胃袋でものを考える/銀新
俺はどうして手作りというものが苦手だった。それは特に料理の分野で、自分が作ったもの以外で人が作ったものはどうにもダメであった。人肌の温かさというかそういうぬるさが料理にあるようで、そしてそれが作られた過程がわからないのが嫌だ。レトルトも冷凍食品も過程はわからないが冷めた機械が作っているだろうし売り物だから品質にも一定の保証がある。俺は料理に対して酷く神経質なのかもしれない。髪の毛とか指の垢だとかそういうものが入っていそうだから嫌だというわけでなく、手作りの温かさが嫌なのだ。だからといってラーメン屋のラーメンだとかファミレスのハンバーグは普通に食べるし美味しいと感じる。一見矛盾しているようなそれは、案外そうではない。ファミレスの厨房係は機械的に料理を作っているだろう、ラーメン屋だって。彼らが俺に対して特別な思いを抱いている可能性なんて皆無で、つまりその料理は冷めている。入っている感情なんて他のお客様と変わらない、そんな冷めたものだ。
けれど知り合いの手作りとなるとそういうわけにもいかず、何かしら感情がからんでくるからいけない。俺はそういった温かい料理を食べると吐きそうになる。ねちゃねちゃと歯にくっつくような、舌を舐られるような、そんな不快感がつきまとう。どんなに旨い料理であってもそれは一緒で、現に一度、昔の女から貰った手作りクッキーを食べてそれを便所でリバースしたことがある。だから俺はしばらく手作りの類を口にしていなかった。俺の食べる料理はいつだって味付けが濃いわりに味気ない美味しい料理ばかりだ。
「…だったはずなんだけどなぁ」
「どうしたんですか?」
「いや、なんでも」
俺は今不思議な気持ちで新八の料理を食べていた。不思議と不快ではなかったし普通に美味しいと感じた。不安になってこれは新八の手作りであると思いながら食べてもそれは普通に美味しい昼食で普通に美味しい親子丼だった。俺はいったいどうしてしまったんだろうと思う。どうしてもこの料理はやはり温かかった。それは人間的な温かさがあって、でもうまいと感じる。俺はどうしようもなく不安になって「新八は俺のことどうおもってる?」と聞いたらどうとったのか新八は真っ赤になって「何変なこと言い出すんですか!」ととんでもないヴォリュームで叫んだ。まったく青臭い。
結局新八が俺に好意を抱いているのは確実で少なからずこの親子丼もそれに影響されているはずなのに俺はそれを美味しくいただいている。もしかしたら俺は手作り嫌いを克服したのかもしれないと思い後で試しにストーカーに菓子を作らせて食べてみたら結局リバースした。ストーカーは喜んでいたが俺としては全て吐き出した腹に疑問だけが残って悶々とするばかり。
けれど俺の中ではなんとなくその答えが出ていてそれは二択であった。結局一つに絞られるんだろうけれど俺は意地を張ってしばらくは知らぬ存ぜぬを突き通すつもりだ。そのハズレの方の理由というのは新八がサイボーグかもしくは義手だという説。当たり前に有り得ないと考えた瞬間にわかるので俺はいつも溜め息を吐く。さていつまで自分を騙していられるだろうか。
恋をするということ
(きっと拒絶できない想いがあるのだ)
END