はずかしいということ






そう恥の多くない生涯を送ってきました。

まだ小学三年生の御手杵はもちろん、そんな小難しい小説の冒頭を真逆の意味に差し替えただけの文章を思いつくはずがなかった。しかし御手杵は言葉の通りそんなに恥ずかしいと思う人生ではなかった。たしかに幼稚園の時におねしょをして布団を干されたり、どろんこになるまで遊んで幼稚園の放送で「もも組のゆうきガエルさーん」と呼びかけられた時は恥ずかしかった。しかしそれはなんだか笑い話にできる失敗で、御手杵はこれまでに消えてしまいたいほど恥ずかしい思いというものをしたことがなかった。まだ小学三年生なのだ。そんな経験をしている子の方が珍しい。

御手杵の学級は四つの班に分けられている。その四つの班にはそれぞれ当番が割り振ってあり、日直とはまた違った働きをしなくてはならない。たとえば「はみがき当番」だ。はみがき当番は、みんなが歯を磨いたあと、備え付けの手洗い場にひっかけてある札を点検する。歯を磨いた人は自分の名前が書いてある札をひっくり返して、「みがきました」という面にするのだ。はみがき当番はこれをちゃんと点検して、点検したあとにもとあったように名前が書いてある面に戻す、という仕事をする。他にも「電気当番」があった。電気当番は教室移動の時に電気が消されているかどうかを確認する当番だ。あとは毎日の時間割を職員室で見て黒板に書く「時間割当番」、掲示物を壁に貼る「けいじ当番」などがあった。それらの当番は「帰りの会」の際になにかあったらその出来事を発表することになっていた。

「今日はおてぎねくんがはみがき札をかえしていませんでした」

御手杵はそう発表されたとき、ぎくりとした。御手杵の学校ではそんな習慣がなかったものだからぼんやりとしてしまっていて、ついつい忘れてしまっていたのだ。みんなの前で発表されて、御手杵はとても恥ずかしくなった。それは逃げてしまいたいくらいそうだった。だから自然と御手杵はその時どうにかしてこの恥ずかしさから逃げたいと思った。どうやって逃げるのか、わからなかったが。その日の帰りの会での発表はそれぎりだった。それがいっそう御手杵のはずかしさをおおきくした。

次の日御手杵は、体育の時間で教室に電気がついたままになっているのを見つけた。電気当番がちゃんと確認しなかったのだと思った。御手杵はその時、電気当番になんにも言わず、黙って教室の電気を消した。そうして、帰りの会で発表したのだ、「今日はでんき当番の人がでんきをけしわすれていました」と。

その時だけ、御手杵はとってもすっきりした気持ちになった。別に電気当番の人が昨日御手杵のはみがき札を指摘したわけではなかったけれど、それでも同じように間違いをおかす人がいるのだということに安心した。とてもほっとした。それはなんだか後ろ暗さを伴っていたけれど、御手杵は気が付かないふりをした。

次の日はけいじ当番の人が指摘を受けた。その次の日は時間割当番だった。どんどんどんどん悪いとこばかりが指摘されていく。教室の空気が帰りの会になるとぎすぎすして、どんなに仲良しな友達でも信用ならないように思えてきた。御手杵も当然教室の空気に気が付いて、帰りの会の時間になると憂鬱になったり、緊張したり、自分はなにか間違ったことをしたのではないかと意味もなく不安になるようになった。みんなの前で発表されるのははずかしい。みんなの前で間違いを指摘されるのはとってもこわいことだと思った。

「こんなことを続けるのだったら、帰りの会はやめにしましょう」

そう言ったのは担任の先生だった。担任の先生はとっても怒っていた。御手杵が三日連続で宿題を忘れたときよりずっとこわくて、かなしそうな顔をしていた。

御手杵ははっとした。はっとして、消えてしまいたいくらい、恥ずかしいと思った。自分がしたことがとても意地汚くて、根性が曲がったことのように思えて仕方がなかった。どこかで誰かに謝りたいと思った。しかしその謝るべき相手が誰だったのかも、どれくらいいるのかももうわからない。悪いのはもちろん御手杵だけではなかった。みんながみんなで悲しい思いをしてしまったのだ。けれど御手杵はみんなの前に出てでも謝りたいと思った。しかし先生はみんなの顔色が変わったのを見て、「この話はもうおしまい」と言ってしまった。御手杵は自分のしでかしたことを謝る機会を永遠に失ってしまった。

それからの帰りの会はとても平和になった。もとのように、ほんとうに忘れてしまった人だけが発表されるようになった。その、ほんとうに忘れた人も、とっても珍しいことだった。うっかり忘れてしまっているようだったら、誰かが声をかけていたし、自分で思い出して当番の人に申し入れる時もあった。だからそれはほんとうにめずらしかった。そのめずらしい人も、ちゃんと自分が忘れたことを反省して、次からは忘れないように気を付けるようになった。

しかし御手杵はそんな帰りの会が繰り返されるたんびに、胸がぎゅっと苦しくなって、消えてしまいたくなるのだ。自分の中にほの暗いものがわだかまっていることに気づかされるのだ。その自分がまた御手杵をのっとって、何かさせるのではないかと怖くなるのだ。御手杵は、このことを絶対に笑い話にできないと思ったし、一生忘れることがないのだろうなと思った。恥とは、そういうものだ。

そう恥の多くない生涯を送ってきました。ほんとうにはずかしいという感情を覚えてしまうまでは。


END


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