誰から逃れるでもない秘密基地






国境の長いトンネルを抜けるとそこは田舎であった。

まだ小学三年生の御手杵はもちろん、そんな小難しい小説の冒頭の雪国を田舎に差し替えただけの文章を思いつくはずがなかった。それにトンネルを抜けずともバスの通る道はずっと森林が続いていたし、季節は初夏であったし、御手杵は長旅の疲れからかずっとうつらうつらと意識を漂わせていた。隣には御手杵の母親がくたびれた様子で座っている。二人は長い長い旅をしていた。旅といっても元の場所に戻るようなそれや、あてどなく彷徨うそれではない。これから住む場所へ向かう旅だった。

御手杵は東京から仙台までの新幹線の旅のあたりまでは元気だった。新幹線というとてつもなく早いスピードで動く乗り物に乗るのははじめてだったし、過ぎ去る景色も新鮮だった。仙台までの道のりはあっというまだったし、はやぶさ号に乗ったので、時間的にもそれほど長い旅ではなかった。大変だったのはそのあとだ。御手杵は次に椿市に向かうバスにのせられた。バスは新幹線よりずっとゆったりしたスピードで走り、御手杵をとても疲れさせた。一時間たてど、二時間たてど、目的地にはつかない。まっすぐ走る新幹線と違ってバスはいろんな場所を経由した。岩手に入ったかと思えば宮城へ戻り、長いこと走ったのちにまた岩手へと戻ってくる。椿市は県南だったが何故か北から椿市へ入る。四時間もかかってやっと椿市のショッピングセンター前に辿り着いた時、御手杵はもう泣きださんばかりだった。昼前に東京をたったというのに、時刻はもう夕方の五時半だった。生ぬるい風が御手杵の半そでから出た腕に絡みつき、生ぬるい汗をかかせた。それでも東京よりずっと涼しい。東京の暑さはもっとねっとりとしている。寂れたショッピングセンターは、それなりに地域の人が利用しているらしく外からでも中の賑わいがわかったが、東京の人混みに比べれば、ずっと寂しいところに来てしまったのだと思った。

御手杵はそこからまたバスに乗った。そこからのバスの旅は役三十分ほどだった。ショッピングセンターから小さなバスに乗り、終点まで。ショッピングセンターのあたりはまだ商店街で活気があったが、バスがひとつ揺れるたんびに、景色はどんどん山と海ばかりになって、御手杵を心細くさせた。母親に「ほんとにこのバス?」と何度も尋ねた。しかし御手杵の母親はそれにうんうんと頷くばかりで一向に要領を得ない。ついに車内には二人だけになり、御手杵はいっそう心細く思った。御手杵がいよいよ泣き出そうとした時になって、バスの運転手が「次は終点、海口、海口」と言った。御手杵の母親は、降車ボタンをポーンと鳴らした。

下ろされたところは本当に狭い広場のようなところだった。バスがぐるっとターンできるように、円形に道が作られている。道が作られている、といってもそれはコンクリートなんかではなく、ただの砂利道だった。広場の真ん中には花壇があって、色とりどりの花がまばらに植えられていた。その花壇のまわりをぐるっとめぐり、バスはゆったりともときた道を戻っていく。御手杵はほら、あそこの一番奥のおうちが新しいおうちよ、と母親に言われ、指刺された場所を見ると、そこには大きな日本家屋が立っていた。

「うみがみえる…」

御手杵が家に到着して最初に言った言葉はそれだった。家は南向きで、それなりに広い庭先に立つと、山とや田畑の隙間から海が見えた。ここから歩いて五分ほどの場所に海があるらしかった。御手杵は夕日の眩しさに目をすがめ、手をかざしながら、それをじっとみつめた。その光景があんまりにも寂しくって、御手杵は東京に帰りたい、と、そう思った。帰るべき場所はもう、ここしかなかったけれど。



御手杵が新しい小学校に登校したのはそれから二日後のことだった。前日まで引っ越し作業でバタバタしていたせいか、御手杵はまだふわふわとおぼつかない足取りをしていた。初日は小学校まで母親に車で連れていってもらった。小学校は山をひとつ超えた先にあり、母親に明日からはお友達と歩いて行くのよ、と言われて御手杵は気が遠くなる思いがした。辿り着いた小学校も、もとの小学校に比べるとずっと小さかった。「ぶんこう」というやつなのではないかと御手杵はうたがったくらいだ。聞けば全校生徒がちょうど百人で、御手杵が前に通っていた小学校の三分の一もない。そこにはクラスという概念がなく、一学年は一学年しかなかった。御手杵はランドセルをしょったまま職員室に連れていかれ、まずはじめに担任の先生に挨拶をした。簡単な挨拶を済ませると、母親はじゃあおかあさんは帰るね、がんばってね、と言って、職員室を出て行ってしまった。御手杵はいっそう心細くなり、担任の先生と言われた人の顔も見れなくなってしまった。担任の先生は女性で、「結城くん、これから朝の会でおともだちにごあいさつしてもらうから、よろしくおねがいしますのひとことでもいいから、なにか考えておいてね」と御手杵に言った。御手杵はまだともだちになんてなっていないのに、と思った。御手杵の中で友達というのはつくるものだった。たくさんの人の中から選んで、選ばれて作るものだった。ここではそんな自由もきかないらしい。御手杵はそれにちょっと絶望した。こわいと思った。

御手杵はそれから、一階の教室の前で立っているように言われ、おとなしく廊下に立っていた。校舎は三階建てで、三年生までが一階、四年生から六年生が二階の教室だった。三年生の教室の先には渡り廊下があり、そこから体育館へ行けるらしかった。御手杵は体育館の青い扉をじっと見つめて、息苦しさに耐えた。そうしているうちに教室がさざめいて、先生が教室のドアをがらりとあけた。そうして「さあ、はいって」と御手杵をその中へと入れる。御手杵は緊張で足をもつれさせながら、ドアをくぐった。教室はそれなりに狭く、中には二十人ほどの「おともだち」がいた。教室には教壇なんてものがなく、教卓も隅の方に置いてあった。そのため前の空間はぽっかりと空いていて、御手杵はそこに立たされることになる。何かの罰を受けているみたいだ、と御手杵は思った。先生は「みんなにじこしょうかいしてください」と御手杵に言う。御手杵は前を見ることができず、うつむきがちになりながら、それなりに小さな声で「おてぎねゆうきです」と言った。先生はそれで満足しなかったのか「よろしく、は?」と御手杵に耳打ちをした。教室はしんとしている。御手杵は耐えられずに、言われるがまま「よろしくおねがいします」と消え入りそうな声で言った。先生は満足すると、「じゃあみんなも結城君によろしくおねがいしますって言おうか!」と言って、「せーの」と言った。すると教室が割れんばかりの声量で、みんながみんな「よろしくおねがいします」と言った。御手杵は冷や汗をかく心地がして、ばっと顔をあげると、そこには見たこともないくらい小さな世界があった。ああ自分はこれからこの小さい世界に入っていかないといけないのだな、と思った。それは御手杵にとって、けっして嬉しいことではなかった。

