ユートピア日記






この日記を、こうしてひとりのおとなにささげたことを、子どものみなさんは許してほしい。


まだ小学三年生の御手杵はもちろん、そんな大人に向けられた物語の冒頭の本を日記に差し替えただけの文章を思いつくはずがなかった。それに御手杵はこの日記を大人数の大人にではなく宿題として先生にささげるために書いていたし、それは子供の大多数が夏休みの宿題として課されるものでもあった。

夏休みの最後の週、子供会の行事で勉強会というものがあった。子供がふるさとセンターの二階にある和室でただただ勉強をするという会だ。わからないところは六年生が教えてくれるシステムで、夏休みの宿題の消費にはうってつけのイベントだった。それは午前10時から12時までで、たった2時間でいったいなにができるんだと思わなくもないが、小学生にとって2時間机にかじりつくというのはなかなかたいへんな労働だった。

御手杵は色々と終わっていない宿題の中から、一行日記と絵日記を選んでその勉強会に参加した。ふるさとセンターまでの長い長い坂を、汗をぬぐいぬぐい歩き、冷房なんかない和室でやっぱり汗をかきながら宿題をした。どうして御手杵がそのふたつを選んだかというと、自分の記憶に自信がなかったからだ。毎日つけておけばいい一行日記は書こう書こうと思ってまっさらだったし、4枚描かなければならない絵日記もそうだった。記憶に自信のない御手杵は、同田貫をはじめほかのよく遊ぶ面子にこの日なにをしていたか聞きながらやろうと思ったのだ。勉強会中は基本的に私語は禁止だったが、勉強に関することだけは教え合っていいことになっていた。御手杵は同田貫の隣に陣取って、すっかり短くなったえんぴつを握った。

ふるさとセンターの和室に低い長机を並べただけの勉強部屋で、御手杵はまず一行日記から埋めることにした。一行日記というのはその名の通り、毎日1行の日記を書いていくというものだ。専用の用紙に1日のうちで印象的だった出来事ややったことを1行にまとめて書いていく。用紙は横長の縦書きで、日付と日記を書く分の空欄が約30日分続いている。一行というだけに御手杵の文字では20字も書けないようなスペースだ。本来は毎日こつこつとやるべきものだったが、御手杵は毎日を楽しむことにばかり夢中ですっかりそれを忘れてしまっていたのだ。御手杵はまっさらな用紙を見てちょっと気が遠くなる気がした。もう約3週間ぶんためていた計算になったからだ。

御手杵はまず最初にまとめて夏休みがはじまった日付から、終わりまでの日付を埋めた。それから、地域の行事があった日は「なつまつりに行きました」だとか、「おたのしみ会に行きました」とか書き込んだ。困ったのはなんにもなかった日だ。最初は「海へ行きました」や「ともだちとあそびました」と書いていたが、だんだんそれの繰り返しになってしまう。そればっかりでは先生にさぼっていたことがバレてしまうので、困った御手杵は目を閉じた。目を閉じて夏休みのうちで楽しかったことを思い描いてみた。

すると不思議なことにきらきらとした夏休みの景色が降り注いできた。それは海の風景だったり、山の風景だったり、お盆のけだるげな風景だったり、みんなとわいわい遊んでいる風景だったりした。それらはとてもじゃないが1行でなんか収まりきらない。1行にしてしまうにはとてももったいない風景ばかりだった。御手杵は目を開けて、ちょっと考えてから、今まで埋めたところを全部、消しゴムで消してしまった。あんまりにもあんまりな日記だと思ってしまったものだから。

「きょうは化石をひろいました」

御手杵は夏休みの一日目の空欄に、今にも踊り出しそうな字でそう書いた。その日は海へはじめて遊びに行った日だったが、青くて透明な海より、海藻の森より、海硝子をはじめて見つけたことより、何万年も昔、もしかしたら何億年かもしれない昔の生き物の残り香をかいだことが印象的だったのだ。あのひんやりとした石の感触と、黄色っぽい色彩がぽとり、用紙の上に落ちていった。

