水槽の世界/銀土






朝、食後にふかした煙草の幸福感は登校時に道端に染み出してしまったらしい。俺は空気を吸うようにして空気中の海水を飲んでいるんだと思う。昼、マヨネーズを食べている時の幸福感が、俺を満たして、そしていつの間にか教室に染み出している。日常はいつだって水槽の中に沈んでいた。水槽の中身は真水でなく海水だ。幸福は水、不幸は無機塩類として浮かんでいる。浸透圧の問題で、幸せはいつの間にか身体の外へ出ていってしまう。無論、理科は生物を選択している。授業中にはそんなことばかり、考えていた。

何故人間は何もしていないだけで不幸になれるのか。何故暇というものは不快感を呼び起こすのか。それは何もしないということは海水に住む魚に置き換えると水を飲まないことと同義であるからだ。どんどん体内の浸透圧が高まり体内が濃くなってゆく。尿で無機塩類を排出しようとしても、体内と同一程度の浸透圧のソレしか排出できない。水分を取らねば遂にソレも出なくなって、死ぬ。けれど大概は死ぬまで水をガバガバ飲むのだ。望んで苦しむ馬鹿はいない。人間も魚と同様に毎日幸と不幸の混じり合った日常をガバガバ死ぬまで飲み続ける。そうして、体内に幸福が満ちて、海水に奪われる。不幸は涙腺という名のえらで選別され、身体に浸透する前に涙になるのだ。いつの間にか溜まる不幸も、涙になって間抜けに頬を濡らす。人間は江戸時代の武士が自然と貧乏になるのと同じように、自然と不幸になる。そういう仕組みになっている。不幸にならぬ為には、呼吸を止める外ない。けれど、お粗末な救済措置が取られているために、幸福にすら成り得るのだ。しかし何かをしようと、するまいと、不幸になることは避けられない。そんな結果に辿り着いたあたり、俺は人生に
絶望していたんだと思う。

丁度俺がアンニュイになって人生を悲観していた時期、本屋に通うようになった。受験対策なんかじゃなく、幸せになるための本を探して。色とりどりにガチャガチャした雰囲気の本屋は、インクの匂いが蔓延していた。赤もピンクも緑も青も、いっしょくたに同じ本棚に押し込められていた。俺は毎日代わり映えしないコーナーで同じようなタイトルの本を読んだ。馬鹿らしいったらない。しかしそのお陰でタイトルに『幸せになる』とついた本は大抵物事をポジティブに考えることが大切だとか、自分を変えることが大切だと謳っていることを知った。一番難しいことを簡単なようにつらつらと並べるものだから、はじめは試してみたりもした。結果、何も変わらなかったけれど。だが下校時本屋に寄る癖は抜けなくて、俺はしばしば感動するような小説を買っては、家で一人不幸を排出した。泣いた分だけ身体から不幸が抜けていくようで、随分快い。呼吸する毎、不幸が入り込んでくる身体はしかし、だんだんと幸福が支配するようになっていった。けれど俺はきっと他と自分を比べるという行動でもって、自分を高めていただけに過ぎなかったのかもしれない。無機塩類は、見えな
いだけで、水槽の水には必ず含まれているのだから。


ある日俺は、本屋で一冊の本を買った。別段感動するような話ではなかったけれど、不思議な表紙とタイトルに惹かれてページを捲っていたら、女の子がごくごくとミネラルウォーターを飲み干す場面があったから、気になって買ったのだ。そのときの俺は、やはり生物の授業を思い出していた。海に住む魚は、沢山水を飲むのだ。海水の水槽に暮らす自分にも、それが当てはまるように思えてならない。女の子も同じように、海水の中で暮らしていたのかもしれない。