御手杵は挨拶が終わると、「あそこの空いてる席に座ってね」と言われた。あそこ、と指刺されたのは、窓際の一番後ろの席だった。席は二列がくっついていて、それが三列あった。だから御手杵の席にも当然誰かが座っていて、御手杵は信じられない気持ちでそこに座った。御手杵の前通っていた小学校では一列ずつ離れていたからだ。御手杵が席についてランドセルを机の横にひっかけると、隣の席の男子はこっそり「ランドセルはうしろのろっかーに入れるんだ」と言ってきた。御手杵が「えっ」という顔になると、男子はむっつりとした顔で、「あさのかいがおわったらおしえてやる」と言った。御手杵は赤面しながら、その「あさのかい」とやらが早く終わることを切に願った。

朝の会が終わると、5分休憩になった。5分後に授業はじまる。御手杵がランドセルを後ろにある「ろっかー」らしき棚にしまわなければ、と思った矢先、教室中からざあっと波のように「おともだち」が押し寄せてきた。子供たちは口々に「どこからきたの?」「どのあたりのおうちなの?」「ねぇねぇ」「ゆうきくん」と御手杵に質問をぶつけてくる。御手杵は頭を真っ白にして、どうしよう、と思った。「おともだち」は一通り質問を投げ終わると、わくわくした顔で御手杵を覗き込んでいる。御手杵は視線を一身に受けて、黙ってしまった。すると、やっぱり隣の子が、「どこからきたんだ」と最初の質問をもう一度、御手杵に噛んで含ませるように投げかけた。御手杵はあ、と思って、「とうきょう」と応えた。するとみんなは「すごーい!」だとか「とかいだ!」だとか「どんなところ?」「ディズニーランドにいったことある?」とまた矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。御手杵が早々に参ると、隣の子がよく通る声で「なぁそのまえによ、いろいろおしえてやんねぇと。ランドセルはこっちな」と後ろの「ろっかー」を指さした。御手杵は「う、うん」と言うと、ランドセルからノートと筆記用具だけ出して、指刺された棚の前に立った。そこは赤と黒のランドセルでいっぱいになっていたが、一番端っこだけぽっかりと隙間が空いていた。空間の上にはシールが貼ってあり、そこには「おてぎねゆうき」と書いてある。御手杵はそこが自分の場所だとわかったので、そこにランドセルをしまった。御手杵は教えてくれた子に「ありがと…」と言って、はじめてその子の顔をよく見た。その子は腕白なのか、顔も腕も傷だらけで、いたるところに絆創膏を貼っていた。目つきは鋭く、なんだか不機嫌そうだ。同い年のはずなのにほかの子よりずっと落ち着いていて、物静かなのだろう、口は一文字に結ばれている。御手杵がはじめてその子に抱いた感情は「こわい」だった。御手杵が怯えているのを知ってか知らずか、その子は「おれはどうたぬきまさくに。となりのせきだし、よろしくな」と言った。御手杵は「よ、よろしく…」とやっとのことで返した。そうしているうちに授業開始の鐘が鳴り、先生が「はい、みなさん席についてねー」と子供たちを促した。みんなは転校生への欲求が満たされないまんま、不満げな顔つきで席につく。みんなが席についたところで、日直が「きりーつ」と言った。するとみんなが立ち上がる。御手杵もあわてて立ち上がった。「これからいちじかんめのじゅぎょうをはじめます。れい」と日直が言うと、みんなが「よろしくおねがいします」と言いながら、礼をした。御手杵の前にいた小学校では「よろしくおねがいします」なんて言わずに頭を下げるだけだったので、戸惑った。戸惑いつつも、みんなに合わせて頭は下げた。

一時間目は国語の授業だった。御手杵はノートは持っていたが教科書はもっていなかった。先生は御手杵に「結城くんは隣の子に見せてもらってね」と言った。隣の同田貫はなんてことはないように、くっついた机の真ん中に教科書を広げた。見たことのない教科書だった。同田貫はそのページをめくって、「サーカスのライオン」というタイトルのページを開いてみせた。「今日からここやんだ」と、同田貫は言った。同田貫が言った通り、先生は「今日から新しいところをやります。…ページを開いてください」と言って、同田貫の開いたページを指していた。先生が御手杵の転校に合わせて調節してくれたのか、偶然だったのかはわからなかったが、それは御手杵にとってありがたいことだった。


大変だったのは「ながやすみ」だった。二時間目と三時間目の間に二十分の休憩が入る。御手杵のいた小学校では「ながやすみ」と呼んでいたが、ここでは「なかやすみ」と言うらしい。先生が「なかやすみは校庭で遊びましょう」と言って、みんな外に出るように促した。御手杵も促されるまま、赤白帽子を持って校庭に出た。学校のすぐ裏手は山になっており、校庭もイチョウの木に囲まれていた。子供たちはこぞってサッカーをしたり、ドッジボールをしたり、鉄棒で遊んだり、ロープウェイに乗っていたり、女の子は一輪車に乗ったりしていた。前の学校の校庭よりずっと狭い校庭だったが、御手杵は居場所が見つけられないせいかその校庭をとんでもなく広い場所のように感じた。

こんな小さな小学校では全員が顔見知りらしく、見慣れない御手杵の顔に昇降口から出てくる子供はこぞって御手杵を見た。御手杵は昇降口の近くの水飲み場に突っ立っていたが、その視線に耐えられなくなって、三年生の教室の窓のあたりまでてくてくと歩いた。花壇の隙間を縫うようにして歩くと、自分はひとりぼっちなんだという気がして辛くなった。御手杵はもともと明るくて友達が多い性格だったが、ここにきてからはそれが全く発揮されない。緊張と寂しさの連続だった。校舎からは陽気な音楽が放送されてくるが、それだって御手杵の心をちょっとだって晴らしてはくれなかった。

