夢中水葬/山土






山崎退は死んだ。

それは船の上であった。看取ったのは土方である。土方の右手が彼の左手を握っていた。そこからは一切の力が抜け落ち、温度差も明らかとなってゆく。土方の手は珍しく温かった。しかし山崎は自分が死んだ瞬間というものがどうしてかわかったのだ。それは身体中から感ぜられた。しかし死んだのに意識が残っているのが不思議である。

「死んだか」

土方が呟く。こんな時にも煙草をふかしていた。そして山崎は自分が死んだということがどうやら本当らしいと確信。元の身体はピクリとも動かなんだ、道理かもしれない。

「山崎、死んだのか、お前」

山崎は答えられない。死人に話し掛けるなど土方はやはり鬼のような男であると山崎は思った。山崎にはどうしても答えられぬのだ。

「ああ、悲しいなぁ。もうこんなに冷えやがる。堪えられん。山崎」

目を凝らせば土方の悲痛な顔面が見えた。泣きはしていない。それこそ鬼の目にも涙である。しかし山崎は大変申し訳ない気持ちが込み上げた。抱いて差し上げたいとすら思った。その黒い髪に指を埋め、申し訳ありませんと一言、十言も云いたい気分であった。しかし死というのは残酷なものである。山崎には何もすることが出来ない。指先すら動かせない。土方が握る左手の感覚すら、わからなんだ。死ぬものではないな、と山崎は思った。いかにも滑稽である。遺して逝く辛さというのは身体に弾丸が埋まるよりもはるかに酷い。だが山崎の感覚は幽霊とはまた違っていた。自分の遺体などは見えなかった。見えるという感覚は、閉じられた自身の眼球を始発としていが、見たいと思えば、それらが見えた。しかし山崎に遺された力は、それくらいのものであった。

土方が最後に「ご苦労だったな」と云い、山崎の手の甲を自身の額に当てる。泣いているようではなかったが、堪えているようではあった。山崎は悲しんだ。土方よりも悲しんだ。涙が溢れるかと思われたが、結局、山崎は死んでいた。その後山崎の知らぬ男が彼の遺体を運んだ。山崎の意識も移ってゆく。土方は既に悲痛の欠片も顔に残してはいなかった。山崎は少しばかり憤慨したが、土方はそういう男であると知っていた。悲しい男だと思った。しかし美しい男であるとも思った。

山崎の『眼』は壁を越して見えるようであった。しかしそれは完全に自由が利くわけでは無い。見える景色にはいつも土方がいた。これは自分の執念の賜物であるに違いないと彼は思う。その目で見ると、土方は静かに近藤と話していた。いつもの無表情を決め込み、やはりにべもない口調である。

「そうか山崎が」
「ああ。ここは船上だ。水葬にしよう」
「故郷に帰してやらないのか」
「奴ぁ武人だ。故郷に骨を弔ってくれるなんざ思っていねぇだろう」
「そうさな」

しかし水の中は冷たかろう。近藤はよほど反論したが、結局土方に押し切られた。だが死体を弔う等、真選組にしたら珍しい。ただ海に捨てるばかりかも知れぬが、山崎にはそれが有り難いことのように思われた。不思議なものだ、自分の葬送を知るなどと。

余談だが、生前山崎は近藤よりも土方を慕っていた。連絡は近藤に伝える前に土方を通せという言い付けを違えたことは一度として無い。結果秘密裏に仕事をすることも多かった。諜報も潜入も性に合っている。自分を上手く使ってくれている土方に手前の一生涯をくれてやろうと常々思っていたほどである。そのせいか山崎には未練らしいものがあった。これは士道に背いている。山崎は土方に叱って欲しかった。この人の行く末を見定められぬのが、山崎の未練であった。ただ、それだけのことが。

ざばんと簡易な布に包まれた身体が海に落とされる。視覚から音がきこえ、感覚はなかった。視覚的に海は冷える。山崎は重石をつけられ、暗い海の中を結構なスピードで沈んでゆく。視界は遂に真っ黒に塗りつぶされた。しかしそういう時は海上に視界がある。水底にたどり着いた山崎は、魚に囲まれながらも不安という感情は欠落していた。死んでから時間が経つにつれ、段々と感情が薄まってゆく気さえした。感情も、いずれは死ぬのだと、この時始めて実感。しかし恐怖は死んでいた。海の中で、世界の中で、山崎はただの物である。この時ほどそれを実感した時はないだろう。

海上は夜も半ばである。土方は独り船縁から暗い水面を見下ろしていた。それを山崎が視ている。土方は酒を持っていた。彼は下戸である。それをお猪口に一つだけとると、あとは海に棄てた。