本の中の女の子はいつだってミネラルウォーターをごくごく飲んでいた。俺は彼女が幸福を求めていたように思えてならない。失礼かもしれないが彼女は不幸だった。ついぞ不幸のままだった。俺はいつからか下校時に本屋ではなくコンビニに寄るようになっていた。毎日2リットルのミネラルウォーターを購入する。家に帰って短時間でそれを飲み干した後の俺の腹はたぽんと悲鳴を上げた。成る程福音とはこの音を言うのか。俺はその時だけはわけもなく幸福でいられたのだ。しかしそれはトイレに入って排尿するまでのほんの数十分間にとどまる。薄い尿を排出すると、その中に幸福ばかりが混じっているようで、途端に悲しくなった。白い便器を見詰めて立ち尽くす俺はいかにも間抜けである。自然、俺は排尿を我慢するようになった。ギリギリまで我慢する。それこそ腰が痛くなるまで。自分が女でなくてよかったと思える瞬間だった。けれどある日、俺はプツンという音を聞く。スウェットに床に染みが広がってゆくのと、腹部の膨圧的なものが消えたのとで、幸福が染み出しているのだと気付いた。唇はわけのわからぬ言葉を紡いでいたし、さぁと自分が青ざめるのも知れた。
呆然とその゛染み゛を見ていると、幸せのなんたるかをまざまざと突きつけられているようで、不快感が込み上げてきた。濡れた床には幸福が転がっていたか?答えはどうだ。ただ、汚らしい薄い尿が滑稽な具合に水たまりを作っている。幸せはいつか染み出してしまうものだった。浸透圧が、俺の腹を殴ったに違いない。けれど、そうじゃないと、思うようになっていたのも事実である。兎にも角にも、俺はその日からミネラルウォーターを買わなくなった。小説中の女の子はどんなに水を飲んでも悲しい結末を迎えてしまった。そのことも俺の中に籠もる熱を急速に拡散させていった。煙草だけが幸福の形をしている。けれど依然として、俺は幸福になりたがった。

ある日放課後の教室で俺はもはや愛読書となった例の本を読んでいた。ミネラルウォーターは買わないが、その本は好きだった。何回読んでも何か掴み損ねているような気がしてならない。多分、絶対に心底理解していると感じられる日は来ないだろう。いつか大人になっていく過程でこの本の存在も忘れて、海水の水槽という概念も鼻で笑うに違いない。西日の差す教室は、どうもガランとしていて、いらぬ感傷を呼び起こした。俺もいつかこの教室を出て、大人になる。そう思ったのは丁度、本を読み終えるあたりだった。

「何してんの?」

本を閉じた時、戸口から担任の声がした。俺は驚いてその方向を見る。彼は煙草をくわえていて、サンダルをペタペタ鳴らしながらズカズカと現実の教室に入ってくる。未だ切り替わった世界に馴染めない俺はぼんやりしていて、だから彼が俺の本を手に取った時何も言わなかった。言えなかった。銀時はパラパラとそれを読んでみた後で、「ああこの本知ってるわ」と言うのだから驚いた。

「こないだ授業中に女子が読んでるの没収してさぁ。ラノベだったけど。読んだら案外面白くて。ふーんお前もこんなん読むんだな」

俺はその時なんと言っていいかわからなかった。憎たらしい担任と同じ世界を共有できたような気がして仕方がなかった。高揚感に胸が高鳴る。

「どう思いました?」
「あー、よく解んなかった、けど、ミネラルウォーターが飲みたくなったかな」

その時俺は、酷く、幸せな気分になれた。多分それは彼のくわえていた煙草が幸せの形をしていたからに他ならない。水槽の水はしかし海水である。銀時が「早く帰れよ」と言って世界から離脱した時、ああ彼は大人だったと思い知る。俺のように無力でなく経済力という不思議な武器を持った大人だった。果たして彼はミネラルウォーターを飲んでみたのだろうか。彼を包む海水はどれくらいの浸透圧でもって彼から水を幸せを奪ってゆくのだろう?俺は水槽に満ちた不確かな海水の中で、静かに静かに思案していた。俺の腹はもうタポタポと音を立てない。福音は遠ざかったのに、海水の浸透圧は以前より低くなったようだ。けれど俺はガバガバと日常を飲み込み続けなければならない。ミネラルウォーターではなく、日常を。



END










文章中に出てくる本は桜/庭一/樹さんの『砂糖/菓子の弾丸/は撃ち/ぬけない』です。




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