタイマーを体育館の下にある薄汚れた部室に持っていくだけの、朝練とは名ばかりな習慣だった。青山中学校の体育館は立地的に少し特殊で、二階の廊下から行くことができる。坂の上に体育館があるので、坂の下にある校舎からは二階に上がらなければ入ることができないという特殊仕様だった。御手杵ははじめ二階に体育館があると聞いて胸躍らせていたのだが、現実というのはじつにしょっぱい。そして一年生だけに部活の後片付けを押し付けるという部活のスタイルもしょっぱかったので、はじめは5、6人の一年生で行っていた朝練も、だんだんと人がこなくなる。朝のホームルーム前に学校に来るというのはなかなかに大変なのだ、それも仕方あるまい。御手杵はなかなかに遠い場所から中学校に通っていたが、同じく朝練がある面子と一緒であったのは苦にならなかった。別段真面目な態度からそうしているのではなかったが、御手杵は結果的に真面目に毎朝朝練をこなすこととなった。そうしていたら、最終的に朝練に顔を出すのは御手杵と山姥切だけになった。二人で流れ作業をしているうちになんとなく会話もするようになり、御手杵は山姥切のことをあんまり悪いやつではないのかもしれないと思うようになった。


中学生になってからしばらく経つと、中学校という場所は、小学校の時に思い描いていたようなきらきらした大人の世界ではないのだということがなんとなくわかってきた。小学校の授業ではうるさいくらいに挙がっていた手が、鉛のように上がらなくなる。手を挙げて発言ばかりしているとカゲでガリ勉だの、目立ちたがり屋だのとなんやかんや言われるのだ。それこそうるさいくらいに。それから女子とも気軽に口をきけなくなった。小学校の頃どんなに仲良くしていた子であっても、周囲の目がそうさせるのだ。ちょっと気軽に話をしようものなら、周囲からひやかされ、からかわれ、できているだのできていないだのと言われる。とにかく周囲の目が気になっていけなかった。先輩後輩の関係についてもそうだ。何がえらくなったのかわからないが、小学校の時どんなに仲良くしていた「友達」でも、「先輩」には敬語を使わなければなからいし、うやまわなければいけなかった。中学校というのは「みんなそうしているから」というのばかり目立って、「自分はこうしたい」というのはいつの間にか消えてしまう場所だった。

中学生の運動部にとってはビッグイベントである中総体の地区予選が終わったあたりに、このあたりも梅雨入りをした。御手杵の所属するバスケ部は予選落ちをしたのでそのまま三年生が引退をして、少ない人数で日々の部活をこなしていた。この中学で県大会までコマを進めたのは獅子王の所属しているテニス部だけだった。テニス部ではまだ現役に残ることができた三年生が必死に練習をしている。御手杵はこんな辛いものははやく引退したほうがずっと楽だろうと思わなくはなかったが、迂闊にそんなことは口にできなかった。楽しくって部活をやっている人も中にはいるらしいのだ。毎日怒鳴られて、頭が痛くなるまで練習するばかりの毎日のどこに喜びを見出しているのか、御手杵にはまだわからなかったけれど。

梅雨に入り、バスケ部はもとより体育館を使っていたので問題はなかったが、外で普段活動している部は場所を確保するのが大変そうだった。雨の日は廊下や階段でトレーニングをしたり、バスケ部や女子バレー部が使っていないステージで身体を動かしていた。体育館も網のカーテンで仕切って男子バスケ部と女子バスケ部が半分半分で使っているので他に貸し出す余裕なんてないので仕方がない。ステージも運動部同士で使っていい時間を決めているらしく、はじめはサッカー部、次にテニス部、最後に野球部が使っていた。同田貫が真面目に部活をしている姿を見ると、御手杵も格好のいいところを見せようと部活に真面目になれた。普段なんてことなくこなしているレイアップやフリースローも、なんとなく同田貫に見られている心地がして、普段より高く飛んだり、慣れないルーチンを回したりしてみた。手を振ることは先輩の目があったのでできなかったが、しかしそれでも同じ空間に同田貫がいるだけで御手杵はちょっとばかし退屈で辛い部活を楽しいと思うことができた。

そうしているうちに梅雨があけてまともに外を走れるようになった。御手杵は声出し兼走り込みをしながら、唐突に、どうして、悲しくなった。自分は何の悪いことをしてこんなに辛い走り込みや坂ダッシュをしているのだ、という気持ちになったのだ。それは本当に唐突だった。梅雨の間は同田貫や他の面子がかわるがわる体育館に顔を出していたので思わなかったが、部活というものにも中学での人間関係にも随分疲れてしまっていた。気づいたらその疲れがたまって、御手杵はちょっと倒れそうになっていた。実際に倒れるわけではない。心のどこかがぽっきりいってしまうような、そんな気がしたのだ。