「おい、おてぎね」

御手杵が呼びかけられたことに驚いて声の方を見ると、そこには同田貫がいた。同田貫は学校指定の青い短パンに、自前の白い半そでを着ていた。胸のところには名札があり、見やすい字で「どうたぬきまさくに」と書いてある。もちろん御手杵の胸にも同じ名札があった。二人の共通点なんてそんなものだ。御手杵がどうしたのだ、という視線を向けると、同田貫は「きらいじゃねーならサッカーしようぜ。にんずうがひとりたんねーんだ」と言った。御手杵はもとよりサッカーが好きだったので、是非もない誘いだった。御手杵はなんとか顔をあげると、「やる!」と言った。

みんなと一緒にサッカーをしたら、なんだかちょっとだけ気持ちが前向きになった。前向きになったら、なんとなく周りが見えてくるようになった。御手杵は歓迎されていないとばかり思っていたが、クラスのみんなは御手杵を歓迎しているようだったし、仲良くしたいと思っているようだった。みんながみんなそうではなかったけれど、少なくともクラスの大半はそうらしかった。また、御手杵はみんなに東京の面白い話を期待されているらしかった。休み時間のたんびに御手杵は質問攻めにされたし、今度はそれにちゃんと応えることができた。給食の時間には班ごとに机をくっつける決まりになっていて、御手杵も新しく班員に迎えてもらった。御手杵を入れてクラスはちょうど20人だったので、5人の班が四つできあがる。御手杵はその中の一つで、学校で作られたという給食を食べながら、みんなの質問に答えたり、自分から話をしたりした。そうしていれば、周りに溶け込むのはあっという間だった。

昼休みには学校の中を同田貫と、今日の日直だった獅子王に案内してもらった。担任の先生は子供にまかせるつもりなのかついてきていない。まずは一階からじゅんに、校長室や給食室、保健室を案内される。知らない場所を探検しているみたいでわくわくした。一緒についてきた獅子王は同田貫とは正反対によくしゃべる明るい子で、ここが何だの、あそこが何だのと色々と教えてくれた。二階は四年生、五年生、六年生の教室の他に、二つほど教室があった。三階には図書室、音楽室、理科室、図工室があって、中でも御手杵の目を引いたのは理科室だった。理科室の前には木枠にガラスを貼った戸棚があって、そこにはホルマリン漬けにされた魚の標本や、色とりどり、形がさまざまな貝殻、鉱石が展示されていた。鉱石はガラスのない場所にも置かれていて、大きな結晶には手でふれることができた。獅子王が「これ、すいしょうっていって、かけたところはこっそりもってかえっていいことになってんだ。せんせいにきかないといけないけどな」と言ったので、御手杵は欠けたところがないか一生懸命探した。半透明の大きな結晶はとてもうつくしく、御手杵の目にはきらきらと輝いて見えていたのだ。

校舎の案内が終わったら、次は体育館を見せられた。体育館はこじんまりとしていて、カラフルな線が床に引かれていた。バスケットやバレー、ドッジボールをする時にこの線を目安にするのだと言われた。バスケットゴールは手前側に二つだけついていて、奥にはステージがあった。小さな体育館なので曜日によって遊べる学年が決まっているらしかった。基本的には校庭で遊ぶのがきまりらしいが、雨の日には体育館が解放されるらしかった。

次に御手杵が案内されたのは学校の裏手にある鶏小屋だった。中にはちゃんと鶏がいた。ここは当番がちゃんと決まっていて、一年生から六年生まで毎日一人ずつが集められ、世話をしているのだそうだ。基本的には日直の仕事で、鶏が卵を産んでいたら、その日の当番のうちだれかが持って帰っていいことになっているらしい。御手杵は獣臭さに鼻をおさえながらも、卵が産まれるということに驚いた。御手杵の学校では買っていたとしてもメダカかそこらだったものだから。

校舎から鳥小屋までは砂利道だったが、その途中、何人かの子供が砂利道にしゃがみこんで、何かしているのを御手杵は見つけた。御手杵が同田貫に「あれ、なにしてんの?」と尋ねると、同田貫は「石ひろい」と言った。どうやら綺麗な石を探しているらしい。

「きれいなの、あんのかな。さっきのすいしょうみたいにさ」
「すいしょうはみたことないけど、めのうならひろった」
「めのう?」

御手杵が首を傾げると、同田貫は得意気に答えた。

「石のだんめんがしましまになってんだ。あとでみせてやる」
「すごいな。ほうせきか」
「みがけばな」
「ほかにもなんかあんのかな」
「やすみじかんにさがしてみろよ」

御手杵は今度サッカーに誘われなかったら探してみようと思った。


一通り案内が終わると、休み時間も残りわずかだった。三人は今更サッカーの試合に混ざってもなあと思ったので、鉄棒のところで少し話すことにした。御手杵はここらのことをよく知らなかったし、二人も御手杵のことをよく知らなかった。鉄棒のところでは女子が一輪車をしており、三人はその邪魔にならないよう、一番高くて手が届きそうにない鉄棒の下に集まった。

「なあ、おてぎねって、いえ、どこにあんだ」

そう尋ねたのは獅子王だった。この小学校はいろんな地区から子供が集まっている。狭い範囲だったが、子供の足で通うには一苦労な場所もあった。御手杵は地名がわからなかったが、バス停の名前は憶えていたので、「うみぐちってバスていのほう」と言った。すると同田貫が「へえ、じゃあおれのとこの『とうこうはん』だな」と言った。獅子王は「とおいほうだな。おれもあんまりかわんないけど」といった。二人の話によると、海口にも海口と上海口があるらしい。上海口の前の松崎というところに師子王は住んでいるとのことだった。どちらも山を越えなければ学校にこれない場所だ。小学校のある地域は壇ノ浦で、壇ノ浦も壇ノ浦と下壇ノ浦でわかれるらしかった。このあたりから御手杵の頭は爆発しそうになって、とにかくたくさんの地名があるらしいという結論にいきつく。東京にいた頃はだいたい駅名でしか地名を区切っていなかったので、余計にそう思った。この狭い世界の中にはいろんな地域があって、いろんな場所があるんだと御手杵は気が付いてきた。

