せかいにひとつだけの抽斗






勉強なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。

まだ小学三年生の御手杵はもちろん、そんな小難しい小説の一節の学問を勉強に差し替えただけの文章を思いつくはずがなかった。しかし当時の御手杵はそれくらい勉強をないがしろに考えていたし、面白味のないものだと思っていた。勉強しているよりは遊んでいる方がよっぽど楽しいし、学ぶことの多いものだと考えていた。この田舎に引っ越してきてからはさらにそれに加速がかかり、御手杵は宿題もおろそかにするほど遊びほうけていた。

そんな御手杵はある日、学校が終わってから、同田貫の家に遊びにいった。といっても遊んでいいのは17時のチャイムが鳴るまでなので、ほんのわずかのあいだだけだ。こないだ同田貫が言っていた「めのう」を見せてもらいにきたのだ。同田貫はなくすことを恐れてか、それをけっして自分の部屋から外へは持ち出そうとしないのだ。だから御手杵から出向くことにした。同田貫の部屋はたいそう片付いており、こざっぱりしていた。勉強机がひとつ、狭い部屋に置いてあり、それ以外は百科事典や辞書の並べられた本棚がひとつあるばかりだ。前は兄と一緒の部屋だったが、兄が高校受験の際に部屋をわけてもらったとのことだった。六畳もない部屋だ。

「おれのたからものだからな」

同田貫はそう言うと、机の一番小さな抽斗から、さらに小さな木の箱を取り出した。それは深めの蓋がついており、華奢だったが、きれいなものだった。きっと同田貫が作ったのだろう、木工用ボンドがちょっとだけはみだしている。御手杵がきらきらとした目でそれを見ると、同田貫はもったいつけるようにしながら、その蓋を開けた。

「わあ、すげー!!」

中には綿がしきつめられており、その真ん中に御手杵の親指の爪ふたつぶんほどの石が置かれていた。同田貫が前話していたとおり、その石の断面は何層にもなっていて、肌色っぽいような、ピンク色っぽいような色をしていた。真ん中は空洞で、吸い込まれそうだと御手杵は思った。御手杵は触ってもいいかと同田貫に尋ねたが、同田貫は「だめだ。みるだけだ」と言ってきかなかった。御手杵は素直に引き下がって、じっとその石を見つめた。小学校の裏で拾ったという石はとんでもなく魅力的で、きれいで、うつくしいものだった。御手杵は自分にもこんな石が拾えるだろうかと考えた。御手杵があんまりじっとそれを見るものだから、同田貫はこれ以上見られては穴があく、という風に、箱のふたを閉じた。御手杵はもっと見ていたかった、と残念そうな顔になる。

「たからものなんだ、そうそう見せらんねえ」
「そっかあ、それじゃあ、しかたないなあ。きれいだったなあ」
「おれも見るのは一日一回ってきめてんだ。見せるのもそうだ」
「だいじにしてんだなあ。たからものはだいじだもんなあ。あ、なあなあ、ほかにもなんかきれいな石とかたからものないのか」

御手杵がそう尋ねると、同田貫はちょっと恥ずかしそうにした。

「…たからものはある」
「あるのか!すごいな!」
「あるにゃ、あるが、きれいじゃない」
「そうなのか?」
「ぴかぴかもしてない」
「それでも、たからものなんだろ?」
「見たらがっかりするかもしれない」
「どうたぬきのたからものなんだ、がっかりなんかしない」

同田貫はさんざんしぶったが、御手杵もしぶとかった。同田貫はまだごにょごにょ言っていたが、御手杵のしぶとさに負けたのだろう、やっぱり机の一番小さな抽斗から、それなりの大きさの四角い缶を取り出した。同田貫の掌に納まらないほどの箱だ。同田貫はもう一度御手杵に「がっかりすんなよ」と言った。御手杵は「絶対しない、約束する」と言った。そうすると同田貫はちょっと緊張した面持ちで、その缶の蓋をゆっくりとあけた。

中に入っていたのはちびたえんぴつの山だった。

もう鉛筆削りでは削れないだろうというところまで使い込まれたえんぴつの山だった。柄だったろう部分はあずき色のものも、緑いろのものも、黒いものもあった。中には三角えんぴつもあった。どれもこれも使い込まれていて、御手杵は溜息のようにすごい、と言った。同田貫は御手杵ががっかりしていないとわかるとほっとしたようになって、「一年生のころからためてんだ。すてるにすてらんなくてな」と。親からの入学祝いでもらったえんぴつが捨てられなかったことがはじまりらしい。同田貫はひときわ小さなさんかくえんぴつを取り出して、「こいつがたぶんさいしょのえんぴつだ」と言った。御手杵はその缶の中に同田貫の勉強の歴史が詰まっているような気がしてくらくらする心地がした。

御手杵はちびた鉛筆は捨ててしまっていた。使えなくなったからといって、そのへんに捨て置いてしまっていた。どこへ転がっているやもわからない。最初の鉛筆も、きっともう焼却炉の中で焼かれてどこかの地面になっているに違いない。御手杵は常々同田貫は勉強家だと思っていたが、ここまでとは思わなかった。勉強の何が楽しくって宿題以上のことをやっているのだろうと思っていたが、こうして自分ががんばった軌跡がたどれるのならそれはとてもたのしく、充実したものであるやもしれない。同田貫のたからものは、とってもきれいで、ぴかぴかしていて、うつくしいものだった。御手杵はそう思った。


その日御手杵は家に帰って、出されていた宿題をやった。漢字の書き取り練習だ。一角一角丁寧にかきとっていく。なんのへんてつもない、単純で、けれどがんばろうと思えばどこまででもがんばれる宿題だった。御手杵は静かに漢字の書き取りをしながら、えんぴつがちょっとずつ、ちょっとずつ削れてまるくなっていくのを、楽しく眺めていた。勉強は楽しいものだと思った。そうして、このえんぴつがちびて削れなくなったそのときは、四角い缶を用意して、その中でそっと眠らせてやろうと、そう思った。その箱をしまう抽斗はもちろん、机の中の一番小さな抽斗だ。


勉強なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。自分の中に流れる川に、えんぴつの軌跡がちゃんと残っている。


END


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