呟きは流れ星/沖土






自転車で海に来た。ブルーが眩しい綺麗な海だ。潮風が気持ちいい。

高三で夏休み。これが終われば就職活動に受験、様々なことがかれ等を忙殺しようと押し寄せてくる。だからこそこの夏は楽しいことをしようという近藤さんの提案で、風紀委員は午前から海で泳ぎビーチバレーをしスイカ割りをしてナンパしてはしゃぎまくった。しかし言い出しっぺの近藤さんが失踪してしまったのを皮切りに山崎が失踪し他の風紀もそれを探すためにどこかへ行ってしまった。サボり癖のある沖田と面倒事はごめんだという土方が集合場所に一足早く集まっていてつまりは二人というシチュエーション。集合場所というのは海に隣接するトイレの前で、その塩でざらつくベンチの端に沖田は腰掛け、土方は街灯に肩を押し付け腕を組んでいた。少し高くなっているそこからは海岸が一望でき、その隣には乗ってきた自転車が駐車してある。交代の荷物係も、途中から曖昧になってこの時間帯の係もどこかへ行ってしまった。

夕日が傾いている。乱反射する光線の美しさを浜辺で眺めているのはカップルばかり。土方は虚しさに目頭が熱くなった。沖田は水鉄砲でそれらを狙う素振りをみせている。

「近藤さんまだですかねぃ」
「さぁな。たしかこの後は花火だったか。その頃には誰かが見つけてくんだろ」
「花火なんて餓鬼くせぇ」
「水鉄砲のが餓鬼くせぇ」

きっとこの夏が終わったら土方も沖田も誰もかれもが社会人になって別々の道、歩き出すのだろう。結局近藤は正しいのかもしれない。青臭い恋とか失恋も、責任を免れていられるのは今年だけであとはもう色々なしがらみが蜘蛛の糸みたいに絡みついてくる。西日に照らされる横顔は幼く、或いは大人びていて、今この時間帯、空間が宝石よりずっと貴重なもののように土方には思えた。

「お前、卒業したらどうすんだよ」
「そうですねぃ、まだ考えてねーです。土方さんこそ」
「俺もまだ」

定まらない進路。迫り来る岐路。全部がかれ等を焦らせる。焦燥感に溺れるほどさらにわからなくなる。悪いスパイラルに捕らわれたように何もできなくなってきっとまた沈んでしまう。大人から見れば馬鹿らしい、ちっぽけな悩みかもしれない。けれど人生経験が少ないモラトリアム真っ最中な青年にとったら大問題で、だからこうして逃避に走る。先延ばしにした決断を、いつかはしなければならないとわかっているけれどそれでも全部投げ出して遊びたいじゃないか。それが若さ故の過ちで、それが若さ故のパワーだ。

「どうしていいかわかんねぇしなぁ」
「俺なんかはどうしたいのかも、わかりやせんしねぃ」
「何が自分に合ってるとか、可能性とか、偏差値とか、ほんと色々面倒くせぇ」
「どうしやしょう、はじめて土方さんと意見が合いやした」

ふふふ、ははは。馬鹿ばっかりだ。オレンジ色した顔で服で温い空気に体を晒していると必然的に眠たくなる。瞼の心地良い重さがあって、土方は欠伸を一つした。随分日に焼けた顔の表皮がパリッと音をたてるよう。沖田は日に弱いのか赤らんだ顔をしている。鼻の頭なんか悲惨な具合だ。

「花火とか、いったい何が楽しいんでしょうね」

他にやらなきゃならないことなんて山ほどあってそれに急かされながら馬鹿騒ぎなんて滑稽だ。沖田は冷めた人生観で今夜の予定を見つめている。花火セットも大人びたライターも沖田の興味をそそらない。強いて言えば火のついた花火を持って土方を追いかけ回すことくらいしか楽しみがない。綺麗だなぁとか、そんなの、なんの役に立つんだろうとか、そんなことすら思ったりする。もっと勉強とか、将来の役に立つことをした方がいいと、社会がプレッシャーをかけてくるじゃないか。