「今日くるとき、車だったのか?」

同田貫がぶっきらぼうにそう尋ねた。

「うん」
「かえりは?」
「あるけっていわれた」
「じゃあいっしょにかえろう。みち、一本だけどさいしょだからな」
「かえりは『とうこうはん』じゃないの?」
「かえりはちがう」

御手杵が前通っていた小学校では行きも帰りも登校班だったので、それは意外なことだった。誘拐や事故に巻き込まれやしないかと思った。

「ふーん…こわいこと、ない?」
「ちいきのひとがいる。こわいのはクマとかシカくらいだ」
「クマとかシカがいるんだ」
「そりゃあ、山だからな」

御手杵は山というものに不慣れだった。通ってきた道は山道とはいえ舗装されており、起伏も急なのは最初ばかりで、あとはゆるやかな下りだった。あの道路を狭めようと生い茂っている木々の隙間から、クマやシカが飛び出してくるかと思うと、ちょっと怖かった。


その日の授業は五時間目までだった。放課後の校庭ではスポーツ少年団に入っている中学年から高学年が野球をはじめていたし、残って遊ぶ子どももいた。下校は一人でなければ誰と帰ってもいいとのことだったが、御手杵が見たり聞いたりしたかぎりだと、なるべく近くの地域の人たちでかたまって帰っているようだった。御手杵は同田貫の他に、獅子王と、同じ学年の陸奥守、大倶利伽羅、和泉守と一緒に帰ることになった。陸奥守は他の地域から御手杵と同じように引っ越してきた子らしかったが、訛りがとても強くて、御手杵はたまに何を言っているのかわからないことがあった。大倶利伽羅は寡黙で、あまり言葉を発しなかった。和泉守は声がよく通る子で、男の子にしてはめずらしく髪を長くのばしていた。聞いたところ、大倶利伽羅が山を越えてすぐの上松崎、獅子王と陸奥守と和泉守が松崎、同田貫が御手杵と同じ海口に住んでいるとのことだった。六人は固まって歩いて、先頭は和泉守と獅子王だった。真ん中を大倶利伽羅と陸奥守が歩き、後ろを同田貫と御手杵が並んで歩いた。学校は急な坂道の上にあったので、帰りは急な坂道を転ばないように歩かないといけない。御手杵がどうしてこんな坂道の上に学校があるのかと尋ねたら、同田貫が「うみにちかいとつなみがくるんだ」と言った。御手杵は津波のことはあまりよく知らなかったけれど、このあたりの子はよく知っている風だった。御手杵が「つなみ、きたことあるの」と尋ねると、同田貫は「小さいのが何回か」と応えた。避難訓練もやるらしい。御手杵は津波の避難訓練を受けたことがなかったので、それはどういうものだろうと思ったし、津波というものはとても怖いものなんだろうとも思った。

学校の坂道を下る途中に、古びた大きな建物があった。御手杵は「ここは、がっこう?」と同田貫に尋ねる。同田貫は「ここは『こうみんかん』」と答えた。同田貫や獅子王によると、ここでは様々な行事が行われるらしい。もっともそれは壇ノ浦地域の大人たちの寄り合いとのことだった。他にも地元の人が書道教室を開いていたりする。同田貫はその書道教室に通っているとのことだった。

坂道を下り終わると、開けた道に出た。唯一の横断歩道がある場所だ。御手杵の通学路にはここ以外横断歩道はなかったし、横断歩道といっても信号がない。しかも横断歩道を渡ってしまうと歩道がないので、御手杵たちは横断歩道を渡らずに、その手前で左折した。左折したところには小さな商店があった。学校の校則で帰り道に買い物をしてはいけない決まりになっていたが、御手杵は興味を惹かれて、ちょっとその商店を覗き込んだ。

「かいものはダメなんだぞ」

御手杵はそう言われて、「わかってるよ!」と言い返した。言ってきたのは和泉守だった。同田貫は「見たかっただけだろ」と御手杵の肩を持った。

「ここはおかしとかかうとこだ。ほら、むこうにももういっけん、おみせがある」

獅子王に指刺されて見てみたら、たしかに看板が立っていた。御手杵が「おみせなんこあるの」と聞いたら、同田貫が「ここらにはこのふたつだな。あと『まつざき』にいっこ、『うみぐち』にふたつ」
「え、それしかないの?」

御手杵がそう驚いて言うと、和泉守が「なんだよ。とうきょうからきたからって、ここらのことばかにしてる」と鼻を鳴らした。御手杵はそういうつもりではなかったので「べつにそんなんじゃない」と言った。どうにも和泉守は御手杵に対して強く当たる。御手杵はまだ自分がこのグループの仲間にいれてもらえてないのだな、と思った。御手杵が前にいた小学校にはグループが何個かあって、その中で子供たちは生活しているのだ。だからここの小学校にもそういうグループがあるのだろうと思っていた。御手杵はまだどこにも属していない。できれば同田貫のいるグループにいたいと思っていたが、どうやら同田貫のグループに入るには和泉守とうまくやっていかねばならないようだった。御手杵は別段和泉守に敵意はなかったが、和泉守が敵意を向けてくるんだからしょうがない。

「まぁまぁ、おたがいはじめましてなんやき、なかようせえや」

そう言ったのは陸奥守だった。御手杵はちょっとむっとしたが、陸奥守の言うことが正しいと思ったので、ぐっと押し黙った。和泉守も同じようだった。

商店を二つ過ぎると、脇道に坂道があった。隣を歩く同田貫が「ここのぼってくとほいくえんがある。おれといずみのかみとおおくりからとししおうはほいくえんからいっしょだ」と言った。御手杵は反射的に「むつのかみは?」と尋ねた。すると陸奥守は「わしはしょうがく一年生のときにひっこしてきたき、ちがうんじゃ」と言った。御手杵は「じゃあ、おれといっしょだ」と言う。陸奥守は「そうじゃな」と言ったが、和泉守は「にねんもちがう」とぶつくさ言っていた。

