ティーンズエイジャー/沖神
辺りはしんと静まり返っていた。この辺りの海辺は有名な観光スポットらしいからそれは不気味なほどだった。星が落ちてきそうなほど近くで輝くものだから沖田は空ばかり見上げてしまう。満月の月影と街灯のアーティフィシャルな光とで海は丁度いい暗さに保たれていた。そんな中神楽はよほどはしゃいでいるのか海を見るや否や駆けだして白い足を波間にさらした。「気持ちいいアル」溜め息のような呟きが沖田の喉仏を上下させる。彼はそういえばまだティーンズエイジャーだった。こどもらしい純情が瞳の奥で煌めいている。隊服の上着を脱いでズボンの裾を捲る。そうして彼女と同じように波打ち際に立ってみた。押し寄せる波と熱帯夜との感覚的コントラストが心地いい。足の裏の砂がさらわれて沖田はようやく目を覚ました。
「泳ぐなら今だ」
「水着もってきてないアル」
「ヌードすいえ」
「死ね」
バシャンと水がシャツを濡らす。そうか水は服に染み込むのだ。それははじめて学んだことのように思われた。気付いたら脊髄反射のように神楽に水を蹴り上げていて彼女は甲高い声で叫んでいた。暗闇に浮かび上がるほど白い肢体はしなやかでチャイナ服の裾がひらひら翻るたびに太股まであらわになった。今日はスカートだ。二人は馬鹿のように水をかけあって最後には殴り合いになって沖田は頬骨のあたりに痣をつくった。神楽は真っ白のままだったけれど左の拳は赤くなっていた。波打ち際でポタポタと水をたらしているのは青い春の匂いがしたが彼らは頬をそめるでもなく睨み合っていた。しかし神楽は沖田の濡れた髪が好きで沖田は神楽の濡れた頬が好きだった。睨み合いは見つめ合いでありその間にはいつのまにか塩臭さでないものが漂っている。
もうこれだけ濡れたら腰までつかろうとなにをしようと大差無い気がしてきて神楽は着衣泳することにした。纏わりつくチャイナドレスもどきが捲れようと構わない。
「私、泳ぐのはじめてアル。どうしていいかわからないネ」
「とりあえず潜ったり浮かんだりすりゃいい」
「潜れないアル」
「おいおい俺ぁなんの為にお前をこんな遠い海までつれてきたんでィ」
沈めてやろうか?と沖田が手をわきわきさせるのをみて神楽は「いらないアル」と逃げるようにざばざば沖の方へ歩いてゆく。足の裏でやわらかな砂を踏みつけながら神楽は海の冷たさを堪能した。
「気持ちいいアル」
不思議と真っ暗な海に不安は覚えなかった。ゆらゆらと海月のように衣服が揺らめく。この暗さだ、見えないから大丈夫。神楽は気分が高揚しているのにも気がつかない。気付けば胸まで海水が這い上がってきていた。沖田が五歩後ろで「あんま沖までいくんじゃねぇぞ」と言うので神楽は「大丈夫アル餓鬼じゃあるまいし」と言い返してやった。しかしあるとき突然足の裏が空虚を踏んでバシャンという自分が頭のてっぺんまで水に浸かる音を聞いた。ゴボゴボと面白いくらい深い溝に落ちてゆく。何が起こったかわからなかった。けれど初めて怖いと思った。足掻けば服が纏わりついていっそう身体をしめつける。苦しい、助けて
「だから言ったんでぃ」
沖田の腕は案外力強かった。初めて彼が男性なのだと思った。肺一杯に空気を吸って、吐く。海中からすくい上げられて神楽は痛む鼻に涙目になった。沖田の胸に顔の側面を押し付けてまるで抱き締められているようだったが鼓動が早いのは酸欠のためだ。条件反射のようにして掴んだのは沖田のワイシャツでそれもやはりずぶ濡れだった。
「腹殴って水はかせてやろうか」
「股間蹴り上げて再起不能にしてやる」
大丈夫そうだなぁと沖田が言うものだから神楽は顔面が真っ赤になった。ちゃぷちゃぷと小さな波が肌をなぶる。海の中に恐怖を忘れてきてしまったかのように神楽はそれがすっぽり抜け落ちているのに気がついた。それがおかしくて、笑う。すると沖田がああ駄目みたいだな、と溜め息をついて、キスを一つ、寄越した。
「人口呼吸」
酸欠で頭おかしくなってたみてぇだったから。神楽はポタポタと前髪から滴を落としながら、身体中が火照るのを感じた。海の水はよほど冷たいのに、どうして。あまりに臭い台詞を寄越されたのにその気取っているのに気がつかない。彼女は恋に恋するような歳だった。ただ夢の中をふよふよと、それこそこのチャイナ服のように漂っている甘い胸の疼きに酔いしれている。
「お前も脳味噌酸欠アル、馬鹿野郎」
ぐずりと鼻がなる。沖田の胸からも自分からも海の爽やかでいて青臭い匂いがした。神楽はゆっくりと細く白い腕を海面の上に持ち上げて沖田の首に絡める。身長差、やはり沖田はもはや男性で神楽はしかし少女だった。青い春が、はじけて消える。
END