この夏しかできないこと。そんな希少なレッテル、貼ったところで5000円の花火代に上乗せさせる価値なんてどこにもない。思い出はプライスレスで、その法外な値段を支払うのに人は人生の一時を削るわけだが、沖田はそれがあまり好きでないらしい。

案外花火に乗り気だった土方は「楽しまなきゃ損じゃねぇ?」と言ってみるもあまり説得力というものはなかった。夕日が沈みかけてもう東の空からは夜の匂いがする。水着にパーカーという格好だと少し寒い。計画性とか将来的とか、そういったものが東の空には潜んでいて、西の空が終わりかけている誰かの青春。いつか夜が来るように凍えるような時期が今来ようとしている。沖田はそれをしっかり見据えているらしいという事実が土方の心臓をきゅっと握った。途端に迫り来る焦燥、不安感。スタートラインがどこなのかすらわからない恐怖。それでも今夜を楽しもうとする強かさ。高校三年生という時代は、結構辛い。

「なんか、お前といると嫌な気分になるわ」
「今日はよくよく気が合いまさぁね」

沖田は透明なブルーの水鉄砲から、ぴっと水を発射した。残り僅かな西日に反射してキラッと一瞬だけ輝く。その僅かもその一瞬あとには水平線の向こう側へ消えてしまっていていよいよ夜が迫ってくる。

確かこの辺りは10時以降から警官が夜間の見回りを始めるらしい。今、7時に近いあたり。浜辺ではカップルに変わって自分たちのような若者のグループが幾つか、既に花火をはじめていた。耳をつんざくようなロケット花火の音が夜空にパンとはじけて消える。かれ等も皆同じように夜から逃げてきたのだろうか。土方は思案するが、求める安息は手に入らなかった。

「あの中に、もしかして近藤さんとか山崎とかいませんかねぃ。なんか、花火セットがこの集合場所にないんですが」
「マジ?」

沖田がよくよく目を凝らすと、中でもやけに馬鹿デカい声で叫んでいるゴリラが見えた。「やっぱりいやした。どうやら仲間外れは俺達みたいです」と要らぬ報告。

しかし土方はどうしてその賑やかな場所に行く気にならなかった。「ああ」と生返事をしたまま、沖田の隣に座り込む。沖田は迷惑そうに尻の位置をずらしたが、立とうとはしない。

あっというまに落ちきってしまった夜の帳に、もう人影を判別するのがやっとである。その中で花火だけがやけに綺麗だった。贅沢にも小規模な打ち上げ花火や、地味なネズミ花火、メジャーな手持ち花火など様々な光が燃えては尽きる。多分土方は自分が疲れてしまったんだろうと思った。そのためにこんなに嫌いな沖田と遠くから花火を眺めているのだ。

男子高生の花火大会なんてロケット花火をぶっ放すところから始まってネズミ花火をいじられっ子に投げつけることに盛り上がり手持ち花火を両手に持って「二刀流!」「ぎゃははは」とかいう馬鹿が出てきて最後まで残る線香花火にラスト、束で火をつけて一気にボタっと落とすことで終わる、ことがなんとなく多い。現に今山崎がネズミ花火の餌食になり近藤が二刀流!と叫んでいる。

「楽しそうだな」
「はまってくればいいじゃねぇですかぃ」
「なんか、な」

馬鹿騒ぎするほど子供になれない自分がいることに、土方ははじめて気がついた。沖田の感覚が伝染したのかもしれない。きっと人間はこうして爺になっていくのだろうと妙に悟ったことを考える。砂浜と公衆トイレの前は100メーターも離れていないのにどうして温度差があった。自然、こらえきれなくなった溜め息がおちる。