そのまましばらくまっすぐ歩くと、六人は道端の小さな小屋のところまでたどり着いた。古ぼけた小屋で、何かを取り壊した跡なのか、あたりには小さな破片がちらばっていた。

「ここはタイルがとれる」

そう言ったのは獅子王だった。「タイル?」と御手杵は首をかしげる。タイルというと、家の風呂場とかそういうところにはめ込まれている石のことだろうか、と連想した。御手杵の予感は当たったらしく、同田貫が道から逸れてその小屋のまわりを調べると、手には四角くてつるつるしたタイルがあった。同田貫が拾ったのは茶色いタイルだったが、珍しいのでは青もあるらしい。ためしに御手杵はちょっと探してみようと思ったが、そこの地面は土だった。土というのはアスファルトに慣れた御手杵からしたらなんだか汚いもののように思われてならない。タイルはそこかしこにあったが、全部土の上に落ちていた。御手杵が拾うか拾わないか考えているところに、また和泉守が「なんだよ、なにびびってんだよ」と茶々を入れてくる。御手杵は「このやろう」と思ったが、びびっているのは本当だったので何も言い返せない。言い返さない代わりに、意を決して土のところへと手を伸ばした。そうして拾い上げたのは四角い真っ青なタイルで、レアだとわかった。御手杵はそれの泥を手で払うと、「ほら、これ、レアなんだろ」と和泉守に見せた。和泉守は「そんなのおれはなんこももってる」と言ったが、少しだけ羨ましそうだった。

六人はひとしきりタイルを集めたら、またもとの道に戻って歩きだした。同田貫に聞いたところ、このあたりはまだ「壇ノ浦」らしかった。山を越えてようやく「上松崎」に入るんだとか。御手杵は気の遠くなる心地がした。しかしいろんな発見や寄り道をしながら帰る道はそれなりに楽しくもあった。急な坂道を上る途中、御手杵は脇の方に草木がうっそうと生い茂った広場があることに気が付いた。奥の方には古い建物も立っていて、御手杵は「なあ、ここってなんだ」と同田貫に尋ねる。

「ここは『しんりょうじょ』だ。今はやってねぇけど、ずっとむかしにやってたらしい」
「はいったらおこられる?」
「にわならべつに。でも池があるからきをつけろよ。たてものにはカギがかかってて、はいれねんだ」
「へぇ」

御手杵はさっきタイルを拾えたことも助けてか、ちょっと強気になっていた。けれど跡地にちょっと踏み込んだとたんに半ズボンの隙間を生い茂った草が撫でる。御手杵は「わっ」と小さく悲鳴をあげた。はじめての感覚だった。草ってこんなにぼうぼうと生えるものだったのか、という感動すら覚える。先を歩いていた四人も、今度はここに寄るのか、と足を止めていた。御手杵が先に進めずにいると、同田貫が「とかいにはざっそうは生えてねぇのか」と尋ねてきた。御手杵は「あんまり…」と答える。またぐずぐずしていたら和泉守が何か言ってきそうだったので、御手杵はまた覚悟を決めて、奥の方へと進んでみた。

池の周りには錆びた鉄の囲いがあって、落ちないようになっているらしかった。しかしその囲いももうボロボロで、獅子王曰く、「よっかかるとおちる」らしい。御手杵は怖くなって手すりに触れられもしなかった。

「ここはセミのぬけがらがとれるんだ」
「セミのぬけがら…」
「うんがよければな。レアアイテムだからみつけたらだいじにすんだ」
「ふうん…」

御手杵はさらに奥の方に足を踏み入れた。奥の方に行けば行くほど草がぼうぼうになって、虫も足元を駆けずり回った。しかし御手杵は古びた診療所の跡にどうしようもなくわくわくしていた。頭の上に木が覆いかぶさってきて、ちょっと暗くなったが知ったことか。御手杵は診療所の扉の前までくると、ドアの薄いガラスの部分から中を覗き込んだ。中は和風の作りで、板張りの廊下と、障子が見えた。どきどきしているのが自分でもわかった。こういうところに忍び込んでみたいなあと思ったが、扉は固く閉ざされている。どこかへ回り込もうにも、草の背丈が高すぎて無理だった。御手杵はもう少しその診療所跡を探索したかったが、広場の入り口の方で陸奥守が「おうい、ここであんましたまりよると、やかましいじじいがくる。かえろう」と言った。どうやら近所の人がうるさいらしい。御手杵は残念な気持ちを抱えながら、また草の間を抜けて、道にもどった。

そのまま坂道を登り切って、まっすぐ進むと、森の入りぐちが見えてきた。御手杵はクマやシカが出る、と言われたことを思い出し、ちょっと怖くなった。ちょっと怖くなったところで足元を見たら、黒い羽根が落ちていた。なんだろう、とそれを拾おうとしたら、同田貫が「あっ!だめだ!」と叫んだので御手杵はびくりとして動きを止めた。

「そりゃカラスのハネだ。カラスのハネにさわると不幸になるんだ」
「えっ」

御手杵はびっくりして手をひっこめた。和泉守は「じょうしきだろ」と言う。御手杵の知らない常識だった。ここでは触ってはいけないものがいくつもあるらしかった。歩きながら聞いたところによると、「うらしま草」というものには絶対に触ってはいけないらしい。今から入る山の中に生えている、花にも似た植物なのだそうだが、触ると次の日にはその周りでヘビが死ぬ、だとか、ヘビが枕元にやってくる、だとか、そういう怖い噂があるらしかった。御手杵は怖いことだと思ってびくびくしながら聞いていたが、同田貫はなんてことはない顔をしている。曰く、「さわらなきゃだいじょうぶ」だそうだ。見るぶんには不吉なだけで、害はないらしい。

そうこうしているうちに山にさしかかった。通学路の三分の一がこの山に覆われている。山に入ると木陰が落ちてきて、半そでだとちょっと寒かった。山肌はコンクリートで覆われていたが、ちょっと見上げればすぐに緑がいっぱいに広がっていたし、歩道のガードレールの向こうは崖になっていた。こんなあぶない道をよくもまあ小学生だけで歩かせる、と御手杵は思った。思ったが、口には出さなかった。口に出したらきっと和泉守に馬鹿にされるとわかっていたからだ。御手杵はだんだんと和泉守の行動が読めるようになってきていて、それに得意になっていた。

山の中はいくつもカーブがあって、カーブを曲がるたびに、御手杵の目の前には新しい世界が広がった。こんなにたくさん緑を見るのははじめてだったし、その中を歩くのもはじめてだった。はじめは薄気味悪いと思ったが、「あきにはどんぐりやまつぼっくりがひろえる」という話を聞いて、早く秋にならないかと思った。場所によってはキイチゴやアケビ、クワの実もとれるらしい。御手杵ははじめそれがなんのことかわからなかったので同田貫に聞いた。同田貫は「くえるもんのことだ」と言った。自然に生えているものをとって食べるなんて、御手杵にはとてもステキなことのように思えた。

「あ、ヘビイチゴ」

そう言ったのは獅子王だった。指刺された場所を見ると、とても小さなイチゴがなっていた。ちゃんと赤い。御手杵は「たべれるのか?」と尋ねた。すると和泉守が得意そうに「いっかいめはな」と言った。御手杵が「なんでいっかいめだけなんだ?」と聞くと、和泉守は「にかいめからは不味いんだ」と言った。曰く、ヘビの呪いだそうだ。これはヘビが食べるものだからニンゲンが食い荒らさないように、ヘビが呪いをかけているらしい。一回目だけ食べられるのはヘビがそのイチゴのうまさをニンゲンに自慢するためだということだった。御手杵はウソだ、と思ったが、二回も野山に生えている気持ち悪いイチゴを食べる気にはなれなくて、「ふうん」とだけ言った。

またカーブを曲がると、今度は陸奥守が、「これはやくそうじゃ」といって、ぎざぎざした薄っぺらい葉っぱを道端からちぎった。紫蘇にも似ている。陸奥守はそれをちぎって、御手杵の鼻のところへもってきた。匂いをかげ、ということらしかったので御手杵はすん、と鼻を鳴らした。するとレモンのような、オレンジのような、さわやかな香りがした。陸奥守は「どうじゃ、ええにおいやろ」と言って、自分でもその草の匂いをかいでいる。御手杵はたしかにいい匂いだと思った。甘くて酸っぱいものをぎゅっと閉じ込めた、いい匂いだった。

そのあとも道端に落ちていたいい感じの木の棒を拾って杖がわりにしたり、草をさわってみたり、不気味な鳥の鳴き声にびっくりしてみたりした。とにかくどきどきがとまらなかった。御手杵の知らない常識もいっぱいあった。最後のカーブを曲がり終える頃には、御手杵は自分がとてもかしこくなった気がしていた。

「あ、うみがみえる」

山の隙間から、海が差し込んでいた。ほんのりと丸みを帯びたそれ。御手杵は山の中なのに海が見えるなんて不思議だ、と思った。御手杵のこれまで生きてきた世界では山と海はべつべつの場所にあって、きっちりと区切られていた。しかしこの世界では違うらしい。山も海もおんなじところにあって、人々はその中で生活している。不思議な心地だった。

山を抜けて、ちょっと坂道を下ったら、大倶利伽羅が「おれはここだから」と言って、脇道に逸れた。どうやら家がそっちの方向にあるらしい。御手杵はあんまり話せなかったな、と思いながら、「じゃあ、またな」と言って、それを見送った。大倶利伽羅はなんにも言わず、手だけ振った。

またしばらく坂道を下り、平坦な道を少し行くと、「精米」と書かれた商店の看板が目についた。そのお店の近くになって、陸奥守と獅子王が「じゃあおれらはここで」と言った。陸奥守はお店のすぐ隣の家に、獅子王は道の向こうの狭い坂を下っていく。御手杵はもう慣れたことのように、「またあしたな!」と言った。二人と別れて同田貫と和泉守、御手杵の三人になってからも、ちらちらと話をした。御手杵が海に行きたいと言えば、和泉守は「うみにはこどもだけでいっしゃいけない」だとか言った。御手杵はそれにむっとしたが、和泉守はそういうやつなんだと思うことにした。そうこうしているうちに、和泉守も「じゃあおれここだから」といって、自分の家へと吸い込まれていった。御手杵は自然に、「じゃあまたな」と言った。そうしたら和泉守も「またな」と言ったので、悪い奴ではないのかもしれない。

和泉守がいなくなってすぐの道の脇に、上り坂があった。この坂道を挟んで、今まできた道のあたりが松崎で、向こう側、これから行く道のあたりが海口だと同田貫は言った。坂を少し登ったところには本当に小さな公園がある。ブランコと滑り台しかないような公園だ。御手杵は同田貫に「なあ、ここのぼってったらどうなるんだ」と聞いた。同田貫は「ふるさとセンターにつく」と言った。このあたりの公民館みたいなものらしかった。そこでは子供会の行事が行われたり、大人同士の寄り合いが行われたりするらしい。

「あと、そのさきもずっとずっとのぼってったら、おはかにつく」
「おはか?」
「おはか」
「ゆうれいとかでるかな」
「でたってはなしはきいたことない」
「そっか」
「だいたいみんな『ぼん』にしかいかない」
「ふうん」

二人になると、御手杵は不思議と安心した。同田貫になら何を聞いてもいいと思ったし、実際何を聞いても同田貫は教えてくれた。御手杵は多分同田貫には弟がいるんだろうな、と思った。御手杵は一人っ子だったが、きっと同田貫には兄弟がいるに違いない。

御手杵と同田貫がまたしばらく歩くと、開けて海が見える道路に出た。一昨日バスで通ったときにも見たが、すごい眺めだ。海の手前は砂利の浜になっていて、奥は岸壁になっていた。御手杵が「ここでおよぐの?」と聞くと、同田貫は「ちがう」と言って、浜に向かって右側の方を指した。指さされた方を見ると、浜の向こうっかわに砂利でできた通路があって、その向こうに目をこらすと、岩肌に抱かれるようになっている浜が見えた。同田貫はそこをさして「ほよじ」と言った。

「『ほよじ』でしかおよげない」
「ほかはおよいじゃだめ?」
「しょうがくせいは」
「ふうん」

御手杵はまだ一度も海で泳いだことがなかったので、今年の夏は泳げるのだろうか、と期待に胸を膨らませた。

その海が見える道のすぐ近くの坂のところに、同田貫の家はあった。同田貫は「ちょっとまってろ」と言って、家の中に入ってから、玄関で二言ほど親と話し、戻ってきた。

「さいしょだから、おくってく」
「え、いいよ。もう、みち、わかるし」
「きにすんな」

御手杵の家は坂を上ったらもう見える場所にあった。しかし同田貫は「もうおやにおくってくって、言ったから」と言ってきかない。最後には御手杵が折れて、御手杵の家まで送っていってもらうことになった。同田貫によると、御手杵の家は海口の一番端っこの家なのだそうだ。その先の森に入ると、だいたい「足立」、という地域に入るらしい。その地域から小学校に通っている子もいるにはいるが、人数が少なすぎるから親に車で送ってもらうかバスで小学校に通うかしているらしい。つまるところ、歩く人の中では御手杵の家が一番小学校から遠い、とのことだった。

「たいへんだもんなあ」

御手杵は棒に近くなった足をさすって、そう言った。そうこうしているうちに、御手杵の家がどんどん近くなる。こないだ降りたバス停を過ぎれば、歩いて五分もかからなかった。御手杵は「ここ、おれのいえ」と言った。御手杵が庭先でそう言うと、同田貫は「じゃあ、またあしたな」と言った。御手杵も手を振りながら「またあした」と言った。

御手杵と同田貫の家は案外近くにあった。遊ぼうと思えばいつでも遊べるな、と思った。それはとてもうれしいことのように思えた。御手杵は遠くなる同田貫の背中に「ありがとうな!」と叫んでやった。同田貫はちょっと振り返ったが、なんにも言わずに、そのままその背中を小さくしていった。そのころ、ちょうどチャイムがなった。御手杵ははじめなんだなんだと思ったが、時報らしい。東京ではそんなの聞いたことがなかったので、驚いた。そのメロディーはゆったりと遠くにあるスピーカーから聞こえてくる。明日、これはなんの曲なのか、同田貫に聞こうと思った。



翌日から御手杵は朝、登校班で登校するようになった。登校班は各地域ごとに集められており、集合場所もちゃんと決まっていた。御手杵は同田貫と同じ登校班で、それがちょっと嬉しかった。朝も同田貫と話しながら学校へ行ったし、帰りも同田貫と一緒だった。帰りについてはもちろん、大倶利伽羅、陸奥守、獅子王、和泉守と一緒だった。大倶利伽羅も和泉守も相変わらずだったが、だんだんと打ち解けてくるにつれて大倶利伽羅はそれなりに喋るようになったし、和泉守の「ちゃち」は減っていった。みんなで他の子もまじえてサッカーをするようになれば、あとはもう簡単だった。御手杵はこのグループに入れたのだと、そう思った。

しかしそれは甘かったらしい。御手杵がそのことにちょっと疑問を抱き始めたのは、休みの日を何度か過ごすうちに、だった。同田貫を何度か休みの日に遊びに誘ったのだけれど、なんとも煮え切らない雰囲気で断られるのだ。同田貫は毎週土曜日の十三時から書道教室に通っていて、それを理由に断られることが多かったが、午前中の時間に誘っても断られるのだった。日曜日に誘っても、宿題があるし勉強をしたいから、という理由で断られる。獅子王にしたって、陸奥守にしたって、和泉守にしたって、大倶利伽羅にしたってそうだった。みんないろんな理由で休みの日に遊ぶことを断ってくるのだ。御手杵は最初は本当にみんな都合というやつが悪いんだな、と思っていたがしかし、だんだんと自分は仲間はずれにされているんじゃないか、という気持ちになった。

夏休みも近くなったある日の土曜日、御手杵は思い切って休みの日に同田貫を尾行することにした。尾行、といってもこんな片田舎、隠れる電柱もそうそうないし、ビルもない。あるのは大きな木や草陰だった。それでも遠目からどこへ出かけるのかくらいはつきとめることができる。ともだちを裏切るようで気が引けたが、このままもやもやしているよりはずっといい。それよりも、夏休みに誰とも遊んでもらえないことの方がずっと恐ろしかった。御手杵はすっかり探偵気分で、朝の九時に家を出て、同田貫の家の裏手の方に隠れた。どうして九時だったかというと、友達と遊んでいいと決められた時間が九時からだったからだ。それまではどの家族も朝ごはんがあったり、身支度の時間があったりするからはしたないのだそうだ。同田貫は真面目だからそれをしっかり守っているだろうと踏んで、御手杵は隠れていた。そうして御手杵が隠れはじめてから二十分ほどたって、御手杵が飽き飽きした頃に、同田貫の家の玄関が開いた。家の横手からちらっとだけ見ると、庭先から出てきたのはやっぱり同田貫だった。御手杵は近づくと見つかるから、と思い。同田貫がどの方向へ向かうかだけ確認した。同田貫は海へ下る道の方へ行き、そこから「農道」に入った。農道というのは回りが畑になっている、舗装されていない草の生えた道のことだ。その道はぐるっとめぐって、御手杵の家の裏まで続いている。御手杵は同田貫がその道に入ってしばらくして角を曲がったのを確認してから、なるたけ足音を立てずに農道に入った。草が半ズボンの裾から出たくるぶしを撫でるが、そんなのにはもう慣れっこになっていた。

しかし、同田貫が曲がった角を御手杵も曲がってみると、どうしたことだろう。そのまんままっすぐ続いている道に同田貫の姿はなかった。御手杵は農道を自分の家の裏まで200メートルほど歩いてみたが、同田貫の姿はどこにもない。御手杵は首をかしげながらもときた農道を同田貫の家のところまで戻ってみた。戻ってみたが、同田貫の姿はない。御手杵は自分の見間違いだろうか、と思い、海の近くまで下ってみたり、大きな道に沿って歩いて松崎と海口の境目、和泉守の家の近くまで行ってみたりもした。もしかしたら公園で遊んでいるかも、ふるさとセンターとやらにいるのかも、と思い坂を上ってみたりもしたが、やはり同田貫の姿は見当たらないし、ふるさとセンターらしき建物の扉はしまっていた。同田貫はどこへ行ったのだろう、と、主に海口をくまなく捜索したが、同田貫の姿はどこにもなかった。そうしているうちに十二時の時報が鳴り、御手杵の腹の虫も鳴った。仕方なく家路につこうとした御手杵は、農道を通って家に帰ろうとした。

「あっ」

御手杵は農道の横の草木が茂っている隙間、獣道から見知った五人が姿を現すのを見てしまった。御手杵が声を上げたことによって五人も御手杵の存在に気が付いた。五人はしまった、という顔になってそそくさともときた道を引き返すが、御手杵が追いかける方が早い。草の背丈の長い獣道をちょっと行くと、ちょうどいい広さに開けた野原に辿り着いた。そこには枯れた草で作られたドームのようなものと、真ん中に生えている大きな木の枝にハンモックがつるされていた。五人はドームの影に隠れていたが、いかんせん人数が多い。御手杵はたまらず、「ひみつきちだ!」と叫んだ。すると五人は「馬鹿!大人に聞こえるだろ!?」と御手杵の口を押さえつけに出てくるのだからもう隠せない。