それから御手杵はまた、夏休みの二日目に想いを馳せた。おんなじように目を閉じて、記憶を手繰っていく。ちょっとした時空旅行をしている気分だった。


「きょうはあけびをたべました」

その日は同田貫や陸奥守、大倶利伽羅、獅子王、和泉守と海口地域と松崎地域を探検したのだった。空がどこまでも青いのに、その端っこの方は白い入道雲で彩られているような、からっと晴れたいい日だった。6人で新たな秘密基地となる新天地を探そうということになったのだ。そうして六人はふるさとセンターの坂道を登り、ふるさとセンターよりも先の森に入った。そこをずっといってしまうとお墓についてしまって気味が悪いので、御手杵たちは脇道に逸れた。脇道は舗装もされていない砂利道で、道の両端は木々がざわめいていた。御手杵は映画で見たような景色だと思った。そしてその道に「ひみつのぬけみち」とひそかに名前をつけたのだ。そんな道をちょっと行くと、見晴らしのいい高台に出た。そこからは松崎海岸やこのあたりが一望できた。御手杵はわあと驚いた。それから、近くに白っぽい建物があるのにも気が付いた。同田貫にあれはなに?と尋ねると、「だれかのべっそうだ」という答えが返ってきた。都会に住んでいる人がときたまこのあたりに避暑にくるらしい。しかしそれも昔の話で、今は誰も使っていない、ただの廃墟だということだった。御手杵はそこへ行ってみたいと思ったのだが、5人は賛成しなかった。その別荘には白いワンピースを着た幽霊が出るともっぱらの噂であったし、大人には勝手に入ってはいけない場所だと教えられていた。そしてまずもって、その別荘へと続く道を、誰一人知りはしなかったからだ。御手杵は道がないと言われて、はじめそんな馬鹿な、と思った。しかしどんなに目をこらして見てみても、別荘はどの道ともつながっていなかった。ただぽつねんとそこにある。不思議だと思った。誰もいないはずなのに、その別荘がひとりで生きて、ひとりで息をしているように感じられた。

その帰り道、獅子王が「あけびだ!」と、近くの木を指した。見ると、紫色をした楕円の実をつりさげた木が、そこにあった。御手杵以外の5人は「おやつだおやつ」と言って、その木のとっかかりを見つけては登りはじめる。御手杵はなんのことかわからずほうけてしまっていた。これが食べられるのだろうか、と、手が届く高さにあった紫の楕円にそれを伸ばしたが、和泉守に「それはまだじゅくしてないやつ」と言われ、手をひっこめる。「たべられんのはこういうのだ」と渡されたのは、実が裂けて、中のぐちゅぐちゅしているような気味の悪いものが見えているやつだった。他の面子は怖気づく御手杵を後目にそのぐちゅぐちゅを口に含んではたくさんの種を吐き出していた。はじめは怖がっていた御手杵も、みんなの様子を見るに毒はないのだろう、と、おそるおそるそれに鼻を近づけて匂いをかいでみた。するとむっとするような甘い匂いがした。もっとすっぱいか、苦いかだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。御手杵は果実の割れ目に指を差し込み、あいだの半透明なような房をそうっと取り出した。そうしてこわごわとそれを口に含んでみる。ざらりとした舌触りがして、それがほどけると、だらしないほどに甘いのが口の中にひろがった。御手杵はこれはとってもおいしいものだ、と思った。そして種を吐き出すのも忘れてそれにかじりつく。すると陸奥守が「なんじゃ、たねまでくいよるとはらから『め』がでよる」と言った。御手杵はぞっとして、ぺぺぺと種を吐き出した。しかしあけびはとってもおいしかった。あの夏をぎゅっと詰め込んだような味を、御手杵は一生忘れられないと思った。

御手杵は机に向かいながら、あけびの甘さを思い出してつばを呑み込んだ。御手杵の日記に、あけびのむっとするようなかおりと、あざやかな紫がぽとり、落ちる。


「きょうは魚をつかまえました」

その日はやっぱり6人でくじら浜へ行った。午前中は海で泳いで、午後になってからのことだった。午前中はそれほどでもなかったのだが、午後になってからの海はすっかり潮が引いて、岩礁がきれいに見えていた。そしてその岩礁の隙間には潮がたまり、まるで宝石のようにきらきらと光を反射していた。くじら浜への道もすっかり干上がっていて、御手杵たちはより大きな潮だまりを求めてくじら浜へ行った。そして思っていたとおりくじら浜の岩礁のあいだにはおおきな潮だまりができていて、そこには小さなカニやツブ、御手杵の怖がるアメフラシやウミウシが潜んでいた。御手杵ははじめてのことだったのでとてもはしゃいで、必死になって小さな魚を素手でつかまえにかかった。しかしその小さな魚たちはひょいひょいと御手杵の手を避けて、海藻の隙間に隠れてしまう。獅子王や和泉守は持ってきたバケツに綺麗なツブや小さなカニを捕まえては投げ込んで、そこに小さな世界を作ろうとしていた。石を置いてみたり、海藻を抜いて入れてみたり、海砂利を敷き詰めたりしている。御手杵が魚を諦めたあたりに、ひときわ大きな潮だまりにいた陸奥守が「おうい!こっちにしょうにおっきな魚がいちゅう!」と声をあげた。するとみんながどうしたどうしたとその潮だまりのあたりに集まった。見るとほんとうに大きな魚がいた。御手杵がさっきまで捕まえようとしていた魚がとてもちっぽけなものに見えるほど大きかった。片腕の長さくらいはある魚で、小さな魚よりゆっくりと泳いでいる。6人は協力してその魚を捕まえることにした。潮だまりは腿くらいの深さまであったのでズボンをたくしあげ、その中に入り、魚を囲むようにして6人で追い詰めていく。魚はどんどんと狭くて浅い潮だまりの隅に追い詰められていき、最後には和泉守の腕の中に納まった。6人はやったやった、とその魚をバケツに入れようとしたが、大きすぎて入りそうにない。しかたなしに逃げられないように、すぐにまた捕まえられるようにとその魚がいた潮だまりよりもずっと浅くて狭い潮だまりにそれを放した。

6人は大きな魚が捕まえられたことでたいへん満足した。こんなに大きな魚がとれることはめずらしいという話もした。魚がうれしいようにとその潮だまりに海藻を入れてかざってみたり、海硝子を投げ込んできらきらさせてみたりもした。しかし6人はすぐに魚の様子がおかしいことに気が付いた。さっきまで元気に潮だまりを泳いでいたのに、その魚がどんどん元気をなくしてぐったりしていくのだ。潮だまりが狭すぎたのがいけなかったらしい。和泉守が急いでもとの大きな潮だまりにもどしてやったが、もはや手遅れだった。魚はひとかきふたかきしただけで、最後にはぷかぷかとそこに浮かぶばかりになり、腹を見せた。6人はそれを見て、ちょっと悲しい気持ちになった。赤色が刺した空の色もそれに拍車をかけた。魚はよく見ると無残な姿だった。鱗はさんざに剥げ、腹の底には傷がついている。自分たちがいなければこの魚はあの大きな潮だまりで潮がまた満ちるのを待ち、大海へともどっていったはずだった。学校でさんざん尊いと教えられている命を簡単にうばってしまったのだと気が付いた。気が付いた時には遅かった。御手杵が「どうしよう」とぽつり、つぶやいたときに、5時の時報が鳴った。6人は帰らねば、と思った。子供は5時になったら家に帰る決まりだったのだ。6人は魚にさんざんごめんなさいをしてから、くじら浜をあとにした。魚の死骸がどうなったのか、それは誰も知るところではない。

御手杵はあのひんやりとした心地と、うそ寒さを思い出して、ちょっと暗い気持ちになった。御手杵の日記に、ほのぐらい冷たさと、魚の見開いたまんまの目玉がぽとりと落ちて、染みになる。

それから御手杵は何日分ものことを思い出しては日記に落とし、思い返しては身を震わせた。それを何度か繰り返していくうちに、日記は半分以上埋まって、つい最近までたどり着いた。その頃になってくると御手杵の一行日記はとても鮮やかで、いろんな匂いがして、いろんな感情が入り混じった不思議なものになっていた。御手杵はそれに満足しながら、また目を閉じる。今度思い出すのは、8月13日のことだ。