部活終わりにみんなで集まった時、ぽろり、「小学校に戻りたい」という言葉が出た。御手杵は子供じみたことを言ってしまった気分になり、すぐに「いや、そういうわけじゃなくって、小学校の時は勉強も楽しかったし、テストで間違えても青丸もらえてたのに、中学校だとテストじゃ青丸もらえないからさ」と言い訳じみたことを言った。

「あー!青丸!なんか懐かしいな!」

そう言ったのは、こんな時一番御手杵を茶化しそうな和泉守だった。和泉守は「そういや宿題も自由学習がなくって、堅苦しいのばっかだよな」とそんなことを言った。御手杵の耳には「自由学習」という単語がとっても懐かしく響いた。

「朝の会とか帰りの会も『ホームルーム』なんて堅苦しくなって、連絡ばっかだよなぁ」

獅子王も思うところがあるらしく、話に乗ってくる。こんな部活が終わる時間までサッカー部にも顔を出さず何をしていたかわからない大倶利伽羅も、「先生がやたら煩い」とぼそり、呟いた。

「はじめは格好ええと思っとった制服もえろう窮屈じゃ」
「結局ジャージに着替えるしな」
「…野球部は先輩がやたら威張ってやがる」
「制服もジャージも先輩にならねーと着崩しちゃいけない決まりがあんだってよ」
「なんだそれ、おかしいの」

六人はひとしきり、ここでしか言えないようなことや昔話に華を咲かせ、そうして最後にはやっぱり、「昔に戻りたい」とため息をついた。昔といってもせいぜい四ヶ月前だ。しかしその四ヶ月前というのが、なかなかに遠い。

「明日、小学校に遊びに行かねーか」

そう言ったのは同田貫だった。ちょうど明日は先生の都合で全ての部活が休みの日だった。同田貫はどうせ休みなんだから、ちょっと寄り道して帰るのもいいんじゃないか、と。そういえば先輩たちの中には小学校に遊びに来てくれた人もいたなぁと御手杵は思い出す。他の面子も異論はないらしく、「そうだ、明日小学校へ行こう」という話になった。

翌日、六人は話した通り壇ノ浦小学校へ遊びに行った。学校終わりに自転車を飛ばして、そうしたのだ。小学校の中へ入りたい気持ちはやまやまだったが、それはなんだか気が引けたので、駐車場のあたりに自転車を止めて、校庭の隅のほうからそこを眺めた。校舎はこじんまりとしていて、校庭も中学校に比べるとずいぶん狭かった。しかし自分たちはここで幾年かを過ごしていたのだという思いが強くなる。校舎はどこか寂れたにおいがして、それがまた懐かしかった。壇ノ浦小学校が自分たちを抱きとめてくれているような気がして、不思議と息のつく心地がした。校庭を見るとまだ四、五、六年生がまばらに校庭で遊んでおり、中学校のジャージを着た六人に気がつくと、何人かはわらわらと集まってきた。懐かしい「友達」の顔に六人はちょっと胸がくるしくなる。

「ねぇねぇどうしているの?」
「あっコラ、ちゅうがくせいにはケイゴつかわなきゃだめなんだ」
「そうなの?ともだちなのに?」
「そうきまってんだ」

はじめは小学校にきて、小学生に戻った気分でいた六人も、そんな会話を聞いていたらもうだめだった。急にすべてが懐かしいだけの存在に感じられ、校舎もセピア色に染まってゆく。ここはもう自分たちの居場所ではなくなってしまったのだ、という気持ちになって、子供じみた感情を抱いたさっきまでがきゅうに恥ずかしくなった。

六人は結局、十五分もそこにいただろうか。誰かが帰ろうと言い出して、みんながそれに従った。懐かしさと現実とのギャップに、息が苦しくってしょうがなかったのだ。

壇ノ浦小学校から松崎、海口への帰り道、誰もなんにも言わなかった。無言のまま自転車を漕いだ。自分たちはちょっとでもなく大人に近づいてしまったのだと、誰もなにも言わなかったが、気づいてしまった。わかってしまうとどこか寂しく、ものかなしかった。

ものかなしいところに西日が差して、六人はどこか泣いているようだった。けれど、これが成長するということでもあるのだと、ちゃんとわかっていた。これは成長痛なのだ。大きく成長するための、成長痛なのだ。

ゆく人の流れは絶えずして、しかも、もとの人にあらず。人はびっくりするほどの速さで成長痛してゆくものだ。本人が望むと、望まざるとにかかわらず。


END


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