こうして五人の秘密基地は御手杵の知るところとなり、御手杵はその日から足繁くその場所に通うこととなった。


「だから!来るなって言ってんだろ!?」

そう言ったのは和泉守だった。彼は御手杵がこの秘密基地に来ることに反対していて、御手杵が休みになるとこの場所へ来ることを嫌っていた。理由はやっぱりまだ信用できないからである。反対派はもう一人いて、それは大倶利伽羅だった。大倶利伽羅的には苦労して作り上げた過程に御手杵が携わっていない、というのが大きな理由らしかった。それもそうだ。言い方は悪いがあとからできあがった秘密基地に入り込んで、甘い蜜だけ啜ろうというのだから。

反対派がいるからにはもちろん賛成派もいる。陸奥守と獅子王だ。二人は御手杵が仲間に入ることには賛成だった。理由はもちろん、ともだちだから、というのと、もうバレてしまったのだったら仲間に入れて口を塞いだ方がいい、というものだった。

では同田貫はどうなのかというと、彼は中立だった。御手杵を仲間にいれるのだったらいれればいいし、入れないのだったら入れなくてもいい、というスタンスだった。御手杵はこれには落胆した。和泉守と大倶利伽羅が反対することははじめからわかっていたが、同田貫はいつも自分の味方でいてくれるものだと信じていたのだ。その信用がどこからくるものなのかは御手杵にもわからなかったが、登校班も一緒、クラスの班も一緒、席も隣で毎日一緒にサッカーをして、毎日一緒に帰っているのだ、仕方がないことかもしれない。

「なんでおれだけなかまはずれにするんだよ!おれがよそからきた子だからか!?」
「そうじゃねーよ!おまえがまだしんようならないからだ!」
「…つくるのにもかかわってない」
「じゃあおれだけなかまはずれにしてみんなであそぶんだ!いじめだ!」
「そうじゃそうじゃ、ともだちやき、かまわんかまわん」
「なかまはずれはいけねーよなあ」
「…」

御手杵が仲間に入れるかどうかはもしかしたら同田貫にかかっているのかもしれなかった。話によるとこの場所を見つけたのは同田貫で、はじめに藁ドームを作ろうと提案したのも同田貫で、家の近さから一番作業をしたのは同田貫らしかった。しかしその同田貫は御手杵がなんと言おうとてこでも中立の立場を崩そうとしない。和泉守や大倶利伽羅が何かしら言おうともうんともすんとも言わない。それは不思議なくらいそうだった。

しかしそんな同田貫が、御手杵が「このこと大人にばらすからな!!」と口走った時には口を開いた。口をひらいて、「やめにしようぜ」と言ったのだ。

「こんなことでおれらがあらそうくらいならやめにしたほうがいい。ひみつきちはこわす。おてぎねはなかまに入れる。それであたらしいきちをみつけよう。もっかいさいしょからやるんだ」

その言葉を聞いたときの御手杵の後悔ったらなかった。この秘密基地にどれだけ時間がかけられたのかは一目瞭然だった。場所を見つけるのだってきっとかなり探したんだろうし、枯れ草でできたドームだって一朝一夕で子供が作れるようなものじゃない。ハンモックにしたってそうだ。どこからもってきたのか、作ったのかしらないが、設営するのだって子供の手では一苦労だろうし、毎日ここにこれるわけじゃない。休みの日の貴重な時間を使ってここまで作り上げたのだ。御手杵はすぐに「ごめん!ぜったいいわないしおれもうここにはこないから!!」と泣きそうになりながら言った。しかし同田貫は「それじゃおまえがなかまはずれだ」と言って、枯れ草のドームを崩しにかかる。同田貫の意見に賛成したのか、あきらめたのかはわからないが、ほかの四人もそれを止めはしなかった。止めないどころか、和泉守は「やっぱこういうのはつくってるときがいちばんたのしいんだよなあ」なんて言いながら、崩すのを手伝っている。他の三人もだんだんとその手伝いをはじめた。枯れ草のドームはちゃんと編み込まれていて丈夫なのがすぐにわかった。崩すのにも引っ張ったり、ほぐしたりしなくてはいけないので大変なのだ。御手杵はたまらず泣き出してしまった。

「なんで、どうして、みんながんばってつくったんだろぉ…」

ついには草の塊となったそれを見つめて、御手杵は涙をこぼす。同田貫は「もうこわしちまったもんはしかたねえ」と言った。和泉守でさえ納得しているのかいつもの茶々はいれずに、「こういうのはつくってるときがいっとうたのしいんだ。できあがっちまったもんはつまらねぇさな」と言う。しかし御手杵は自分のせいでこうなったのだ、自分がいなければ、と自分を責めた。むずかしいことはまだよくわからないけれど、胸のところがしくしくと痛んだ。同田貫はそんな御手杵を見かねて、その肩に手を乗せた。

「なくくらいなら、あたらしいひみつきちのばしょ、さがしてくれよ。こんどはみんなでいっしょにつくろう。あたらしいひみつきち。おれらもうともだちだろ」

それだけ言うと、同田貫は照れたのか、鼻のしたをこすって、明後日の方を見てしまった。どうやらこの件で一番やきもきしていたのは同田貫だったらしい。新しい友達を受け入れるにも、今のまんまでは不公平だし、かといってなにかかわりのことをさせたらパシリになってほんとの友達ではなくなってしまう。同田貫なりに考えた結果らしかった。御手杵もそれがわかったのか、ずびずびと鼻水をすすると、へへへと笑ってみせた。やっぱり同田貫はちゃんと御手杵を受け入れていたし、信用もしていたし、思いやっていたのだということがわかったのだ。

「おれぜったいここよりいいひみつきちみつける!」

御手杵はそう言って、へらりと笑ってみせた。他の五人もふくふくと笑っていた。御手杵ははじめこの世界に来たとき、寂しい場所だと思っていた。とんでもなく自分は不幸なのだと思っていた。けれどそれはぜんぜん、違ったのだ。御手杵はここにきてよかったと思った。小さな世界が、大きな世界になったのだ。


国境の長いトンネルを抜けるとそこは田舎だった。大きな世界をいくつもかかえる、小さな小さな田舎だった。


END



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