「きょうは『らっちょく』をもやしました」

その日は御手杵の母親が納屋から何か大きな木の板どもを運び出して、座敷でたいへんな作業をしていた。母親曰く、「盆棚」をつくるらしい。盆棚というのは盆に出す大きな棚のことで、階段のように段々になっている装飾のされた棚のことだ。このあたりの地域では盆にそういったものを出して、そこにご先祖様をまつるのだそうだ。板を組み立てていってできた盆棚の両脇にはひな祭りの時によく見かけるぼんぼりのようなものも立てて、縁側には提灯もつるした。どれも御手杵ははじめて見る光景だった。東京にいた頃はアパートが狭くってそんなものを飾るスペースはなかったのだ。御手杵がめずらしそうに盆棚を見ていると、母親が「お母さんが子供の頃は見慣れた光景だったのだけれどね」と言いながら、盆棚にたくさんのお供え物を並べ始めた。たくさんの果物に、たくさんのお菓子だ。御手杵はそれを「おいしそう」と言ってじれったく見つめたが、母親は「これはご先祖様のものなのよ」といって、絶対御手杵には与えてくれなかった。そうして最後に、キュウリに半分の割りばしを4本差したものと、同じようにした茄子を飾った。御手杵が「それなに?」と尋ねると、母親は「お馬さんと牛さんよ」と答えた。来る時はキュウリの馬に乗ってちょっとでも早くご先祖様が帰って来られるように。帰りはお土産をたくさんのせてゆっくりと帰れるように茄子の牛で、とのことらしかった。御手杵はご先祖様ってどんなものなんだろうと思いながら、不思議な心地でそれを眺めた。

夕方になって日が傾くと、御手杵は母親に庭へと呼ばれた。御手杵の家の庭には砂利がしいてあって、その中におぼれるようにして大きな石の足場が敷いてある。御手杵はその石どもを踏んで、庭のだいたい真ん中らへんのひときわ大きな石のところに来た。母親はそこに先っちょがオレンジ色になっている棒を焚火をするように組んでいた。御手杵が「なにするの?」と尋ねると、母親は「らっちょくで迎え火をするのよ」と言った。御手杵は「らっちょく」も「むかえび」というものもよくわからなかったのでやっぱり母親に尋ねた。母親は「ご先祖様にここに帰ってくるのよって教えてあげるの。この先がオレンジ色になってる棒がらっちょく」と言った。そう言いながら、丸めた新聞紙にマッチで火をつける。マッチ独特のつんと鼻に抜ける香りがした。母親は静かに燃える新聞紙を、組んだ「らっちょく」の下に入れた。火はらっちょくにだんだんと燃え移り、ほのかにオレンジ色をした煙を立ち昇らせた。御手杵はそれをやっぱり不思議な心地で眺めていた。あたたかい煙が夕暮の空ににじむように立ち昇っていく。これを目印にして帰ってくるということは、ご先祖様は空にいるのか、と御手杵は思った。そうして、その煙をつたってご先祖様が盆棚に吸い込まれていく様を、静かに夢想した。

御手杵は目を開けたまま夢を見ていた。御手杵の日記に、うつくしい色をしたけむりと、ゆったりとした空気が吸い込まれて、ぽとりと音を立てた。


「きょうはじかんりょこうをしました」

御手杵は今日の日付が書いてあるところにそう記入して、じっと自分の書いた一行日記をみつめた。すると頭の中にいろんな色や風景やにおいや感情がよみがえってきて、御手杵を終わらない夏休みへと連れ去ってゆく。この日記が御手杵の夏休みをぎゅっと詰め込んだものだった。御手杵は汗をぱたぱたとしたたらせながら、それを推敲した。何度読み返してもわくわくする日記だった。

「おい」

御手杵を夢想から引きずり上げたのは、同田貫の声だった。御手杵がずるりと顔をあげると、もう勉強道具をしまって、帰るしたくをはじめている同田貫の姿があった。御手杵がきょとんとしていると、同田貫は「もうおわったぞ」と言う。御手杵は何が終わったのかはじめわからなかったが、すぐに自分は勉強会に参加していたのだったということに気が付いた。そうして、耳の奥の方にぽーんという、12時の時報の尻尾をとらえた。そうか、終わってしまったのか、と思った。御手杵は日記を書くのにとても集中していたので、時間がそれほどたっていないように感じていたのだが、じっさいはもう2時間が過ぎていたらしい。結局誰にも話を聞かずに日記を書き上げてしまった、と御手杵は思った。それから絵日記の方には手をつけることができなかったなあとも思った。せっかく色を塗るためのクーピーも持ってきていたのに。しかしさっきのようにじっと夢想をすれば、簡単に描けてしまうだろうとも思った。思い出はただただ鮮やかなのだ。色を乗せるまでもなく、そうなのだ。

御手杵は一行日記の用紙を大切に折りたたむと、それをそっとバッグに忍ばせた。そうしたら、どこからかふわり、夏のにおいがした。それはラムネの泡がはじけるようにして、すぐに消えてしまったけれど。


この日記を、こうしてひとりのおとなにささげたことを、子どものみなさんは許してほしい。これは未来の自分に宛てた手紙でもあるのだから。


END



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