「ああ、土方さん、線香花火ならありましたぜ」
突然沖田が喜声を上げる。指差したのは駐車場だった。土方は視線を投げるがイマイチ状況が掴めない。

ほら、あの山崎の自転車のビニル袋。確か線香花火だけ大量に買い込んだから別の袋だったんでさぁ。

確かめてみると本当に大量の線香花火だった。沖田はやけに楽しそうに包装を解いている。大人びた人生観は、テンションの問題だったのだろうか。土方はがっかりしたような、安心したような、不思議な気持ちでパーカーのポケットのライターを探す。

「俺、線香花火やんなら可愛い彼女とがよかった」
「一生無理なんじゃないですかぃ?マヨ方さんじゃ」
「お前はサディスティック星に帰れ」
「土方さんこそマヨネーズ王国への扉はまだ見つからないんですか?」

会話は、カチリというライターの発火音で途絶える。沖田の線香花火に丸い光が灯った。土方も徐に線香花火を一本抜き取り、火をつける。野郎二人が便所近くの駐車場でうんこ座りして線香花火とはしょっぱいの一言に尽きる。しかも二人して真剣に火を落とすまいとしているのだから救えない。

よく、線香花火は人間のようだという人がいたり小説があったりする。土方はそれを今思い出していた。最初はパチパチと頼りなく光り、次は燃えるように激しく。最後はシワシワと光りを落とし、ポトリと落ちて、終わる。線香花火なんて辛気くさいが、それでも愛される要素があるからこそ花火のパックには必ずついてくるのだ。けれど土方はこの線香花火を見ていて無性に切なくなった。悲しくなった。

こうしてみんなで馬鹿騒ぎできるのもきっとこれが最後なのだと思うと目頭が熱くなる。土方は自分が涙もろいと自覚しているがまさかここまでとはおもわなかった。たかが線香花火の一本、しかも沖田は二本目に火をつけている。

別に社会人になっても企画すればいいだけの話だ。けれど卒業したらきっと違う人間関係ができてまたこの夏みたいには戻れない。土方はそれが無性に寂しかった。柄じゃないとわかっていてもどうしようもない感情が感傷があとからあとから湧いてくる。カチリとライターで二本目に火をつけるも、それは盛りの真っ只中で、ポトリ。

「人間みたいでさぁ」

沖田の言葉にぎょっとする。

「くだんない。ちっぽけで、貧しくて、なのに綺麗。ああ、柄じゃないですか」
「いや、俺も思った」

今日はやけに気の合う日だ。明日は雨が降るだろう。こんなしみったれた思いを流してくれるような雨が。

「きっと最後なんだろうな」
「この騒ぎがですかぃ?」
「まぁ、な」
「寂しいとか」
「んなわけねぇだろ」
「ですよね」

俺は寂しいですが。
え?

こうして騒げなくなるのは結構寂しいですぜ。ほら、見てくだせぇ。線香花火、きっとみんなこうしてジジイになっちまうんだ。切ねぇったら。ふふふ、おかしいでしょう?

「おかしいとは思わねぇな」
「ああきっと明日は雨だ」

浜辺の方からは「線香花火!線香花火!」という叫び声が聞こえてくる。きっと置き忘れたことに気付いていないのだ。そうしている間に沖田が束で火をつけ始める。かれ等は二人がこうしてみんなの最後の楽しみを燃やしていることに、いったいいつ気づくだろうか。

ボトリ

「ああ、最後の一束でした」
「はは、可哀想に」

可哀想に。土方はふうと息を吐いた。火薬のツンとした匂いが充満していてともすればむせかえりそうだ。沖田は呼吸に失敗したのか咳を一つ。

残骸を二人で片付けながら、土方が「なぁ、このあとどうする?」と聞いたものだから沖田は「深夜の海でヌード水泳」と浜辺を指差して。見れば今まさに近藤がそれを実践していて土方はすぐさま浜辺へ直行。取り残された沖田は、切なげに一つだけ笑い、線香花火の残骸を、ぐしゃり。

「このあと、ホントはあんたに告白するつもりだったよ」

線香花火に消えた夏


END






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