「てめぇの分だ、山崎。最後の酒になる」

土方は感慨深げな眼差しをしていた。山崎はぼんやりと夜よりも暗い水底からそれを見ている。グイと煽られたお猪口が、月影にさらされた。土方は顔を歪める。彼は下戸であるから仕方がないと山崎は思ったが、どうも違うらしい。

「ああ゛、あぅ」

情けない声出して、土方は泣いていた。山崎はよほど驚いた。お猪口は船縁から海に落ちる。間抜けな音がした。土方の泣き顔というものを、山崎は死んで初めて見ることができたのだ。それはクシャクシャに顔面を歪めた大層醜いものであった。餓鬼のような泣き様であった。凡そ大の男の泣き方ではない。しかし山崎は一種の感動を覚えた。鬼の副長といえど、突き詰めずとも人間であったのだ。

「あああ、ああ」

聞くに堪えない。山崎は悲しんだ。この感情も、もうすっかり薄れてしまっている。これが最後の悲しみかもしれない。それら一切を知らないせいで、土方はよく泣いた。山崎はみていた。そこには軋轢に似た大きな壁がある。月の綺麗な夜であるのに、どうにも真っ暗であった。行く道も分からぬほど、世界中が黒に塗り固められている。山崎はどうしようもなく死んでしまっていた。土方の慟哭は、暫く続いた。

山崎は眠ったり、目覚めたりを繰り返した。静かに静かに、不思議な目を開いた。水底ではゆっくりと時間が流れるのでぼんやりしてしまうのだが、いつの間にか結構な時間が過ぎてしまったようである。この頃になると山崎の意識も切れ切れになる。身体は原型を留めていなかった。魚に啄まれ、潮になぶられ、遂には目だけになった。それでも山崎は土方を見詰めていた。暗い海の底というのは、存外静かなもので、それは山崎を包んでいる。不思議と山崎はそれと同化していた。意志はもう無い。なのに目はまだ土方を追っていた。みたところ、彼はどこかの地で戦場を駆けている。真選組の隊服ではなかった。知らぬ服を着ている。しかし刀を振るう姿はついぞ変わらぬままであった。

だが何時か彼の体躯は弾丸に貫かれる。土方は程なくして絶命した。彼は水上でなく戦場で死んだ。やはり鬼のような男であった。それを看取って、山崎の眼球も魚にさらわれる。もう何も見えず、意識も完全に途切れた。山崎はようやっと死ねたのだ。

あとはもう黒だけである。なにも感じない、なにも思わない。山崎の迎えた死はとんでもなく不思議なものであった。しかしとんでもなく、幸せなものでもあった。













「山崎、山崎よ」
「…、」

山崎はびくりと痙攣する。勢い良く瞼を持ち上げると、そこには真昼が待ち構えていた。

「…寝てやがったな」
「え、寝て?」
「うなされてたぞ」
「マジっすか」

目覚めたのは市中見回りのパトカーの助手席であった。山崎は身体中に気持ちの悪い汗を感じる。口の端を拭い、温い息を吐いた。土方がハンドルを握っている。当然のように煙草をくわえていた。そこは平々凡々とした日常の中である。しかし山崎はどうして不思議な程鮮明に夢の内容を覚えていた。自然、口数が減り、それを土方が訝しむ。

「何の夢を見た」

山崎は逡巡し、極めて明るい口調をとった。

「俺が死ぬ夢です」
「情けねぇ」
「いやぁ、幸せな夢でしたよ」
「うなされてたが」
「幸せ過ぎて」
「なんでだ」

あんたが俺の為に泣いてくれたからですよ、と山崎は言えなかった。変わりに、忘れちまいましたすみませんと言う。土方は興が失せたのかそれ以上言及しなかった。エンジン音の中に、夢の余韻がまだ残っている。パトカーは信号で一端停止した。山崎は思わず土方を抱き寄せる。

「なんだてめぇ」
「すみません。土方さん、俺はあんたが愛しいよ」
「なんだ突然」
「抱いて差し上げたい」
「…」

土方は無言で山崎を殴った。絡む腕をひっぺがし、無駄にサイレンを鳴らして信号を無視し発進。野次が飛んできたが気にした様子は無い。そこで山崎ははたと我に返る。ああ自分はまだ生きていたのだ、と。

「すみません、寝ぼけてました」
「構わん」
「照れてます?」
「そんなに早死にしてぇのか」
「いえ、まだ寝ぼけてるようで」
「早く目ぇ覚ましやがれボケが」

山崎は生きていた。土方は泣かぬ男であった。夢は血腥い日常に蹂躙される。いつか跡形もなく消えてしまうだろう。ああ真昼が眩しい。山崎はどうしようもなく生きていた。土方の慟哭はとんと聞こえない。どうしようもなく、しあわせだ。


夢中水葬


END



結局は夢オチ。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -